目隠しの迷路
---------------------------------------------------------------------------------
昨日の夜、ジェームズの決心を聞かされて、シリウスは眠れない夜を過ごした。ジェームズも同じだったようで、不自然に多い寝返りの数を数えてみたりした。2人で相談して、話すのはジェームズが主に担当するということにした。シリウスはリーマスに対して自分が上手く接することができないということを自覚していたから、きっと会話の途中で怒って必要以上にリーマスを傷つけてしまうだろうと思ったのだ。ピーターにはリーマスの許可を得てから話そうということになった。2人は同室だし、リーマスは気まずい思いをするかもしれない。2人が勝手に決めて良い事ではないと考えたのだ。
その日の午前中、シリウスはいつも以上に無口であったし、ジェームズはリーマスに言う言葉を真剣に考えているようで、グリフィンドールの授業はこれまでにないくらい静かで平穏だった。流石に聡いリーマスが2人の様子に気づかないわけがなく、慌てたジェームズが午後からはいつもの調子を無理やり引き出して、グリフィンドールの短い平和は脆くも崩れ去った。
しかしやはりリーマスは2人の異常に気づいていたのだろう。真夜中に2人が透明マントを使ってリーマスの部屋に入ってきて一緒に来て欲しいと言ったときにも、黙って頷いて2人に従った。3人はリーマスの部屋を出て、さらにグリフィンドールの寮も出た。ジェームズが先頭で使われていない教室へ向かう。一番後ろを歩いているリーマスが逃げ出すのではないかと思い、シリウスは時々後ろを振り返る。しかしリーマスはしっかり透明マントの中に入って黙って付いてきていた。
やがて目的の教室へと辿り着く。教師達に見つかる心配はしていなかったが、夜のホグワーツはいつもよりずっと暗く、恐ろしかった。イタズラを仕掛けに行くのとはわけが違う。これはシリウス達にとってとても重要なことであり、不安と恐怖の綱渡りなのだから。教室に入るとジェームズが透明マントを取る。それを無造作に丸めてジェームズはリーマスに向き合う。シリウスは少し後ろに下がった。邪魔はしない約束だ。窓から満月に近い月が覗いている。月光は丁度リーマスの顔を青白く照らした。リーマスが少し顔を顰めた。物音ひとつしない教室の中で、3人は押し黙っていた。
ジェームズが息を吸う音が聞こえた。そして今までに聞いたことがないほど硬質な響きの声が教室に響く。
「リーマス、本当のことを話して欲しい。君の口から」
ジェームズがずっと考えていた言葉。それは酷く重い響きで、シリウスの胸を打った。リーマスは驚きもしなかった。ただ哀しそうに目を伏せて応えた。
「……君らはもう知っているんだろう?」
それはとても静かな響きだった。グラスを指で撥ねた時のような音。その中に過去のことや諦めや、色々な、シリウスの知らない感情が混じっているようだった。ジェームズが息を呑むのが分かる。シリウスだったら、もうこれ以上の追及はできなかっただろう。しかしジェームズはさらに続けた。
「知っているよ。でもそれはあくまで僕らの頭の中で作られた考えにすぎない。知っていると思っているだけかもしれない。だから、言って欲しいんだ。夏休み前にも言ったね。僕らを信じて欲しい。君が、君が何であっても、僕らは君の友達だよ。君が何であっても……いや、君は君だ。何と言えば伝わるか分からない。とにかく、僕は君が毎月僕らに嘘をついて、1人でいることが許せないんだ」
言いたいことが上手くまとまらず、ジェームズも苛々していることが分かる。
昨日の夜、ジェームズはシリウスにこう言った。
僕らの行為は必ずリーマスを傷つける。
でもリーマスには知ってもらわなくちゃいけない。
僕らもリーマスの態度に傷ついているということと、その理由を。
長い沈黙が流れた。シリウスもジェームズも言葉の空しさを実感した。これだけの想いを込めて喋っているのに、それは形としては残らない。空気は振動して、またもとの静寂に戻ってしまう。
「嘘をついていたことは謝るよ。それに……それに君達の考えは正しい」
静かに、リーマスは言った。ジェームズはその先を自分が言おうとして止まる。顔を上げたリーマスは自らその心臓に杭を打ち込んだのだ。
「僕は人狼だ」
この時のリーマスの顔をシリウスは生涯忘れないだろう。月光に照らされて青白く光る輪郭に、鳶色の髪、血の気を感じさせない真っ青な唇。何よりもその深い悲しみに彩られた薄紫の瞳。
戦慄するほどの美しさだった。
「父さんが死んで、母さんが病弱だなんて嘘だよ。2人とも生きているし、病気でもない。僕が毎月学校を抜け出すのは、暴れ柳の先にある屋敷で理性を失った獣になるためなんだ。人狼は人を襲うから。僕は完全に皆から隔離されなくちゃいけない」
か細い声が段々とかすれてくる。それでもリーマスは泣かなかった。その強さはジェームズ達を哀しませた。
