太刀守家の家政婦、芳江はいつもは住み込みだが土曜の夜から日曜にかけては娘夫婦の所に行くため毎週休みだ。だから日曜日の住人達は大体が朝食を別でとったり、自分で適当に買い置きしていたりするのでキッチンに立つ者は誰もいない。‥‥はずだ、少なくとも今週までは。いや、今まで主人が日曜であろうと平日と変わらぬ時間で出勤していたからかもしれない。キッチンでする物音と明かりに気付いて太刀守家の主人は首を傾げた。新聞を持って、そのまま迎えの車に向かおうとしていた草梳はダイニングに入り、そしてキッチンを覗こうとして出て来た人物と鉢合わせになった。
「!」
「あ、叔父貴、おはよう。昨日はどうもありがとう」
「‥‥ああ、おはよう」
「今日は遅いね? あ、見て見て〜♪穂ママに貰った服〜♪」
「今日は会社の重役達と朝食を摂りながら会議だ」
事務的に答えを返して、草梳はくるん、と回って見せる神無をじっと見下ろす。頭にはほぼその機能を満たさない小さな小さなシルクハット。しかも落ちないようにかそれともそれすらファッションなのか同じ黒の布地でリボンがついていて顎の下で可愛く結ばれている。琥珀の髪はいつもと変わらないが、その瞳は何故かマリンブルー。首元に軽くレースをあしらった白い長袖のブラウス。襟の部分にはやはりシルクハットと同じ素材の、より大きなリボン。ブラウスの二の腕にも細いリボン。腰の部分には黒の編み上げコルセット。スカートは膝上くらいの黒い布と黒いレースでどういう原理かふわっと広がっている。その下から少し白いレースが覗くので下にも何か着ているのかもしれない――草梳にパニエという物の存在は分からない――。白いソックスにも黒のレースが縁取られ、靴は黒皮の、ベルトが付いた小学生が履くにはちょっとヒールが高いのではないかという代物。草梳はじっくりと神無を見、しばらく考え込んだ。
「可愛いかと聞かれれば、可愛いと思う。だが‥‥これはまるっきり壬姫女史の趣味の産物に見えるが、こういう服が実際に売れるのか?」
「最近ゴスロリって言って、一部で流行ってるらしいよ? こういう白黒デザインのが特に。原色ピンクとかより売れるんじゃない? それに、完全に趣味の一環だから採算取れなくてもいい、広められればいいんだって言って値段も普通の店より安いって。桃笑もかなり安いって言ってた。ほんとはパンツスタイルのとか、もっとクール系のもあったんだけど、写真撮って『さぁ好きなの選んで♪』って言われた時にはもうなかった‥‥」
「‥‥壬姫女史のやりそうな事だな‥‥」
「制服以外スカート履いたの久しぶりかも〜‥‥。あ、ポスターできたら叔父貴の社長室宛に送りつけるからそこに飾りなさい!って、穂ママから伝言‥‥」
「‥‥」
草梳は伝言を受け取って少しばかり顔をしかめ、頭痛でもしたのか少しこめかみを押さえる。草梳にこんな行動を取らせた人物など初めてだ‥‥と神無は苦笑して改めて穂母の恐ろしさ(?)を思い知る。
「貼っておかないと不意打ちでチェックに来るな‥‥絶対‥‥」
「はは‥‥、やりそう‥‥。あ、叔父貴お昼は何処かで食べる予定?」
「いや、特に予定はない。会社でとるだろう」
「良かった〜。じゃあこれ持ってって」
そう言って神無は一旦キッチンに引っ込み、バンダナに包んだお弁当箱らしき物――そんな物があった事自体驚きだ――を持って来て草梳に渡した。『ありがとう』と礼を言ってから草梳はどうしたんだ? と神無に問う。
「今日出かけるからお弁当作ったんだ♪。良かったら食べてみて♪、昨日のお礼♪」
「‥‥ありがとう。今日こそは買い物か?」
「ううん、水族館♪。今日行く事にした♪。あ、お金、昨日貰ったの全然使えなかったから返すね」
「いや、交通費や自分のお土産にでも使いなさい。気を付けて」
「うん♪ありがと♪。叔父貴もね、いってらっしゃい♪」
