夜の帳
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ジェームズは教室を通りすぎて、まだ前方を研究室へ向かって歩いていたリオンに追いついた。
「先生!」
リオンは立ち止まって振り返った。微笑む姿が、リーマスに似ているように思えた。
「おや、どうしたのだい? ジェームズ」
息を整えてから、ジェームズはリオンと向き合った。
「先生、もう1つだけ。先生は自分の中の悪を知っているのですか?」
一度驚いたように目を見開いて、次にリオンは悲しそうに顔を歪めた。そして少し骨ばった手でジェームズのくしゃくしゃな髪を撫でた。それはまるで父親が子を慈しむような。若いリオンには不釣合いな雰囲気だった。そしてあまりにも失礼な質問は、そのまま流されてしまうかとジェームズは思った。
「……ジェームズ、私には人狼の友人がいたよ」
ジェームズの予想に反して、静かにリオンは答えた。誤魔化すことも、怒ることもせずに、ただ誠実に1人の子どもに自分の心からの答えを。
リーマスも……!
そう言おうとして、ジェームズは声を出すことが出来なかった。リオンの続けた言葉は、ジェームズにとって衝撃的なものだったから。
「ある時マグルに銃で撃たれて死んでしまった」
ジェームズは息を呑んだ。人狼は魔法界でもマグル界でも同様に恐れられている。理性を失った人狼はまず人を襲うから。
リオンは続けた。口調は相変わらず静かだった。
「私が駆けつけたときには彼は確かに人だったよ。人を噛む前に、人に殺されるのなら本望だと彼は言ったけれど、私はそれでも彼に生きていて欲しかった」
手がジェームズの頭から離れる。リオンははっきりと言った。
「これが私の中の悪だよ。そして、私はその悪を許す事はない。これからも、ずっとね」
「僕は……」
僕はそれを悪だとは思わない!
ジェームズはそう言いたかった。しかしリオンは人差し指を立てて口元に当て、ジェームズがその言葉を口にするのを止めた。
「それを口にするのはまだ早い。ジェームズ、自分の中の悪を知って、それを認めなさい。そこに妥協は一切許されない。そして、その悪へ踏み出すときは全てを捨てる覚悟をしなくてはならないよ。後悔しても、遅いのだからね。これから歩む道を決めるのは君自身だ。しかし1人ではないよ。どんなに曲がりくねって、たとえ一度戻る事になっても、その先に君の大切な人が待っているかもしれない。隣り合った道を、手を繋いで歩くこともできるのだからね」
リオンの視線が、ジェームズを超えて後へ向く。ジェームズはそれにつられるようにして後を振り向いた。
「シリウス……」
忘れ物を取りにいくというには様子のおかしかったジェームズを心配して、シリウスはジェームズが走り去った後すぐに彼を追いかけていたのだ。追いついて立ち聞きのような形になってしまったが、話しの途中に入っていくことも出来ずに結局最後まで後に立ったままだった。
リオンの視線がジェームズとシリウスを交互に捕らえる。
「同じ時を過ごす友がいるというのは、とても大切な事だね。さぁ、2人共寮に帰りなさい。夕食に間に合わない」
リオンの言う事に従って、ジェームズがシリウスの隣に立つ。リオンが研究室へ歩き出す足音を背に聞きながら、2人は同時に足をグリフィンドールの寮へ向けていた。
「……どこから聞いていた?」
ぼそりとジェームズが尋ねてくる。シリウスは静かに答えた。
「多分、最初から」
こつこつと2人の足音が長い廊下に響く。
「そっか……」
ジェームズが息を漏らすと、しばらく沈黙が流れた。
「僕も」
唐突にシリウスが言う。
「うん?」
ジェームズはずっと俯いていた顔をようやく上げて、シリウスを見た。シリウスも顔を上げて、しかしジェームズではなくただ前を見据えた。そしてその瞳と同じ強い声で告げた。
「僕も、悪じゃないと思った」
