第3部<第8章>
 「‥‥あた‥‥た‥‥」
頭痛がひどい。体の下はごつごつとした岩なので強か頭を打ったのかもしれない。起き上がって此処は? と見渡す場所に覚えはない。ただ暗いだけの、冷たい洞窟。誰もいないのか? とさらに見回すと自分の片手を握り締めたまま、ブランカが倒れている。
「ランカ‥‥」
少しほっとしながらカイラは少女の手を離し、上半身を抱き起こして軽く揺すった。長い睫に縁取られた瞼は上がらない。カイラが頭を打っていたのだ、当然彼女だって‥‥。急に不安になってカイラはさらに彼女の体を揺さぶる。
「ランカ! 目を覚まして!ランカ!」
「‥‥うっ‥‥カイラ、王子‥‥?」
「ランカ! ‥‥良かった‥‥。起きないから、死んでしまったのかと‥‥」
カイラがほっと息を付くと、抱き起こされていた事に気付いてかブランカは白い頬に朱を差した。そのまますぐに上半身を跳ね起こしカイラの腕から離れ、別方向に視線を巡らせる。そして戸惑ったように再びカイラを見上げた。
「サルス様は? それに、仮面(マスク)殿とシアル殿‥‥」
「分からない。私が気が付いたらランカ、貴女と二人だった」
「おかしいですね‥‥。仮面(マスク)殿とシアル殿はともかく、私はサルス様の手は離さなかったのに‥‥。誰かに、掠め取られた?‥‥。干渉があったのは確かだし‥‥」
「? 一体何があったの?ランカ」
「私と仮面(マスク)殿が魔術を使う前、屋敷が揺れたのは覚えていらっしゃいますか? あれは二番目の結界が破られた証。そして転移の最中に敵方の魔術師(ソーサラー)あるいは魔具師(タリス)から魔術の干渉があって、おそらく私達はばらばらにメターナ・ネウユの本神殿近くに飛ばされたのでしょう」
「あー、ごめん、さっぱり分からない。そもそも魔法と魔術って何が違うの?」
夢中で話していたブランカはきょとん、とした表情を見せ、すぐに失礼を、と苦笑した。『ついでに言えば宮廷魔術師(テンプルソーサラー)も何?』と溜めていた疑問も吐き出すとそうでした、とまた苦笑してブランカは立ち上がる。三人を捜しながらにしようということらしい。
「ラング・リ・ストゥには、いえ、トグル以外には宮廷魔術師(テンプルソーサラー)は存在しないのでしたね。失礼を。魔法と神意魔法の違いは分かりますか?」
「何となく。魔法使い(ウィザード)と呼ばれる人達の魔法は年に一度、トグルの本神殿で祝福の儀と呼ばれる物を受けた上で何年も修行して得られる自然界の、戦うための魔法。それに対して神意魔法は巫女や神官が神から得る慈悲の力、すなわち癒し系のみの魔法、でいいのかな?」
「ええ、本来転移魔法は神意魔法にしかありません。それを真似たのが先程の転移魔術です。魔術とは元々魔力のあるもの、あるいは己の魔力を与えた物――これを私達は魔具(タリスマン)と呼びますが――この魔具(タリスマン)を使った魔法が魔術。一見簡単そうですが魔法よりもはるかに難しい高等技術です」
「さっき転移魔法を使う時に砕いた石も、魔具(タリスマン)? あれ?‥‥。ソール王子もあれを使って転移してたけど、あれは魔法を使えない人でも使える物なの?」
「‥‥。お兄様は魔術師(ソーサラー)です。ご存知ありませんでしたか?」
「ええ!? 全然! そんな事ソール王子から聞いた事もないし、ソール王子が魔法を使ってる所も見た事ないよ!?」
そうでしたか、と言ってブランカはすっと視線を下げる。何かまずい事を聞いてしまったか?‥‥とカイラは戸惑う。が、再び視線を上げたブランカは先程と少しも変わらない、感情の薄い仮面のような表情のままだ。
「トグリッサ王家は代々、祭司または神殿魔術師(テンプルソーサラー)を務めてきました。だから全く魔法が使えない事の方が珍しいのです。お兄様のお義兄様、第一王子はその珍しい例外でした。お兄様はお母様が魔具師(タリス)でしたので、とても優秀な魔術師(ソーサラー)でした」
「でした?」