神無に見送られ、今度こそ草梳は迎えの車に向かうべく廊下に戻って行った。それを見送った神無はもう一度キッチンへ戻り、もしかしたら朝食など食べるかもしれない馨のために余ったおかずと小さい三角おにぎりを皿に並べ、テーブルに置いてラップをかけた。三度キッチンに戻ると今度は風呂敷の上に三段重ねの重箱を一段ずつ組み立て、それで綺麗に包んだ。そこで時計を見やると九時半を少し回った所。もう少しで来るかな‥‥と思ってキッチンテーブルの上に避難しておいたポシェット――やはり穂母の店で貰ったものだ――を手に取る。携帯の着信はまだない。財布が入っている事だけ確かめ、神無はそれを首から斜めかけにした。と、ダイニングで再び人の足音がする。今度は馨が起きてきたのだろう。キッチンから顔だけを出すと案の定、馨が寝ぼけた顔でテーブルの上のおにぎりとおかずを見下ろしている。
「馨ー、それ食べる?」
「‥‥ああ」
「お茶は?」
「コーヒー」
「おにぎりにコーヒー‥‥? まぁいいけど‥‥」
一瞬嫌そうな顔をした神無だが、まぁ自分が飲むわけではないからいいや、とコーヒーメーカーにコーヒーをセットした。馨が日曜のこの時間に起きてくるのは珍しい。ましてすでに着替えているなど‥‥。まぁ彼女とデートでもするのかもな〜と気楽に考えて神無は一杯分のコーヒーをカップに移し、入れたよ〜と黙々とおにぎりを食べている馨の元に持って行く。
「あー、さんきゅ‥‥っ!!!?」
「うわっ!ご飯粒飛ばすなっ! 汚い馨ー!やだー!!」
突然吹き出した馨を避け、神無はコーヒーのカップを持ったまま二、三歩逃げた。馨は気管にでも入ったのか、ごほごほ咳き込みながらティッシュの箱を手繰り寄せ、吹き出したご飯粒を拭き取る。
「‥‥な、なに?お前その格好‥‥。わざわざ今日のために買ってきたのか‥‥?」
「違うよ〜、穂ママの店で貰ったの〜。他に女の子っぽいの持ってないもん〜。結構可愛いっしょ?」
「穂の母親の店って‥‥、服屋だったのか‥‥? しかもゴスロリ?」
「うん、叔父貴も穂ママの趣味の産物だなって言ってた」
「その目はどうしたんだよ‥‥」
「これ? カラコンだよ。撮影用に一日使い切りのコンタクトを合わせたの。その時に好きな時に使いなって全色一組ずつくれたんだよ。おもしろいっしょ?」
黙ってれば西洋人形‥‥という評価を怪獣に言うのはなんだか悔しいので馨は奪い取ったコーヒーとともに飲み下した。元々日本人離れしていた神無は青いコンタクトのおかげですっかり異国の美少女だ。デートって冗談で言ったわけじゃなかったのか‥‥? と馨は段々不安になって来る。
――これが高佳と並んで歩いてたら‥‥目立つ、この上なく目立つ‥‥。しかもはたから見たら関係が分かんねー‥‥――
今からでも水族館行きをやめろ‥‥と馨は高佳にメールを打とうかと考えたが、ちょうどその時玄関チャイムが鳴った。神無は何か察したのかすぐに玄関へは向かわず一旦キッチンに引っ込む。多分お弁当を取りに行ったのだと察して馨は玄関に向かって駆け出した。とにかく今は玄関先で止めるしかない! と決心してドアを開けると、『あれ〜?』という高佳とは別の声が出迎えた。
「太刀守君が出た、神無じゃないや」
「‥‥。そう言う四季さんはどうして?」
「高佳送って来た。それから高佳をよろしくと一言頼んでおこうかと」
「メインはこれじゃないのか?四季。お久しぶりです、太刀守先輩」
「お、おう久しぶり」
メインと言って高佳が持ち上げた四季の手の中にはコンパクトなカメラ。あはは〜♪と四季は笑っているが、肯定の笑いだろう。また親父さんのためか‥‥と頭を抱えていると後ろからぽくぽくと足音が近付いて来る。いつもと靴が違うので変な足音だ。
「ごめーん高佳〜。あ、馨出てくれてたんだ?」
