第1部<第2章>
『絶対よ? 約束だからね! 絶対に‥‥お嫁に貰ってね!』
『分かったから‥‥約束するから下りてきなさい。危ないから』
伸ばした手から逃げ、さらに少女は同意の言葉を強要する。投げやりに応えると嘘! と少女は拗ねた視線を向け、塀の上をさらに平行移動し始める。
『本当に約束してくれなきゃ嫌!』
『分かったよ‥‥。‥‥大きくなったら‥‥結婚する。‥‥嫁に貰うよ』
『本当ね! じゃあ約束!』
「王子、またこんな所でうたた寝して‥‥風邪引きますぜ」
夢が本当の終わりを告げる前に現実の放った投網が彼を岸へと引き摺り上げる。あ?‥‥と不機嫌そうな目を向けると、見知った顔が臆する事無く呆れ顔を向ける。三つ年上のラヤフと言う青年だ。
「昼寝くらい城でも出来ますぜ、王子」
「うるさい。何処で寝ようと勝手だろう?」
「だからって何も墓の上で‥‥」
「‥‥どうせ空の墓さ。中に在るのは土くれと人形‥‥。だからかな、もう十年目のあの日だというのに花さえ手向ける気にならん」
「それよりも何よりも‥‥。好奇の目で見てる娘達が王子が寝てる間に既成事実を作り上げないかどうかの方が心配なんすけどね‥‥」
「うっ‥‥それは困る‥‥。襲うのは好きだが襲われるのはな‥‥」
ははっ‥‥と呆れの笑いが青年から漏れるが構わずフィリーンは立ち上がって手足を伸ばした。夕方には少し早い。このまま帰ってやるのも癪なのでもう少し暇でも潰そうかな、と考えているとそうだ、と隣で青年が声を上げた。
「なんだ?」
「この前カイラ王子に本当に王子が毎回毎回遊郭に行ってるのか聞かれましたんで、最近は行ってないって事と事情を少々話しておきやしたぜ」
「!! 余計な事話すな!! おまけに何だ!事情って!」
「いや、孕ませた、下ろした辺りだけちらっと‥‥」
「余計に誤解するだろうが!己は!! 早く帰って誤解を解いておかないと‥‥」
「なりません! フィリーン様!」
強い制止の声にフィリーンとラヤフは立ち止まった。声のした方から甲冑に身を包んだ壮年の男と法衣を着込んだ青年が現れ、それぞれフィリーンに最敬礼を示した。フィリーンの部下ではない。ラング・リ・ストゥの将軍、マザスムとストゥ・マイニアヌにあった神殿で幼神官であったディヌンだ。共に元はフィリーンの父に仕えていた者達である。
「それをやめろと言っているだろう。俺はもうお前達の主君でもなんでもない。で、どうした?」
「テュアナより戻りました所、城内の様子がおかしいのです。そして、様子を見るために城の周りを廻っていましたところ、カイラ様のクラムが血まみれで城壁の外に倒れていまして‥‥」
「! で!? 無事なのか?クラムは」
「幸い、私も異変を感じて城に向かっておりましたので、危ない所でしたがこの通り」
「クゥン‥‥」
フィリーンの姿を認めてクラムはディヌンの腕を抜け出し、襟巻きのようにフィリーンの首にまとわりついて頬擦りしてくる。ほっとクラムを撫でるのも束の間、フィリーンはすぐに表情を引き締めてそれでカイラは? とマザスムを見やる。
「残念ながらご無事は確認できませんでした。けれど城中異様な空気が漂っておりまして‥‥クラムの事もあります。一時我がお屋敷に、フィリーン様」
「しかし!」
「王子、こういう時こそ俺の出番ですぜ。なーに、ご無事ですよ、カイラ様は。ささっと行ってきまさぁ! 王子は将軍のお屋敷でお待ちを」
渋るフィリーンではあったがラヤフは元盗賊、彼に代わる事は自分には出来ない。それに頷くのも待たずにラヤフは城へ向かって駆け出してしまう。さぁと促すマザスム将軍に頷いて見せ、フィリーンは自分の乗って来た馬にまたがった。