「お兄様は、ある事情で魔力を封印されてしまい、ちょうど十年前から全く魔法を使えなくなってしまったのです。魔具(タリスマン)は使い方が特殊なだけで、それの使用には魔力を必要としません。だからかろうじて簡単な魔具(タリスマン)は扱えますが、カイラ王子がご存知なかったのも無理はないですね」
「あ、ごめん‥‥変な事聞いて。ええっと、魔術師(ソーサラー)の方が魔法使い(ウィザード)より強いって事でいいんだよね? ? じゃあ魔具師(タリス)は何?」
「魔術を扱う者にも二段階あります。一つ目が魔具師(タリス)魔具(タリスマン)を使った魔術は使えますが自分自身では魔具(タリスマン)を作り出せない者。私がこの魔具師(タリス)に当たります。二つ目は魔術師(ソーサラー)魔具(タリスマン)を扱い、自分自身で魔具(タリスマン)を作り出せる者。お兄様や私の父、トグリッサ王家宮廷魔術師(テンプルソーサラー)の長はこちらの魔術師(ソーサラー)です」
「ふーん、なるほど。じゃあ宮廷魔術師(テンプルソーサラー)はトグリッサ王家に仕える魔術師(ソーサラー)って事?」
まぁ簡単に言えばそうです、と軽くブランカは肯定する。けれどそれだけではないだろう。現にカイラは『ランカは魔具師(タリス)なのに宮廷魔術師(テンプルソーサラー)? それに代々の王族も?』と首を傾げている。その様子に逡巡していたブランカは躊躇いがちに口を開いた。
「まぁ‥‥いずれラング・リ・ストゥにも宮廷魔術師(テンプルソーサラー)は必要になるでしょう‥‥。宮廷魔術師(テンプルソーサラー)は何も魔術師(ソーサラー)の集団ではありません。ある程度魔法に長け、剣技、格闘技、その他魔法を失った状態でも要人を守り抜く護衛集団です。元々は神殿を守る者でしたが、それが変じて今は王家を守る者となっています」
「ああ、それでランカの手に剣だこが‥‥。魔法を使うにしてはおかしいな、と思ってたんだよね」
「!(‥‥お兄様がおっしゃるほどおっとりした方でもないように思うのですけど‥‥)」
「‥‥? ランカ、向こうで大きな物音がしなかった?」
「! この気配‥‥? 急ぎましょう!カイラ王子! 誰かが魔法で戦っています!」


 目を覚ました途端フィリーンは殴られたような頭痛に襲われ、再び意識を手放しかけた。それを癒すように上からそっと柔らかな光が届いた。シアルか? と思ったが彼女なら真っ先にフィリーンの無事を問うだろう。では?‥‥と視線を上げると少しばかり悲痛を浮かべた表情のファディがいた。
「ファディ‥‥お前!」
「きゃ!」
「お前達!リルスに何をした!? リルスにカイラを殺させようなど‥‥」
「申し訳、ございません、フィリーン様」
がっと癒していた手を掴み、詰め寄るとファディは意外にも素直に謝罪した。頭を下げるその姿は、昔と大差ない、優しい少女に見える。が、リルスや自分が操れていた事もある。慎重にフィリーンはファディの手を掴んだまま彼女が楽なように体制を変えてやる。
「どういう事だ?ファディ。お前は、ジーマやクィーンネクタリアに脅されていただけなのか?」
「始めは、リルス様を攫った時は違いました。リルス様やカイラ王子が憎かった‥‥。でも、記憶を刷り変えられたリルス様はこんな私を姉と慕ってくださって‥‥。自分が馬鹿な事をしているのには当に気付いていました。何度リルス様のもう一人の人格を消そうとし、リルス様を連れて逃げようと思ったか‥‥。けれどあの恐ろしい女が、ジーマを通していつも私を監視していたのです。リルス様に真実を告げる事は、許されなかった‥‥」
「‥‥後悔、してるんだな?十年前の事」
「はい‥‥フィリーン様が王位をお望みになっていない事、一番良く分かっていたのはあの時尊公の背で震えていた私ですのにね‥‥。愚かでした‥‥」
「真偽はともかくとして、リルスとカイラを捜す。二人が衝突する前にな‥‥。付いて来い、ファディ」
「‥‥はい」