「自分がどんなに醜い生き物か分かってる。でも僕はこの学校で学びたいんだ。軽蔑してくれても構わない。でも、誰にも言わないで。お願だ。僕をここに居させて」
リーマスの必死の哀願にシリウスが感じたのは怒りだった。リーマスに対してではない。リーマスにそんな考えをさせるような、今のこの小さな自分達を取り巻くあまりに大きな世界に対しての怒りだった。
「……どうしてだよ」
ずっと黙っていた自分の声に、リーマスが体を震わせたのが分かる。何となく自分でも分かる。この声は本当に怒っているときの響きだ。しかしリーマスは気づくだろうか。その中に強い哀しみが混じっていることを。どうしようもなく大きな世界に対する、自分の無力さを痛感した時の哀しみ。
「何で君がここに居させてくれなんて頼む必要があるんだよ! おかしいだろ? 君は誰も傷つけていないし、傷つけるつもりもない。醜くなんか、全然ないのに……。僕達と変わらないのに、どうして軽蔑なんてするんだよ! もっと僕らを信じろよ!」
言いながら前に出る自分を、ジェームズが止めに入るだろうと一部の冷静な意識の中でシリウスは思っていた。しかしジェームズとリーマスの間に割り込んでも、ジェームズはシリウスを止めようとはしなかった。後ろに下がるリーマスの両肩を掴んで、シリウスは叫んだ。
「君はここにいて当然なんだよ!」
思ってもみなかった言葉だったのだろう。リーマスは目を見開いて何も言えない様子だった。シリウスの背に、ジェームズの頭が当てられる。
僕も君と同じ意見だ。
背を伝って、そうジェームズの言葉が聞こえた。そして、リーマスが何か言いかけたその時、静かに教室の戸が開かれた。まさか教師が見回りに来たのかと、3人は身を強張らせる。しかしそこにいたのはもう1人の友人、ピーターだった。
「そ、そうだよ!」
「ピーター……?」
ピーターは泣いていた。リーマスが心配そうにピーターに近づこうとして戸惑っているのが分かる。
「ごめん、僕、リーマスがいないから捜して……。ごめんね、リーマス。僕……」
その様子で、ピーターが3人の話を聞いてしまったのだと分かる。リーマスが人狼だと、ピーターも知ってしまったのだ。しかし別の理由で、シリウスは正直驚いていた。いつもくっついてくるだけで、リーマスがいないからといって夜中寮を1人で抜け出すほどの勇気は、ピーターにはないと思っていた。それだけリーマスを心配していたということだろうか。運良くこの教室まで見つけ出すなんて。
「運命だよ」
後ろでジェームズが小さく言った。シリウスは後ろを振り向く。ジェームズは本当に嬉しそうに笑って更に言った。
「人の出会いだけは、運命なんだ」
ジェームズの言葉はよく呑み込めなかったけれど、シリウスは頷いた。
「謝らないで、ピーター。良いんだよ。僕の方こそゴメン。君を騙していて」
触れるのをためらうリーマスに対して、ピーターは戸惑いもせずにリーマスのローブを掴んだ。
「ううん。そんなこと良いんだよ。僕、誰にも言わないから。お願いだよ、リーマス。ここを離れないで」
しゃくりあげながら言うピーターは、まるで母親を呼び止める子どものようだとシリウスは思う。そして少しずるいなとも思う。リーマスにはとても効果的な引き止め方だ。でも自分にはできない。
「ピーター……」
少し困ったような顔。リーマスはピーターに対しては少しも抵抗しない。ピーターに陥落させられそうなリーマスに、ジェームズが更に追い討ちをかける。
「ピーターの言う通りだよ。僕らもそう思っている。ここを離れないで欲しい。僕らから離れないで欲しい。お願だ、リーマス。自分を卑下しないで。自分を責めないで」
君が自分を卑下することで僕らが傷つく。その理由を、君は知らないのだろう。
「ジェームズ…」
最初に友としてリーマスを誘った時のように、ジェームズは強引にリーマスに抱きつき、その体を拘束した。後ろではピーターがまだぐずりながらローブの端をつまんでいる。
「僕ら皆、君のことが大好きなんだ」
ジェームズの言葉がリーマスの耳元で響く。
「そうだよ!」
後ろからピーターが叫ぶ。
リーマスの瞳が潤む。ジェームズの背にそっと手を乗せながら、リーマスはシリウスを見つめた。シリウスは黙って頷いた。
リーマスの瞳に涙が溢れた。ジェームズはさらにぎゅっとリーマスを抱きしめ、シリウスは泣きながら顔を伏せるリーマスの柔らかい髪をそっと撫でる。
この日、4人は秘密を共有した。改めて友になったと言っても良い。リーマスが受け入れてくれたことに、優越感を覚えたことは確かだ。愛とか友情とかいう言葉に酔いしれていたのかもしれない。この後、シリウス達の甘い考えが悲劇をもたらすことになる。
目隠しを外されたからといって
迷路から抜け出せるとは限らない
君がそこにいるからといって
君の心が僕のものだなんて決して言えないのに
僕は君を愛しているという自分の心に
酔いしれていた