「とんでもない事になりやしたぜ!王子」
緊迫した部屋の中に飛び込んできたラヤフの一声は吉報をもたらす物ではなかった。ラヤフの説明によると城内の人間は半分は生気ない人形のように己の職場や部屋で座り込み、動いている者達も虚ろにただある女の命を聞いているという。そのある女は、クィーンネクタリアと呼ばれる今日、ラング・リ・ストゥを訪問しているはずの他国の女王。カイラは両親と共に一室に閉じ込められているが椅子の上に座ったまま身動き一つしないとの事だ。
「新参者かと思いきや乗っ取りか! 俺を敵に回すとはいい度胸だ‥‥」
「それから王子、驚かずに聞いて下さいよ。ジーマとファディの二人が居やした! リルス王女と思われる少女も一緒に!」
「何だと‥‥? あいつらは死んだんだぞ! 俺達の目の前で!」
「そうなんすけど‥‥墓は空だし、実際俺達だって遺体を確かめたわけじゃ‥‥」
「言葉を変えろ、ラヤフ。ジーマとファディと思われる二人と、リルス王女に似た同じ年頃の少女が居たのだろう?」
「あ、ああそうだな‥‥。二人が成長したらこんなになったかなって奴と、リルス王女と同じ名前の少女が居やした」
どういう事だ‥‥? と呟くが答えられる者は此処にはいない。奇しくも三人が死んだのと同じ日に、何故こんな事が起きるのか‥‥。出来すぎている‥‥、そう思うのは勘繰りか?‥‥。
「とにかく、カイラだけでも助け出さないと‥‥。しかし、人を人形のようにしてしまう薬‥‥そんな物があるのか?」
「ありますよ、極身近に。失礼、フィリーン様」
入って来たのは三十代くらいの学者肌の男。クォレルと言う元城付きの薬師で、今はマザスム将軍の屋敷を間借りして薬の研究をしている男だ。
「その毒はおそらくミアーシですね」
「ミアーシ? ミアーシは茶葉であると同時に薬草のはずだ」
「ところが毒草と紙一重だったのですよ。普通茶とする時は金色を出すために乾燥させるでしょう? その時に毒素も抜けるのです。ところが生、緑葉のまま服用すると、植物状態になってしまい、量が多ければ即死します。緑葉と言っても普通の茶葉に混ぜてしまえば色では見分けられません。それから他にも。ミアーシの緑茶にロアと言う幻覚作用のある毒草を混ぜると他人を意のままに操れます。いやぁ、実におもしろかった‥‥」
「いつ、誰でそんな実験してたんだよ、おい‥‥。じゃあカイラはまだ助かる見込みがあるんだな? 解毒剤はあるのか?」
「まだ試薬段階ですが。けれどカイラ様はフィリーン様の教えられた通り、毒対策に食物は少量ずつ口に運ばれていたようですから試薬でも意識は取り戻せると思います。問題はラング王と王妃、それに城内の者達ですね」
現段階である試薬はこれだけです、とクォレルは紙包みを一つ差し出した。ついでにこれ一つで効くかどうかも怪しいと付け加える。構わずフィリーンはそれをクォレルの手から奪い、マザスム、ディヌン、ラヤフを振り返った。
「ラヤフ、カイラを助けに行く、助勢しろ。クォレルは一刻も早く解毒剤の完成を。マザスムとディヌンは城外の仲間達を集めろ。いや、それよりも先に俺とカイラが国外に出る準備をすすめてくれ」
「ではフィリーン様‥‥」
「解毒剤を待つ間カイラが再び捕らえられては終わりだ。一時、ラング・リ・ストゥを離れるしかないだろう。第一王子のカイラが居なければ相手もおいそれとラング王と王妃を殺めはしまい。半々の賭けだとは思うが、全滅よりはましだろう?」
「私もそのように思います。お気をつけて」
「ああ」