叱られた時、フィリーンと喧嘩した時、彼女が見せる哀しげで下向きな視線。変わらないな、とフィリーンは少し笑った。もちろん視線を下げている彼女に分かるはずもない。立ち上がったファディに少し止まるよう手を差出し、フィリーンはがら空きの額に唇を付けた。それが昔のフィリーンの、『ごめん』『もう怒ってないよ』のどちらも含んだ『仲直り』の合図だった。
「!! フィリーン様!?」
「仲直りだ、ファディ。立場上お前を全面的には信用できないが、それでも俺自身はお前を信じている。話してくれるか? お前達の身に起こった事」
「はい、もちろんです。事の起こりは十年前の、あの事件の少し前でした。同じ絶対神キルアーナの本神殿に引き取られた私達を、あの女がフィリーン様の使いと言って迎えに来たのです。神官達はあっさりとラング・リ・ストゥまでの外出を了承しました。ジーマも、全く疑っていなかったと思います。ジーマはあの時、能力に封をされていましたから」
「そのお前達を、あの女はストゥ・マイニアヌ復興のためと称して協力させたんだな?」
「はい、リルス様を攫った後、あの女の魔法で連れて行かれた場所で私達は育ちました。そこが何処かは、残念ながら分かりません。ただジーマは神意魔法を捨て、私達は魔法使い(ウィザード)として、リルス様は魔具師(タリス)、いずれは魔術師(ソーサラー)として育てられました。もっとも、ジーマも魔具師(タリス)としての才を発揮しましたが」
――じゃあブランカ殿の魔術に干渉したのは二人のどちらかか、どちらもかだな。しかし、リルスが魔具師(タリス)の上にジーマもだと? こちらで魔法を使えるのは仮面(マスク)とブランカ殿‥‥。ブランカ殿もおそらくは魔具師(タリス)止まりだな。これはちょっと‥‥厄介な事になりそうだ――
「ファディ、あの女はストゥ・マイニアヌを取り戻してどうするつもりなんだ?」
「さぁ‥‥私もそこまでは‥‥。けれど、ストゥ・マイニアヌ復興で満足するとも思えません。おそらくは‥‥」
「世界征服、か? 馬鹿な事を考える。一国の王の座を奪い取ろうって心情も分からんのに世界征服だと‥‥何倍だ?」
「フィリーン様、おふざけになっている場合ですか‥‥? 重要な事を、リルス様の別人格はミアーシとロアの毒とは別にあの女の魔術で構成されています。リルス様を完全に本来の人格に戻すにはあの女を‥‥」
「! 何だ?今の物音は」
「この気配は魔法! 誰かが魔法で戦っています! リルス様とカイラ王子でなければ良いのですが‥‥。急ぎましょう!フィリーン様!」


 じっ‥‥とシアルは自分の足の上の少女を見やった。オレンジ味の強いタンポポ色の髪、気を失って瞳は見えないがその色がサファイアに似ている事はすでに知っている。すやすやと自分の膝の上で寝息をたてる仕草は人形のように愛らしいが、先刻彼女には魔法攻撃されながら追い回されたばかりだったので素直に可愛いとは思えなかった。
「どうしよ〜。私この子と二人っきり? 仮面(マスク)何処行っちゃったの〜? 這いつくばって逃げようかしら? あ!でもフィリーンが解毒の魔法で治ったんだからこの子も治るわよね。シアルちゃんあったまいーい♪ 大人しくしててよ?仔猫ちゃん」
妙な親父のような命名だったがシアルはこれが思いの他お気に召した。リルスという名前も彼女のころころした性格も今の寝顔もぴったりではないか。それはともかくとして魔法をかけよう。起き上がって噛み付いたりしないか、と警戒しながらかける魔法にはやはり確かな手ごたえがある。
「やっぱりね、この子もミアーシの毒を飲まされてたんだわ。それに‥‥この気配は魔法? ‥‥うーん、私じゃ手におえそうにはないわね。仮面(マスク)か、あのブランカって子なら分かるかしら、った!」
「! 何!? 誰!?」
がばっと起き上がったリルスの頭が覗き込んでいたシアルの顎を下から突く。危うく舌を噛みそうになりながら、寸でのところで免れたシアルはあたた‥‥と顎を押さえながら少女を見やる。