真っ直ぐなその言葉に、ジェームズは目頭が熱くなった。彼とシリウスとの意見が同じことは多くあるけれど、シリウスはいつも欲しいときにそれを言葉にしてくれる。きっと意識してのことではないのだろうけれど、それがシリウスの優しさであり強さだった。
「シリウス……うん。でもきっと、グリスの言う通りだ。僕らはまだそれを言葉にするには足りない。もっと……知らなくちゃいけないことがたくさんあるんだ」
小さな子どものように、ジェームズがシリウスのローブを掴む。シリウスは何も言わずに、ジェームズの歩調に合わせた。グリスの考えが正しいことは分かっていた。しかしそれを自分の中で完全に理解するには、2人はまだ若く無知だった。それも分かっているのだけれど、どうにもできない。頭だけで理解している事が、身体全体に行き渡るのは一体いつのことなのだろう。
僕らにゆっくりしている時間はないのに。
もどかしい気持ちを抱えながら、2人はホグワーツでの生活を1年、終えようとしていた。
2人がリーマスの抱えている何かに気付いた時には、もうホグワーツの生徒達は皆、家に戻るために荷造りを開始していた。周期からいって、リーマスが居なくなるはずだった日はホグワーツ特急に乗って家へ帰る日だった。
リーマスは何も言わなかった。シリウスが何故あの授業で月の周期の話しを持ち出したのか。表面上は、そんなことは全く気にしていないように見えた。しかしやはりどこか不自然な、息苦しい緊張感が、彼らの中に生まれてしまった。それは彼らが友達になる前と同じような。あるいはそれよりも酷い距離感だった。それはジェームズを悲しませたし、シリウスを苛立たせた。しかし2人もそれを押し殺し、帰り際のホグワーツ特急の中ではピーターと4人、ゲームをしたり、セブルスに今年度最後のイタズラを仕掛けたりして笑い合った。
やがて音をたてて汽車が止まる。生徒達はホームで待つ家族のもとに散り散りに帰って行く。ピーターはいち早く母親を見つけ、来年会おうと約束して別れた。ジェームズ達は最後に振り返って手を振るピーターに手を振り返す。やがて流れて行く人の中にピーターの姿が消えると、ジェームズがリーマスに向き直る。
「リーマス」
シリウスには、リーマスの肩が一瞬跳ねあがったように見えた。
「何?」
ジェームズが大きく息を吸った。そして本当に真剣に、リーマスを見つめて言った。
「僕らを信じて。……信じて欲しい。僕らは友達だ」
「……ジェームズ……」
リーマスが泣きそうな顔をした。
我慢なんてするなよ!
シリウスはそう叫んでしまいたかった。しかしそこで丁度リーマスの両親だろうと思われる2人がリーマスの名を呼んだ。リーマスは「今行く」と答え、そして何と言おうか迷っているような、そんな素振りを見せた。それをジェームズが助けるように笑って、言った。
「良い夏休みを、リーマス。また、ここで会おう」
リーマスは消え入りそうに笑うと、両親の待っている場所へ少ない荷物を抱えながら走っていった。両親に挟まれて、リーマスの後姿が遠ざかって行く。今日の夜、彼らはどうやって過ごすのだろうと、2人は思った。
ホームにはジェームズとシリウスだけが残った。
「……シリウス。休み中僕の家に来れる?」
シリウスはまだリーマスの去った後の影を見ながら頷いた。
「君の家なら大丈夫だろ。行くよ。調べるんだろ?」
「うん。うちの書庫にもあると思うから」
気付いたのが年の終わりだったために、2人は図書館へ行く余裕が無かった。2人の人狼についての知識は偏ったものであると言って良い。もっと詳しく調べて、本当に彼がそうなのか確かめたかった。曖昧な知識で、彼を傷つけたくなかったから。そして、彼のどんな側面も知りたかったから。
ようやくジェームズの迎えが来た。シリウスは軽く手を振って言った。
「じゃ、ふくろう便で連絡してくれ。受け取ったら、すぐ行く」
ジェームズは頷いてホームから去って行った。シリウスはまだ来ないだろう迎えを待つため、トランクに腰掛けた。
もしかしたら
夜の帳に覆われたのは
僕らの眼の方だったのかもしれない。