王座の間から隣室の控え室に移されるのを、カイラはぼやけた視界で感じていた。フィリーンが戻っていない事は先程まで隣室で荒れていた少女の様子で察しが付いた。それならば、彼が巻き込まれていないならば良い。副産物として自分達の無事も確保されたとは思うが‥‥。
そううまくいくかな‥‥。私一人の首を晒してフィリーンを誘い出すくらいの事はするかもしれない‥‥。フィリーンを危険な目に合わせる前になんとか此処から脱出しないと‥‥。だけど、手足の感覚は何とか戻って来たけど動けるようになるまでどのくらいかかるか‥‥。
空を静視したままカイラは無言で抵抗を続けていたが、さっと視界の上から下へ物が横切ってその手を緩めた。ぼやけて誰だかは分からなかったが人のようだ。きょろきょろ辺りを見回すらしい仕草をした男は上に向けて手を上げる。と、上からもう一人の人影が降ってきた。どちらも黒尽くめの服でシルエットからして男のようだ。不意に男の手がカイラの顎を掴んで口の中に何かを流し込む。毒かと思い、その手を払おうとした己の手が振り上げられた。それに驚いていると視界からもやが消えていく。
「あ‥‥」
「大丈夫か?カイラ」
「フィリーン?‥‥。どうして‥‥」
「クォレルが解毒剤を持っていた。どうやら当たりだったようだな」
「じゃあ父上と母上も‥‥?」
「それは無理だ。まだ試薬でお前に飲ませた分しかない。それにお前達三人だけでなく城中が‥‥」
フィリーンの言葉を遮ってもう一人の男、ラヤフがフィリーンの体を壁に押し付けた。自分はドアを挟んだ反対側にまわって同じように背を付ける。足音が聞こえるのに気付いてフィリーンはカイラにも合図を送る。察してカイラは椅子の上で元の姿勢に戻った。扉が開く、入って来たのは女一人。その扉が閉まり切る前にラヤフが女の首を羽交い絞めにしてナイフを突きつけ、フィリーンはすかさず扉を閉めて鍵を下ろした。
「こんばんは♪お嬢さん」
「何者‥‥」
「大声は出すなよ。お前こそ何をしにこの部屋へ‥‥。ファディ?」
女性の正面に回り、その顔を認めるとフィリーンは表情を強張らせた。何々?とカイラがひょこりと立ち上がって女性の顔を覗き、ラヤフも上から女性の顔を覗いてあ、本当だ、と呟く。
「だから俺が言ったじゃないっすか!王子!」
「黙れラヤフ。お前は本当にファディなのか? お前は十年前の今日‥‥。いや、死んでいなかったのか‥‥」
「‥‥」
「ファディ! 何処行ったの?ファディ。一緒に寝ようって言ったのに‥‥」
拗ねたような少女の声が扉の向こうから聞こえ、女性は大きく息を吸い込んだ。はっとラヤフは女性の口をふさぎ、ナイフを床に放り出して振りほどこうと暴れる女性を抱き押さえる。
「王子! ひとまずカイラ王子を連れて逃げてくだせぇ!」
「何?‥‥どういう事? フィリーン、ラヤフ‥‥」
「来い!カイラ!」
「でもラヤフは‥‥」
「心配するな、あいつを誰だと思ってる」
「そういう事♪。俺らの努力を無駄にしねぇで下さいよ、カイラ王子。さぁ早く!」
カイラの座っていた椅子を踏み台にしてさっとフィリーンは天井裏に上がった。同様にカイラも、と言っても天井裏まで届くわけが無いのでフィリーンの伸ばした手を掴んで引き上げてもらう。城を出るまでの間、フィリーンは口を開こうとはしなかった。何かを自問するように、激しい感情を押し殺した目を前方に向けていただけ‥‥。
目を覚ますと同時にお目覚めですか? と声をかけてきたのは見知った顔だった。あ、うん、と返事を返すとすみませんね、と笑って男はベッドの傍らに腰を下ろす。他の者はこんな気安い真似はしないが、かえってそれがカイラには好感が持てた。