「お目覚め?仔猫ちゃん。貴女寝起きの頭突きはひどいわよ?」
「あんたは‥‥カイラの仲間の! カイラは何処!? 今度こそ殺してやるんだから! 言いなさい!」
「ちょ‥‥毒は抜いたのに〜。貴女ね! どういう育てられ方したんだか知らないけど!カイラは貴女の実の兄、双子のお兄さんなのよ! それを殺すって言うの!?」
「カイラが‥‥兄‥‥? ふざけないで! リルスはフィリーンの従妹なの! ストゥ・マイニアヌの血を引いてるのよ! カイラと兄妹なわけない!」
「だからそれがそもそも違うって言ってるの! フィリーンにはファディしか親戚はいないのよ! 皆十六年前の戦で殺されちゃったの! 戦の後に生まれてる貴女がフィリーンの血筋なわけないでしょ!」
「嘘ばっかり! 私を騙そうったってそうはいかないんだから!」
何よ!分からず屋! というシアルの文句にリルスが応戦し、二人の舌戦は十数分続いた。両者とも疲れて言い合う言葉も失ってきた頃にはシアルは手持ちの知識を洗いざらいぶちまけ、最後にあんたとカイラ顔がそっくりなのよ! と叫んだ。リルスの方はさすがに反論の言葉が浮かばなかったしく、ぐすぐすとぐずり始める。
「じゃあ‥‥なに? クィーンネクタリアはリルスのお母様じゃないって言うの? そんなの‥‥ファディかフィリーンに確かめるまで信じない」
「あー、そっ。じゃあフィリーン捜してきてよ。あーあ、疲れちゃった。こんなにしゃべったの久し振りよ」
「何よ! 自分は一人で休んでようって言うの!?」
「‥‥お言葉だけどね、仔猫ちゃん。私の足が動いてたら真っ先に貴女なんか置いて逃げてるわよ? さっきは散々追いまわしてくれたものね」
「さっき‥‥? 何?足が動いたらって。動かせばいいじゃない」
「歩けないのよ、私。昔足首の骨を粉々に砕かれて‥‥。ってその記憶もないんだけどね。私が本当に『シアル』なのか、人の記憶でしか裏付けられない‥‥。あ〜仮面(マスク)何処行っちゃったの〜?」
彼がいなければ自分は不確かな記憶と不安の海で溺れて二度と岸には戻れないだろう。彼は歩けない自分のための足ではない。もちろん足としての役目を買って出てくれているが、いつ潰れてもおかしくないシアルの精神安定剤なのだ。
「‥‥ごめんなさい‥‥」
「ほへ?‥‥」
「知らなかったからって、いっぱい酷い事言っちゃった‥‥。ごめんなさい」
「‥‥。いいよ、別に気にしてないもん。らしくないわよ?仔猫ちゃん」
「リルス! でもフィリーンとファディに会うまであんたの言う事は信じてあげないから!」
「いい根性してるわよ‥‥ほんと。私はシアルよ、リルス。あんたじゃありませんから」
シアルの笑みにつられたようにリルスははにかんだような引きつった笑みを漏らした。変な顔、と自分で言ってすぐに頬をつねるがその笑みは確かに、離れて過ごしたカイラ(あに)に似ていた。
「やっぱり兄妹ね‥‥カイラとリルス」
「兄妹じゃないったら! ‥‥でも、なんで?」
「笑い方、悪いと思ったらすぐ謝ってくれる所、そっくり!」
「!! 今の音‥‥誰か、魔法を使った‥‥」
「‥‥仮面(マスク)! 仮面(マスク)だ!戦ってるの! そうよ‥‥でなきゃ仮面(マスク)が私を捜しに来てくれないはずがないもの‥‥。ケガしたのかしら‥‥行かなきゃ!」
勢い良く立ち上がったシアルだが足を踏み出した途端、バランスを崩して前のめりに倒れた。大丈夫!? とリルスが気遣ってくれるのが少し嬉しかったが、今はそれを噛み締めてはいられない‥‥。
仮面(マスク)‥‥」
「駄目!シアル! 下岩なんだよ!? 這ってなんか行ったらシアルが傷だらけになっちゃう!」
「なんで‥‥なんで動かないのよ! 私の馬鹿足! なんで‥‥仮面(マスク)が危ないのに私こんな所で這いつくばってなきゃいけないのよ‥‥」
「シアル‥‥。リルスに掴まって!シアル!」
「リルス‥‥? 貴女に私が支えられるわけないじゃない! それよりも誰か捜してきて、仮面(マスク)を助けられる誰か‥‥。皆近くにいるはずよ!」