「!!(しまった! 予想外の人物が居たから言いそびれたっ!)」
「男を待たせるのはいい女の証拠だよ、神無。‥‥あれ?」
「!」
現れた神無の姿に四季は言葉を切り、高佳も少しばかり反応を示した。確かにゴスロリの美少女が大きな風呂敷包みを両手で必死に運んで来る様は面白い‥‥。が二人の驚きは当然ながらそこではない。
「へぇ‥‥びっくりしたなぁ。可愛いね、神無。気合十分な感じ?」
「ありがと♪四季。変じゃない?高佳」
「ああ、可愛い」
えへへ♪と神無は少し照れたように笑うが、高佳の口から可愛いなどと聞くとは思わなかった‥‥と馨は呟いている。そんな馨には何の反応も見せず、高佳はすっと神無の手の大荷物を持ち上げた。
「あ、ごめん、ありがとう」
「お弁当? 神無が作ってくれたんだ?」
「うん♪」
「‥‥お前ら四季さんの車で送ってもらうの? それとも電車?」
「いやー、俺今から仕事で‥‥」
「あ、そっか、電車じゃこんなに大きいお弁当邪魔か‥‥。ごめん、置いて来るよ、高佳」
平気だ、と高佳は言うが、でも‥‥と俯く神無は申し訳なさそうにやっぱり‥‥と言葉を紡ぐ。が、それを続ける前に高佳が頭の上の帽子をうまく避けて神無の頭を撫でる。
「神無がせっかく作ってくれたんだ、持って行く。帰りは空になるからそんなに大変じゃない」
「‥‥うん♪」
「(おう、何故だかすでにいい感じだ)神無、撮らせてもらっていい? 親父さん今日も仕事‥‥っていうか居たら大変な事になるから黙っておいた」
「あ! 後で焼き増してっ! あたしも欲しい♪」
「OK、じゃあ高佳、お弁当何処かに置いて‥‥。いや、お弁当の証拠写真も撮っておくか‥‥。一枚目はそれでいいや」
高佳が少し呆れたように嘆息したが、それでも風呂敷包みを置いたりはせず、後ろずさる四季の方に向き直って直立不動。神無の方が勝手に寄り添って片手を高佳の腕に回し、逆の手でピースサインをする。四季が写真撮影まで始めたのでますます馨は言い出せなくなって玄関先でどうしようかと頭を抱えた。
「はい、じゃあ次はお弁当置いて」
「‥‥付き合わせてすまない、神無」
「ううん、こっちこそ付き合ってくれてありがとう♪だよ♪」
二枚目の撮影も済むと四季のカメラがジーッとフィルムを巻き取る音を立て始める。ちょうどフィルムが切れたらしい。神無に再びありがとう、と言った四季は『すぐに出して焼き増してもらうから』と約束する。
「じゃあ、行こうか?神無」
「うん、行ってきまーす♪」
「高佳をよろしく♪神無」
「(ああ、結局止められなかった‥‥)あんまり引っ張りまわすなよ、神無」
「今日は大人しくしとく〜」
馨の嫌味もあっさりかわして神無は高佳を小走りに追いかけ、徒歩で駅へと向かい始めた。その背中を見送って四季が『さて』と呟く。仕事に行くのだろうと思って自分は二度寝するべく『じゃあ』と馨は身を翻す。が、四季の手がしっかりとその肩を握って引き止めていた。
「支度して来て、太刀守君」
「は?‥‥」
振り返ると先ほどカメラが握られていた四季の左手にはハンディタイプのビデオカメラ。呆気に取られて流されそうになった所を必死に岸まで戻って馨はとりあえず四季を止める方向で頭を働かせた。
「四季さん仕事じゃ‥‥」
「これが俺の仕事だよ? 可愛い弟の成長を記録するのが」
「‥‥そりゃ盗撮でしょ‥‥」
「俺ちゃんと神無に『撮っていい?』って聞いたよ。写真とは言わなかったはずだけど?」
「(へりくつかいっ!)鬼っすね‥‥?」
「それはうちの弟だって。せめて悪賢いと言ってくれ」
それはそれでいいのか? と思いながら乗り気でない馨はどうやって四季を説得するか、次の手を考える。第一、鬼眼を封じられているといっても完全ではない神無は馴染みある自分の気配はすぐに分かるだろうし、そんな所を見つかるのは嫌だ‥‥。(主に高佳が)心配と言えば心配だが。