「朝から野郎のモーニングコールで。けれどこの屋敷の花はマザスム夫人お一人‥‥。愛らしいメイドの一人でも雇えば良いのに」
「あはは。自分で助手でも雇ったら?クォレル」
「むー、助手よりも配偶者との出会いの方が私的には重要かつ魅力的な気が‥‥。ところで、ご気分はいかがですか? 私の薬は効きましたか?」
「うん、とても良いよ。私は飲んだ量も少なかったし。けれど、あの毒は一体なんなの?クォレル」
「それが幸いでしたな。カップ一杯がぶ飲みしていれば命も危うかったでしょう」
うんうんクォレルは頷き、なんだかものすごくはぐらかされている気がするが、彼の場合それが本気なんだかからかっているのか分からない。結局では朝食に、とベッドを追い出されてしまう。フィリーンにでも聞くか、と思っていると向かいからフィリーンが肩に毛足の長い動物を乗せて歩いてくる。その動物は主人に気付いてさっと肩を降り、そのままカイラに飛びついた。
「クォン!」
「クラム! 良かった、お前も無事だったんだな」
「遅いから迎えに来たぞ。起こすのに何分かかってる‥‥クォレル」
「いえ、どうやったら気持ちよくお目覚め頂けるか思い悩んでおりまして‥‥」
「悩まんでいい‥‥。さっさとしないとせっかくの朝食が冷めるぞ」
素っ気無くフィリーンは身を翻すがその気遣いがいつもの朝を錯覚させた。何も起こらず、ただ平和なだけの一日が始まる様を。けれど‥‥昨日この身に起こった事は紛れもない現実なのだ。食堂に顔を出すと予想していたより人数が少ない。一人で食卓についていたラヤフが入って来た三人、特にカイラに気付いて軽く手を上げる。
「おはようさんっす、カイラ王子」
「ラヤフ! 無事戻ってこれたんだな」
「カイラ王子がお眠りになった頃には着いてやしたよ。いやはや、ちょっと手間どっちまいましたけど」
「そういえば昨日の報告を受けていないな。クォレル、お前にも」
「まぁまぁ、そう硬い顔をなさらずに、フィリーン様。まずはマザスム夫人お手製の朝食を頂きましょう」
「お恥ずかしい料理ですがどうぞお召し上がりください、リルアーヌ王子、サルス様」
マザスム夫人の誘いは断れなかったのか――クォレルだけなら間違いなく断っていただろう――大人しくフィリーンは食卓に着いた。マザスム夫妻と幼い兄弟二人だけの家族なので四人が座ればいっぱいだ。クラムには用意してくれていた林檎を与え、カイラもさじを手に取った。ラヤフは先に食べたらしく、テーブルの上には何ものっていない。
「で、ファディ‥‥あの女からは何か聞き出せたのか?」
「いーえ何にも。ただ外でファディを呼んでたのはリルスって女の子でしょうな。声に聞き覚えがありやしたから」
「私もそう思うよ。ただ私が聞いた時とは随分口調が違ったけど。私が聞いただけで彼女は三通りの話し方をしてる‥‥」
「‥‥。混乱するからお前の話は後。それで? お前があれをファディだと断言する要素は何だ?」
「疑り深いっすね、王子は‥‥。いい加減認めたらどうです? あれがファディだと。根拠は色々ありやすぜ。まずは顔、あれが成長してたらこんな感じかなーって感じだったし、何よりあのいけ好かない目っすね。『てめぇなんかが王子のお傍にいるんじゃねぇ!』って感じのにくったらしい視線!! ちっとも変わってやしねぇ、あれはファディっすよ、間違いなく」
「ファディにはこっぴどく嫌われてましたからねぇ、ラヤフは。そのくせ好きだったんでしょう? あははっ! 好きな子を思わず苛めてしまう屈折少年の典型的心理! そして今でも好きな子を間違えるわけが無い!」