「飛行呪文は得意だから大丈夫! 大事なんでしょ? リルスのフィリーンくらいに‥‥」
ごめんね、ありがとう、とシアルはリルスの小さな肩に片手を回した。体が少しだけ浮き上がる。リルスがシアルを支えながら少しずつ歩き出す。人を飛ばすのは不慣れなのか、もどかしい早さだ。けれど、これ程前に進める事が嬉しかった事はない‥‥。


 転移の途中で誰かに――もっとも、その相手も正確に――魔術干渉を受けたのは分かった。少々の危険は承知でシアルの手を離したのも、記憶に新しい。何処かに投げ出されたショックで全身を強打したが記憶が途切れた覚えはない。だから、いつ自分が呪縛をかけられたのかさえ仮面(マスク)には分からなかった。ただ現実として自分は呪縛の魔法をかけられ、不本意ながらその身を磔にされるように起こされて壁を背にする形となった。
「‥‥あまり良い趣味ともいえませんね。そんなに他人の心を覗く卑しい己の能力が誇りですか?」
「黙れ! ふんっ、私に見透かせぬはずだ。お前は人間ではないのだからな。お前は怪人(ファントム)仮面(マスク)の気まぐれで生かされた、ただの亡霊だ」
「!」
仮面を剥ぎ取ろうとするジーマの手を振り解いてやりたかったが首は少しも動かない。ただ、できる抵抗と言えば仮面を奪われた素顔で相手を睨みつけるだけ。その睨みをふんっと鼻で笑ってジーマはローブのフードも取り払った。
「なるほど、あのお嬢さんとは兄妹なわけだ。お嬢さんは知っているのかな? 知るわけがない。彼女に知らればお前はただの狂戦士(バーサーカー)と化し、お嬢さんを、殺してしまうだろうからな」
「シアルは此処にはいない。私を狂戦化(バーサーク)させようとしても無駄だ」
「どうかな? 此処に落ちたのは何も我々二人だけではない。いずれ私の仲間が彼女を此処に連れてくるだろう。大事な騎士(ナイト)の危機だと言ってな。それまで退屈しないよう私の実験に付き合ってもらおうか」
言うなりジーマは何もなかった右手に剣を現した。魔術で作られた剣、魔具(タリスマン)だろう。おもむろにそれをパルスナの心臓に突き立てる。パルスナの顔が苦痛に歪む。鮮血が飛び跳ねてジーマの頬や胸に散った。剣を抜くと鮮血は一瞬で止まり、肉も再生を始める。
「ふん‥‥やはり再生能力を持っているのか‥‥。しかし死人から赤い血が流れるのはどうも‥‥イメージに合わないな」
「貴公の他己虐待趣味のご期待に添えなくて残念だが、肉体は人と同じに再生してある。それとも、死人らしく腐乱した死体がお望みだったか?」
「いや結構。しかし、魔法で跡形もなく粉々に吹き飛ばしたらどうなるかな?」
「!」
ジーマの唱え始めたのは破壊の呪文。本来は山を切り崩したり道を開くためのものだ。それを人に向ければ当然‥‥。声を出す間もなかった。体が焼け、四肢が千切れる痛覚が襲う。激しい破壊音に耳が潰れそうだった。けれど散った肉片は元の位置に再生し、えぐられた岩壁に再びパルスナを繋ぎ止める。再生し切れなかったのか余分だったのか、パルスナは込み上げてきた血塊を口から吐き出し、二、三度咳き込んだ。
「素晴らしい‥‥。クィーンネクタリアの蘇生術もこれほどの再生は出来ない。だがやはりこの欠点は大きいな‥‥。まぁでも、お前が狂戦士(バーサーカー)になればこの仮面は私が頂く。蘇生術と、不死の実現のためにな」
「私は‥‥シアルを殺さない、殺させない‥‥。もし私が死んでも、仮面はお前を選ばないだろう。なぜならお前は怪人(ファントム)仮面(マスク)にふさわしくな‥‥」
「黙れ!」
「ぐっ‥‥」
もう二度と、妹を失う思いなどしたくない。同じ兄として、カイラにもその思いをさせたくない。だから自分は、なんとしてもシアルが自分を知る前にこの状況を打破しなければならない。ならないのに‥‥。
――仮面(マスク)‥‥もう私には力を与えてくれないのか? 妹を守るという誓いの代わりに得たその力を‥‥――