「そう言えば、太刀守君を誘わなかった理由は聞いたけど、なんでそれでうちの弟を誘ったんだい?神無は」
「(しめた、話題が逸れた‥‥)いや、ほんとは神生 穂って言って、神無の封印をしたヤツを誘ってたんすけど‥‥。そいつが昨日たまたま友達以下恋人未満の女とデートで別の水族館にいく予定だったんすね? じゃあ、って神無があっさり諦めようとした所に追い討ちでその馬鹿が爆弾発言して、神無のヤツすっかりキレて‥‥。それがどう巡り巡って高佳に白羽の矢が立ったのかは知らないっすけど‥‥」
「なんだ、つまり、当てつけ?」
「‥‥恐らく、半分以上の動機は‥‥」
「でも当てつけという事は、その神生さんって人は知ってるんだ?」
「あっ、そういや言ってねぇ‥‥」
神無もあの調子じゃ言ってないんだろうな‥‥と思い、それじゃあ当てつけにもなってないって事か? と首を傾げるとポケットの中で携帯が鳴った。どうぞ、と四季が手で示すのでこれ幸い、と馨は通話ボタンを押した。
「俺だけど」
『あ、馨君? 穂だけど〜』
「(はっ! よりによってお前か!? 着信見てなかったしっ!)あー、悪い、神無には今日電話させるから‥‥」
『? いや、そうじゃなくて。もし神無居るなら‥‥やっぱり行った方がいいかな、と思ってさ‥‥』
「(なんてタイミングの悪い‥‥)もう、出かけた‥‥別の男と‥‥」
『そっか、相手居たんだ‥‥。じゃあいいや‥‥』
心なしか沈んだ声で穂が電話を切ろうと別れの言葉を言いかけたその時、脇から失礼、と携帯を奪い取る手。もちろん四季だ。『何をっ!?』と馨が驚愕している間に『もしもし?』と四季が当たり前のように電話の向こうの穂に話しかける。
「今日神無をお借りした者の兄です、どうも初めまして」
『はぁ‥‥? 初めまして?』
「ちょっとお願いがあるんで、今太刀守君の家に居るんですがこちらに来てもらえますか? じゃあよろしく」
穂の返答も待たないタイミングで四季は電話を切り、ごめんね、と馨に返す。ごめんじゃない‥‥とげんなりする馨は理由を聞く気力もなかった‥‥。聞かないでも分かる‥‥、穂も巻き込む気満万だ‥‥。
「四季さん‥‥。神無のヤツはビデオ撮れるような範囲じゃすぐに気配で気付くっすよ‥‥」
「それは高佳も同じ。だから気配を変える術をかけるから大丈夫」
「(めげない‥‥)えっと、男三人で水族館は目立つっしょ‥‥? 逆に見つかるんじゃ‥‥」
「あ、そっか‥‥。じゃあちょっと待ってて! うん、車で直行すれば向こうは電車だから間に合うだろう。待っててねー!」
重ねて念を押し、四季は家の前に止めてあったR2に乗り込んで走り去ってしまう。でもやっぱり諦める気はないのか‥‥と馨はため息を付き、家の中に引き返した。
四季を説得するのは半分以上無理そうだ――というか多分自分は勝てないし、先程の電話でへろへろそうだった穂にも無理だろう――と判断して馨は自室に戻り、ガールフレンドが選んだキャスケットを頭に被り、色付きのサングラスをかけた。特徴的な茶髪はこれで結構隠れるし、水族館の暗さならこの位の変装で十分だろう。あまり念入りに変装すると返って怪しまれる。あとは多分事態を理解していない穂のためにサングラスをもう一つ準備し、財布をポケットに押し込んで再び玄関へと戻る。ちょうど玄関チャイムが鳴った、四季が戻って来たか、穂が来たかだろう。
「へーい。‥‥よぉ、穂。悪いな」
「別に構わないけど、いきなり何? さっきのお兄さんとやらは?」
「男三人で水族館はまずいだろう、って言ったら車でどっか行った。女の子でも連れてくるんじゃねぇ?」
「はぁ?水族館? なんで僕達まで行くわけ?」
「いやぁ、精一杯抵抗してみるけど多分負ける‥‥。そういや、お前隠岐は? 送ってもらったんじゃねぇの?」