だーまれ!己は! とラヤフは叫ぶが隣のフィリーンに押さえられる。分かっててこの席選んだな‥‥とカイラは隣に座っているクォレルを見やり、ついで頬を真っ赤にして耐えている向かいのラヤフに向き直った。
「で? 収穫ゼロで戻ってきたのか?」
「意地が悪いっす、王子‥‥。ちゃーんと戦利品は頂いてきやしたぜ。ファディが手に持っていた薬を奪って来やした。おそらくミアーシの毒っすよ。これで証拠は‥‥」
「いや、その逆。ラヤフが持ち帰った薬はミアーシの解毒剤でした。それも完璧な。私が計算上考え出した配合を上回る完璧な配合です。けれど分量は一人分未満‥‥。ファディはおそらく三人のうちの、誰かを逃がそうとしたんでしょうな」
「ファディの性格から考えりゃカイラ王子っすね♪。王妃の可能性も高いっすけど愛しい王子のためには王子の弟的存在であるカイラ王子を助ければ‥‥って事っしょ?」
「ちょっと待て! 何で『愛しい』なんて言葉が入る!? 復讐するなら相手が違うだろ! 第一‥‥何故十年前あんな事をしでかしたファディが今になってカイラを助ける?」
「十年前?」
言葉の端を拾ってカイラが首をかしげると、はっと言い合っていた向かいの二人が凍りつく。ああ、その件でしたら‥‥とクォレルが早速口を割りかけてすかさずフィリーンに睨まれている。
「余計な事を吹き込むな、クォレル」
「おや‥‥いつもご自分でもう部下でも主人でもないとおっしゃられている方が私にご命令を?」
「人の揚げ足を取るんじゃない!」
「大体過保護なのですよ、フィリーン様は。カイラ様とていつまでも尊公に手を引かれている幼子ではないのです。秘密は必ず見つけ出し、自分がその外に置かれている事に不服も覚えましょう。さぁ、カイラ王子もずばっと一言♪」
「フィリーンが黙ってるつもりなら私も一切口を閉ざすから。惜しいな、多分リルスって子とまともに話したのは私だけだよ? クォレル、あとでゆっくり話そうか」
「うわぁ!あの純真だったカイラ王子がクォレルなんかの悪の手に染まっていくー! いいんすか!?王子!」
いいわけない、と応えてフィリーンは引きつった苦笑を浮かべた。クォレルの勝ち誇った微笑に気付いたからだ。それに‥‥どちらかと言うとそれは自分のそんな態度を見て真似し始めたんだと思う‥‥。
「分かったよ、悪かった。お前が完全に忘れ去ってたなら、わざわざ思い出させたくは無かったが‥‥。事は十年前の昨日と同じ日に起こった。ファディと、もう一人ジーマという奴がいたんだが、それまで二人供神殿に預けられていて戦後の俺の様子を知らなかったんだ。それが神殿から久々に出てきてみれば俺はお前に付きっきり、仇の国ですっかり骨抜きになってた。それが許せなかったんだな‥‥」
「あいつらは幼い‥‥」
「幼かったお前を人質にしようとして、俺が止めに入り、揉み合っているうちに足を滑らせて崖に落ちた、二人供。遺体は上がらなかったが小さな子供の体だ、谷川に流されたんだろうと、空の墓だけが立てられた。俺も、二人の死は疑った事はない、昨日までは」
「ファディはフィリーン様とは幼なじみだったのですよ。血縁でもありましたが血は遠かったですね。戦の時、彼女は五歳でしたがそれでも鮮烈に覚えていたのでしょうね‥‥。幼い自分を庇いながら、苦しみに耐えて立っていたフィリーン様を‥‥」
「やめろ‥‥クォレル。昔の話だ」
「‥‥じゃあもしかしたら彼女もそれ関係かな‥‥。フィリーン、リルス=アヌマーン=ストゥ・マイニアヌという少女に心当たりは無い? 年は、ちょうど私と同じくらいか少し幼いか‥‥」