 ちょうどその頃、フィリーンとファディは遠目に仮面(マスク)とジーマの姿を認めていた。仮面(マスク)の背後の穴が、何があったかを物語る‥‥。あっ! とファディが声を上げて駆け寄ろうとするのを押さえ、フィリーンは壁に身を寄せて隠れながら再び目を凝らした。
「フィリーン様、お仲間が‥‥」
「やはり‥‥仮面を奪われている‥‥。ファディ!道を変えるぞ! シアルを捜すんだ!」
「フィリーン様と居たあの少女ですか? 何故‥‥?」
「今の仮面(マスク)とシアルを会わせるととんでもない事になる! 下手をすれば‥‥俺達は全滅だ‥‥。早く!」


 ちょっと休ませて、と言って立ち止まるリルスは激しく呼吸を繰り返す。元居た所はもう見えなくなっていた。分かれ道まで辿り付くとリルスは休憩を申し出る。同じ魔法を使う者としても、リルスの消耗の激しさが伺えた。
「ごめんね、リルス‥‥」
「大丈夫‥‥。ただ、ちょっと疲れただけ。あーあ、リルスが男の子だったら、カイラだったら‥‥シアルの事抱えて歩けたのにね?」
「ふふっ‥‥カイラ、抱えて歩くのは無理だよ? おんぶはしてもらったけど」
「じゃあフィリーン! フィリーンだったら絶っ対軽々抱き上げてくれるもん!」
「それがリルスの理想? かーわいい♪♪」
「シアル!」
覚えのある声が少女の片割れを呼ぶ。走ってくる足音につられて分かれ道の左を見ると少年と少女が連れ立って走ってくる。リルスはその片方に戸惑いを見せ、シアルは晴れやかな笑みを浮かべて手を振る。
「カイラ! ブランカも! 良かった♪二人共無事だったんだ!」
「シアルこそ‥‥。それに、リルス? 見間違いかと思った‥‥」
「お二方ともおケガは?」
「とりあえず大丈夫よ。それより仮面(マスク)が誰かと戦ってるみたいなの。悪いけどカイラ、私を仮面(マスク)の所まで連れて行ってくれない?」
「それは構わないけど‥‥」
ちらり、とカイラに視線を向けれると警戒する猫のように見ていたリルスはさっとシアルを盾に隠れる。それを見てシアルがくすっと笑い、カイラは少し肩を竦めた。どうして二人が一緒に? と言う素朴な疑問は今は伏せておこう。
「リルスとシアルが此処にいるって事は相手はジーマかファディ? そういえばフィリーンを見なかった?」
「フィリーンがいたらまっ先に捕まえて運ばせてるわよ」
「ファディじゃない‥‥。ファディはあんな荒々しい魔法は使わない。多分ジーマよ」
「‥‥とりあえず参りましょう、カイラ王子。フィリーン様も近くにいればそちらに向かわれているはずです。それに、アヌマーン王女のおっしゃる通り、軽視して良い魔法の力ではありません」
「そうだね‥‥。じゃあシアル、背に‥‥」
「待て! カイラ!シアル!」
「フィリーン!ファディ!」
猫だったらきっと耳と尾を立てていたであろう声を上げてリルスが二人に駆け寄っていく。少し意外そうな表情を見せたフィリーンは飛びつこうとするリルスをファディに押し付け、シアルを背負おうとしたカイラを止める。
「お前は残るんだ、シアル」
「どうして!? 私は仮面(マスク)が心配なの! ケガしてるなら早く手当てしてあげたい!」
仮面(マスク)は無事だ。仮面(マスク)が人間でない事は、お前も知っているだろう? ただ、仮面を奪われている、その状態でお前達を会わせるのは危険なんだ」
「! それは危険すぎる‥‥」
「何で? 何で、仮面を取った仮面(マスク)と私が会っちゃいけないの?」
「お前が仮面(マスク)にとって最も大事な存在だからだ。だからこそ、お前に仮面の下の素顔を見られると仮面(マスク)は死ぬ。あの仮面にはそういう呪いがかけられているんだが‥‥聞いてなかったんだな」
青ざめた表情でシアルは頷く。カイラはボロを出さないようにしっかりと口を閉じた。まぁ、真実ではないが嘘も言っていない。シアルが仮面(マスク)の素顔を見ればいくらなんでも死んだはずの兄と気付くだろう。そしてパルスナは狂戦士(バーサーカー)と化し、次の仮面の主が現れれば、死ぬ。ファディにしがみ付きながらリルスが先程のフィリーンの仕打ちに膨れていたが、さすがに事態の重さを察したのか不安げに見守っている。