「今日は母さんに呼び出されてたから、隠岐だけ行ってもらった」
『お前、だから行こうかって言い出したんじゃ‥‥』という意味の無言の圧迫にいやいや、と穂は半分ごまかし笑いで首を振った。しかも‥‥呼び出された理由がなんとなく分かる辺り嫌だ‥‥。
――隠岐‥‥即倒すんなよ‥‥?――
「いや、普通なら考えまでは読めなくても、喜怒哀楽ぐらいは伝わってくるんだよね、神無。それがあれ以来まるっきりシャットアウトで‥‥。相当怒ってるんだろうな、と思って‥‥」
「ああ、そんな事できんの? ってシャットアウトされるなんて封印甘いんじゃねぇ?」
「いやまったく、神無を嘗めてました‥‥反省してます‥‥。それでもよっぽど頑張らないと出来ない芸当だよ‥‥。神無って絶対怒りで潜在能力上がるタイプ‥‥」
「まぁ自業自得って事で。そういやあの答えは五十点らしいぞ? あと半分何で怒ってるのか俺にも分かんねー」
「女心はムズカシイ‥‥。‥‥じゃなくて、なんで僕らまで水族館? 珍しくサングラスなんてかけてるし」
「ああ、それは‥‥とりあえずお前もかけろ」
そう言って差し出したサングラスを不思議そうに穂は受け取ってかけた。穂の少し童顔の、母親似らしい顔がそれだけで締まって見える。元々身長はわりとあるのでなかなか似合う、が――主に身長差が――悔しいので賛辞は飲み込んだ。そしてそろそろ事情説明を、と思っていると家の前に緑のR2が止まる。四季が戻って来たのだ、と馨は穂を手招きしてそれに向かって歩いて行く。車の運転席から人が降りて来たので四季だと思って声をかけようとしたが、違う。彼女か誰かか? と思っているとその女性が馨の方を向いてにこっと微笑んだ。
「!(結構可愛いかも‥‥。やるなぁ、四季さんも)」
「じゃあ行こうか、太刀守君」
「!!!?」
可愛らしい女性――に見えたが出てきた声は間違い無く四季の物。しかし服装は先ほどまでとはまるで違う。神無の物とはまた違った、ゴスロリ調の黒いワンピース――神無は膝が少し見えていたが、こちらは膝下まであるロングスカート――で裾とスカートに白いレースと黒いリボンがあしらわれている。上には黒のベルベットらしいベストが、さらに上に目線を上げると黒く、長いストレートの髪の毛――多分、というか間違いなくウィッグだろう――にそれを押さえるように巻かれた白のレースと黒のリボンのヘッドドレス。馨が声にならない悲鳴を上げている後ろからひょこひょこと歩いて来た穂もその声にあれ? と首を傾げて立ち止まる。その穂に気付いて四季――らしき人――は車を離れて穂に近付き、どうも初めまして、と丁寧に頭を下げる。
「こんな格好ですが先程お電話した者です。鞍馬 四季です、よろしく、神生さん」
「ああ、先程のお兄さん‥‥? 神生 穂です、よろしく。苗字で呼ばれるのは好きじゃないので穂でいいですよ」
なんで普通に対処してるんだ‥‥? と疑問に思いながらも声にならず、馨は魚のように口をぱくつかせるだけ。
「じゃあ俺の事も四季で。あ、別に普段からこんな格好してるわけじゃないんですよ? 今日は怪しまれないように変装を」
「はぁ?(何のために‥‥?)」
「それにしても、残念だなぁ、俺はカノウさん、と是非お呼びしたかったんだけど‥‥」
「!」
楽しむような、意地悪な視線に穂は思わず反応を示してしまう。それに相手は確信を帯びた笑み。しまった、と思いながらも、一目見た瞬間にこちらは相手の霊力(ちから)を読んでいたし、相手も同じだ。しかし、鬼眼を持つ神無とは違うのに、中身の名前まで言い当ててしまうとは油断ならない相手だ。
「おいくつですか?穂さん」
「二十歳です、早生まれなんで、成人式終えたばかりなんですよ♪(その手に乗るかっ!)」
「(ちっ‥‥気付かれたか)そうなんですか? じゃあ俺より年下なんですね? 太刀守君の交友関係はすごいね〜?」