何? とフィリーンが顔をしかめたのはその姓にか‥‥。カイラは彼女がそう名乗っていた事、フィリーンが戻れば婚儀を挙げようとしていた事、そして彼女らがフィリーンを王として迎えようとしていた事を話す。始めこそ面食らっていたフィリーンだが、話が進むうちに冷静さを取り戻して考え事をしているのか顎に片手を当てる。
「あの母娘がフィリーンの親戚なのかと思ったんだけど、違った?」
「俺の血縁はもうファディしかいない。それ以上遠いのは分からんし。だがストゥ・マイニアヌの姓を名乗れるのは俺しかいないのは確かだ。お前と同じ年頃じゃ、戦の後に生まれた事になる。‥‥お前、母親の方の顔は見たか?」
「ううん、毒を盛られた状態だったから、声しか分からない」
「そうか‥‥」
「何なのかな‥‥この事件‥‥。向こうはストゥ・マイニアヌの再建が目的みたいなのに、フィリーンが相手を知らないなんて。フィリーンを立てて正統な王権を主張しようってだけなのかな?」
「おや‥‥カイラ様、いつの間に指輪をお換えになったのですか? ついでに指も」
「え?」
テーブルに投げ出した手に目を留め、クォレルが呟く。普段は右手中指にはめていたので薬指にどうも違和感があると思ったら‥‥。あ、本当だ、とカイラが呟くのが早かったか、フィリーンがいきなりカイラの手首を掴んでじっとそれを見つめる。
「いっ‥‥たいんだけどフィリーン‥‥。何?」
「お前の指輪、お前に渡した『リング』のコピーだったな、本物は持っているのか?」
「あ、うん、それは大丈夫」
掴まれた腕をまくりあげると二の腕に鈍い金色の腕輪がはまっている。無くなったリング、入れ替わったリングとデザインが良く似ている。ただ入れ替わったリングは銀色でトップに水晶と思しき珠がついている。
「なら良い。ちょっと貸せ」
「あ、うん。それ、フィリーンのリングに似てるね」
「ああ、そうだろうな」
言葉少なに言ってフィリーンはじっとカイラから奪ったリングに見入る。しかししばらくして本物か? とクォレルに手渡した。ちょっと困ったようにクォレルも同じようにリングに見入っている。
「何?フィリーン」
「その前に、あれが誰の物だったか分かるか?」
「うーん‥‥。リルス王女があんな感じの銀のリングをはめてたような気がするけど。はっきりとそれとは言えないな」
「いくらカイラ王子の指がまだ細くて華奢っても‥‥。わざわざ細い指に入れ替えたって事は女がしてたと見るのが妥当っすよね」
「ていっ!」
「!!」
話をしているちょうど間にクォレルは腕を振り下ろした。ぱりんっと音がして三人が凍り付いているとやっぱり割れたか、と当のクォレルは上機嫌に笑っているが‥‥。テーブルとその下にはリングに付いていた水晶、と思われていた硝子が散乱している。
「‥‥クォレル! 大事な証拠を壊すな! その前に本物かと聞いたのに何故割る!?」
「だって私は石なんて粉末にした物しか縁が無いですし。学者と一まとめにされても困りますよ。まぁ硝子っぽかったので確かめるには割るのが一番かと。本物の水晶ならこの程度の衝撃では割れませんからね」
「お前と言う奴は‥‥。適当な物使って直して来い!」
「あはは♪怖いですね、フィリーン様は。研究室に硝子珠あったかな〜」
見事フィリーンを脱力させることに成功した男は笑いながら部屋を出て行く。で、なんなの?とようやくカイラが切り出せたのはそれからしばらくの後だった。