「じゃあ‥‥仮面(マスク)の仮面を取り返せばいいのね?」
「それだけで済むなら良いですが‥‥。ジーマはおそらくその事も知っているでしょう。ありとあらゆる手段を使って貴女の目を開こうとするでしょうし、簡単に奪い返す事もできませんよ」
「危険‥‥」
「え?‥‥何が? ランカ‥‥っ!」
すっとファディの前に移動して突きつけるブランカの手に握られているのは、暗器として使用される細身の短剣。袖に隠れる部分に止められていた物のようで鞘はない。リルスを含め、全員がさっと警戒の色を見せるが、さすがのフィリーンもブランカの隙のない姿に迂闊に止めの手を挟めずにいる。
――彼女はただの魔具師(タリス)ではないのか?‥‥。この気迫、あの武器、それに先程の動き。暗殺者並の訓練を受けているぞ‥‥!?――
「貴女は内情を知り過ぎている。そして‥‥今もその手の内を隠したまま。シアル殿を仮面(マスク)殿の所まで連れて行くのが貴女の本来の目的では? それに貴女は魔具師(タリス)、私さえいなければあっさりとお三方を彼の前に突き出せるでしょう」
「ファディはそんな卑怯な事しないわよ! 貴女こそ魔具師(タリス)でしょう!? 一体何者なの!? 貴女こそフィリーン達に危害を加えようと‥‥」
「お止めください!リルス様。お疑いはもっともです。確かに、ジーマからはそのように指示されていました。貴女もお気付きのように仮面(マスク)殿の仮面が強力な魔具(タリスマン)だという事も気付いています。ただ、だからと言って私がどうこうできる程の力を持っていない事もお分かりと思いますが?」
「私はカイラ王子達をお守りするよう命を受けています。いえ、この場でアヌマーン王女も保護すべきと判断しました。故に疑わしき者に背後を取らせるような真似はしたくない。貴女が信用しろと訴えかけても、それを信頼する要素がありません。魔具師(タリス)という力と、リルス王女を意のままに従わせられる立場にあるだけに」
「ランカ! 私達を心配してくれる君の気持ちは嬉しい。それが君の使命だしね。けれど、私は彼女を信じたい。危険を承知で、ミアーシの解毒剤を手に私達のいた部屋に入って来てくれるような女性だし、何よりリルスが信頼してる。君にも信用してくれと強制する気はないよ。ただ、今は彼女やリルスとは休戦したい。剣を引いてくれないか?」
「‥‥分かりました、従います。ただし、あくまで休戦です、ご油断なされませんように」
素直に剣を収めるブランカの姿は拍子抜けしたようにも、しゅんとしたようにも取れる。まったくお前は甘いよ‥‥と言う言葉は口に出しかけて飲み込んだ。フィリーンも、ファディを疑いたくなどなかったから。
仮面(マスク)がそう簡単に囚われるとは思えないな‥‥。何かまた禁呪の類か?ファディ」
「はい、おそらく‥‥。呪縛の禁呪を使えたはずです、ジーマは。私も、いまだかつて見た事はありませんが、ジーマが熱心に研究していましたから‥‥」
「回避、解除不可能の絶対魔法ですが‥‥。他愛無い‥‥そんなものに頼るような半端者に引けを取る宮廷魔術師(テンプルソーサラー)ではありません。私にお任せを、カイラ王子。私が術者を捕らえ、仮面(マスク)殿の禁呪を解きます」
「でも君だけ危険な目にあわせるわけには‥‥。何かあったらソール王子に申し訳ないしね。それに、シアル、君も引く気はないだろ?」
「当然よ! さすが、良く分かってるわね♪カイラ」
「カイラ王子! シアル殿! 尊公方は魔法の恐ろしさをまるで分かってらっしゃらない! 魔法使い(ウィザード)一人で一固隊を壊滅させる事も容易くできるのですよ!? この私でさえ、ものの数秒で尊公方を抹殺する事もできるのです。魔法を相殺できるのは魔法だけ、まして相手は尋常な精神状態とは言えないのに‥‥」