「へっ? まぁ、ちょっと変わってるヤツなんで‥‥。でなきゃ神生財閥の御曹司となんか知り合う機会もないっすよ」
「‥‥(あれ〜? 太刀守君は気付いてないんだ〜? 高佳の事は気付いたっぽいのに。まぁ高佳よりは違和感なし? 神無は? あの子なら‥‥俺が気付いたんだから当然気付くかぁ)」
そういう事じゃなくて? と馨が黙ったままの四季に聞き返すと、にこっと黙っていれば美少女にしか見えない笑みを四季は穂に向けた。穂の方もその笑みを察してうろたえた様子で腕を交差させて×を作る。
「とりあえずそういう事で。さあさっ、乗って乗って。早く追いかけないと!」
「念のため‥‥やめる気はないんすね?‥‥四季さん」
「わざわざ高校の時に買ってもらった衣装まで引っ張り出してきた俺の努力を無駄にする気かい?太刀守君」
「男子校っすか‥‥? まぁ、犯罪にならない程度でよろしくっす‥‥」
「結局何がどういう事なの??」
まぁまぁ、と四季は説明も無しに穂を助手席に押し込み、運転席へと回った。馨も諦めて自ら後部座席に乗り込む。それを確かめると『じゃあしゅっぱーつ!』とやはり説明のないまま四季はアクセルを踏み込んだ。
結局この異色ツアーの詳細を知らされぬまま、穂はS水族館に到着してしまった。車を停めてエレベーターに乗り込みながら四季はビデオカメラの使い方を馨に教えている。どうやら自分がカメラマンにさせられるらしい‥‥と馨はため息をついた。一通り説明が終わると四季は続いてバックの中から小型のイヤホンを取り出して二人に手渡し、自分が見本となってそれを片耳に装着した。
「‥‥。これは?四季さん」
「小型マイク受信用のイヤホン。太刀守君のはこっちを伸ばして、カメラを構えるとカメラのマイクの所にスピーカーが来るから、これで会話もばっちり。近付かないと受信できないけどね、おもちゃみたいなヤツだから」
「‥‥聞きたくないけど小型マイクって‥‥」
「今朝高佳の上着に取り付けておいた。画像だけじゃ寂しいかと思って」
「‥‥。四季さん、こういうの立派に犯罪って言うんですよっ!?」
「あはは〜。弟の成長の記録だってば、やだなぁ太刀守君」
嫌なのはこっちだ‥‥と馨はげんなりしたが着いたよ、と四季はさっさとエレベーターを降りる。他に客がいなくて良かった‥‥と思いながら馨も続けて下り、首を傾げたまま穂も降りてきた。さて、と四季は念入りに周囲を見まわすが、目的の人物の姿はない。イヤホンの電源を入れると二人の会話は聞こえないが、雑踏の中にいるような、ノイズとは明らかに違う音が流れてきた。
「‥‥近くには、いるみたい? 探してみようか、太刀守君」
「ういっす」
「じゃあ僕チケット先に買ってくるね」
「あ、よろしくお願いします」
一方その頃の神無達は‥‥実は四季達異色ツアーズのすぐ傍、同じ水族館の入り口に居た。親子チケット、だと思っていた物が実は親子チケットの引き換え券だったので、神無を残して高佳がチケット待ちの列に並んでいた。別に一緒に並んでも良かったのだが、待ち列が長かったので邪魔になるといけない、と入り口近くの柱の傍で重箱入りの風呂敷と共に待つ事にしたのだ。水族館の入り口に向かうカップルや、同じくチケット待ちなのであろう母子連れなどが、立っている神無に『可愛い〜♪』『外人さんだ♪』などと遠巻きな賛辞を送ってくるのが少しくすぐったい。確かに、四分の一しかドイツの血は流れてはいないとは言え、母親似の神無はこうして瞳を青くしたらとてもクォータには見えないだろう。けれどそれは自分ではない、別人になったような気分だ。元々『可愛い』などという賛辞には慣れていた、がむしろそれよりも年下の同性からの『かっこいい』という賛辞が多い。年上のカップルや親子連れなどに見られて同じ賛辞を受けるとなんだか恥ずかしい‥‥。