「あれは母上が持っていたはずのリングなんだ。いや、そのコピーと言うべきだな。あれのオリジナルは俺の持っている『サナソルムの腕輪』を元に父上がデザインした物で本当ならクォレルが壊した硝子珠は極上の水晶だった。あれとお前のリングを入れ替えた奴はお前の持つ『アイハームの腕輪(』が目的だったんだろう」
「‥‥全然大きさ違うけど?」
「『リング』という装飾品は本来指輪を指すからな。ストゥ・マイニアヌ王家に伝えられている事は知っていても実物を見た事が無いために母上のリングとそれを勘違いしたんだろう。お前がイミテーションの指輪を持っていた事でさらに確信したんだろうな。俺は戦の前からこれの事は知っていたが」
「神殿にいたジーマは知らない可能性が高いっすね。俺も実物を見たのは戦の後やしたし。でも王子、ファディは?」
「ファディも見てないと思う。母上にリングを贈った事は知っているはずだがな」
ふうん、と呟いてカイラは再び腕をまくって腕輪を見た。これを見ていると思い出す。フィリーンがこれを渡してくれた神殿の跡地。そしてそこの石碑に書かれていた文句をフィリーンが読み上げてくれた事。
――白き精降る時より来る。そは流れ別れし一つ星。堕天の時より来たりて舞い降りぬ。
水の結晶出会う刻(、子らは新雪の時へと歩み始める‥‥――
「不思議だな。今更だけどあの神殿の石碑に書かれた言葉を思い出す‥‥」
「ああ、あれか。奇遇と言うべきかな、俺はあれと二つのリングの事を教えてくれた巫女の事を思い出していた」
「確か、意味を説明してくれたよね、フィリーン」
「ああ、確か『雪の降る方から来た双子が新しい道を歩み始める』とかいう内容だったか?」
「いや‥‥違ったと思うよ、フィリーン‥‥」
「ああ、神殿にあった石碑の話っすか? それならフィディア殿がお詳しいっしょ?」
それだ!と思い付きのように――いや思い付きだろう、多分――フィリーンは叫んでそれから即フィディアに会いに行こうという結論に至る。フィリーンにしては珍しく短絡的な発想だな‥‥と思ったのはカイラだけではないらしい。
「王子‥‥確かトグルに行かれるとか言ってやせんでした?‥‥」
「いいだろ、トグルなら同じ北、アビス・プクト神殿なら大した寄り道じゃない。事は腕輪(に多少なり関係しているようだし、フィディアなら別の道を示してくれるかもしれないしな」
「え‥‥トグルに行くの?フィリーン。じゃあ私は留守番‥‥」
「お前が行くんだよ‥‥カイラ」
「うっ‥‥だってあそこのソール王子苦手で‥‥」
「あの人が得意な人間なんか居るものか‥‥。借りなんて作った日には何されるか分からんがこんな妙な事態、まともに取り合ってもらえるのはトグリッサ王家くらいだ。他の王家じゃ俺も顔が利かない」
それはそうだけど、とカイラは諦めのため息。おそらく喜んで協力を受けてくれよう。本当にその見返りが何になるか分からないが。
「じゃあアビス・プクト神殿に寄ってから行くんすね、お気をつけて♪」
「お前も来るんだよ‥‥ラヤフ」
「いや!俺よりもマザスム将軍とか‥‥」
「マザスムは顔が割れてる可能性が高いから駄目だ。残った兵をまとめる役も必要だし。クォレルは解毒剤作り、ディヌンは一応神官だから危険事はご法度、お前しかいないだろ?」
「あ、私はこのままで大丈夫なのかな? 他の国に行けばそうでもないと思うけど、ラング・リ・ストゥでは金髪って珍しいらしいし」
「それに関しては問題ない。隣の部屋に準備済みだ」
とフィリーンが隣室を指す。かつらでも用意したのかな‥‥。と思っていると、がっ!とフィリーンの手が肩にかかった。始めに悪寒を感じたのはおそらくその時であろう‥‥。
1章へ/3章へ