ならなおさら君を一人には出来ないね、と言うカイラに少しむっとした表情を見せ、見かけ程華奢でも無力でもありません、と拗ねたようにブランカが言い返す。大人びて見えたが割と年相応なんだなとカイラがくすっと笑うと、馬鹿にされたと思ったのかブランカがさらに拗ねた表情を深めた。
「もちろん、君の協力なしには仮面(マスク)は助けられないよ、ランカ。けれど、君の危険を抑えて相手に隙を作らせる方法を私は知ってる。君の危険(リスク)は少ない。君が守ってくれるなら私達にも危険はない。君を見くびってなどいない。むしろ君の強さを信頼して言ってるんだ」
「(「天然ほやほやの愛らしい王子」なんて、お兄様の嘘つき‥‥)‥‥分かりました、従います、カイラ王子」
「ありがとう」
「おい、大丈夫なのか?カイラ」
「うーん、多分ね。もう一人協力者が必要だけど。とりあえず何も知らない振りしてジーマに『シアルが仮面(マスク)の素顔を見させられる』よう協力して、皆。シアル、ちょっといい?」
「え? うん。あれ? 皆には秘密?」
「おい、それの何処が作戦なんだ‥‥? それじゃ終わりだろうが‥‥」
大丈夫、大丈夫とカイラは笑ってシアルとこそこそと言葉を交わす。不満げにリルスが膨れるがフィリーンはそっとその頭を抑えて宥める。お気に入り(?)のシアルを取られたので腹いせに聞いてやろう! とでもしかねない様子だったからだ。
――ったく、全然変わってないな、リルスは‥‥。それに比べてカイラは‥‥俺にまで秘密の作戦とはね‥‥。まぁお手並み拝見といこうか――
「‥‥分かった、やってみる」
「彼女(?)も今君と仮面(マスク)を失うわけにはいかないだろうから、大丈夫だよ」
「話はまとまったか?」
「うん、あとは‥‥私とフィリーンはいいとして、リルスとファディ殿には残ってもらった方がいいかな?」
「そうだな‥‥。二人がいるとあからさまに怪しまれるからな」
「それに、ジーマを通してクィーンネクタリアに操られる可能性があります。リルス様は私と此処でお残り下さい」
と言われてうんと言う性格でない事は‥‥変わってないなら今もそうだろう。案の定リルスは条件反射のようにやだ! と叫ぶ。フィリーンに救いを求めるようにカイラの視線が上がった気がするが、フィリーンはため息をついてそれを軽くかわす。
「私が止めてって言えば仮面(マスク)って人返してくれるわよ! ジーマは。私は一緒に行くんだから!」
「リルス様‥‥ジーマはとてもそんな状態では‥‥」
「私は‥‥ジーマの事信じてるんだから‥‥」
「リルス、お前の気持ちも分かるが‥‥!!」
「‥‥無知ゆえに幼子は、大事な者すら危険に陥れる‥‥。己のわがままがその人への凶器に代わるとも知らずに。今の貴女がそうですよ、アヌマーン王女」
何かのくだりだろうか? そう呟く彼女は少し苛立たしそうに見えた。けれど、リルスの腹部に拳を入れる際に表情はない。リルス様!? とファディが慌てて崩れる体を支えるがフィリーン含め、他の者は唖然と立ち尽くしている。
「アヌマーン王女の介抱を頼みます。行きましょう、カイラ王子」
「う‥‥うん‥‥(大丈夫かな‥‥リルス‥‥)」
「ブランカって魔法以外でも強いんだね〜。すごーい♪ あ!フィリーンかカイラ! 私の事忘れてかないでよ!」
「あ、悪い(しかし‥‥ソール王子より可愛い顔してると思ってたが、やっぱり血筋だ‥‥)」
「お気をつけて、フィリーン様、カイラ王子」
フィリーンはともかく、自分を気遣ってくれた事に驚きつつカイラはファディににこっと微笑み返し、小走りに先を行くブランカを追った。横に並ぶ一瞬、ブランカの瞳が泣き出しそうに見えたのは気のせいだろうか? 覗き込んだブランカの顔はもう気を張り詰めた勇ましいものに代わっていた。

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