――でもちょっと気分いいかも♪。黙ってれば可愛いとか動けば怪獣だとか口を開けば小僧だとか、言わせないぞっ!(ガッツ!)ついでに脱!『男の子』!――
一部の知人に向けて心の中で戦いを挑んでいると小学校一年生くらいの男の子がたっと、神無に駆け寄って来る。後ろに親でもいるのかな‥‥と思っていると男の子は神無の前で止まり、しばらくもじもじとした後、小さな声で挨拶をしてきた。
「は、ハロー‥‥」
「!」
たどたどしい英語の挨拶。自分の事を本当に外人だと思ったらしい、と察して神無はにこっと微笑み、少年の背に合わせて少し膝を屈めた。
「Hello boy♪」
流暢な英語に男の子がはにかんだ様に笑みを浮かべる。これで完全に少年は神無を外人だと認識しただろう。幼い頃に母に教育された英語・ドイツ語は今でも健在だ。
「あー、うぇあ、あーゆーふろむ?」
最近は幼児教育で英語を習わせる親が多い。この子もそんな親の元で育ったのだろう。教室の外で外人を見かけた――しかも子供だったので――思い切って話しかけてみた、そんなところだろう。
「I’m from Germany」
「じゃーまにー? えっと‥‥じゃーまにーは‥‥」
「ドイツだよ」
くすっと笑って神無が正解を教えてやると少年はきょとん、とした目で神無を見返す。先ほどまで英語で話していた神無の言葉だと気付かず、首を傾げている様が可愛らしくて神無は堪えきれずにくすくす笑い出した。
「え? 日本語も話せるの!? すごーい!お姉ちゃん」
「日本に住んでるんだよ?」
「そうなの!? あのね、僕先生以外の外人さんと話すの初めて! 大きくなったらお姉ちゃんのドイツにも行くんだ!」
「そう? Thanks♪」
本当はドイツには、母の故郷には神無も行った事がない。けれど、そこにはもう居ない母の、自分の半分と同じ血を引いた人達が居るはずだ。だから、男の子の夢に、神無も希望を重ねた。いつか、母の血筋を辿るために海を渡ろう‥‥。
「ヒサシ! 行くわよ」
「はーい!ママ! お話してくれてありがとう♪お姉ちゃん。あのね、そのお洋服すごく似合ってるよ♪可愛い♪」
「Thanks♪ いってらっしゃい」
手を振る男の子に答え、神無も手を振って見送ると男の子は父母に駆け寄ってその手を取り、なにやら必死に二人に訴えかける。それを聞き終えた父母が足を止め、神無の方を向いて軽く会釈をしてきた。慌てて神無も会釈を返すが、なんだか余計に恥ずかしくなってきた‥‥。男の子がもう一度振り返って神無に手を振る。反射的に手を振り返すと、満足したのか男の子は入り口に向き直って歩いて行った。
「神無、待たせた」
「! あ、高佳‥‥。大丈夫」
「アシカショーのある広場でなら弁当を食べてもいいそうだが、中で食べるか? ロッカーもあるらしい」
「アシカ! アシカ見る〜♪。見ながら食べよう♪」
分かった、と言って高佳は風呂敷包みを持ち上げて歩き出す。神無は逆の腕を勝手に取って自分の腕で抱え込み、先程の男の子を思い出して思わずふふっと微笑んだ。
「? なにか?」
「ん? えへへっ、ちっちゃい男の子に可愛いって言われたの。ちょっと恥ずかしいけど嬉しかった♪」
「‥‥良かったな(←ちょっと理解不能、嬉しいと言ってるのでそう言う事にしてみる)」
「うん♪。外人だと思われたみたい。まぁ嘘ではないけどね、ほんとでもないかな?」
そう言えば高佳にはクォータだという話はしただろうか? けれどぱっと見れば純血の日本人ではないと分かるだろうし、馨がはとこだと言っているのだから薄々は気付いているだろう。特に聞かれないからまぁいいや、と神無は上機嫌にゲートをくぐった。
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