Requiem−Dies irae

---------------------------------------------------------------------------------

咎人
 丁度ホグワーツが雪に埋もれ、地面が白く染まった頃のこと。ジェームズはクィディッチの練習を遅くまでやっていて、ピーターはレポートの再提出をくらって談話室で悲鳴を上げていた、そんな日だった。その日は満月で、リーマスはマダムに連れられて、暴れ柳を通って行った。シリウスはマダムが帰ってくるのを見届けると、ピーターに少しだけ鼠に変身してもらい、いつものように暴れ柳を静めて奥へと入って行った。

 叫びの屋敷へ入る前に、ピーターはレポートのために寮へ戻った。シリウスはリーマスが閉じ込められている部屋の扉をアロホモラで開けると、すぐに大きな黒い犬に変身した。前足を使って器用に扉を開け、少し開いた隙間に体を押し込み、全身を使って扉を開け放った。中で蹲っていた銀色の獣が、ゆっくりと身を起こす。細身の体が闇に浮かび上がる。

 さ、行こうぜ。リーマス。

 言う代わりに1つ鳴き、シリウスは身を翻して駆け出した。銀色の狼も後から追いかけてくる。叫びの屋敷を抜けて、2匹は森へ入った。誰も踏み荒らしていない真っ更な雪に、2匹の獣の足跡がつく。

 シリウス!

 そう呼ぶように鳴かれて、シリウスは立ち止まる。すると後から駆けてきた狼は、自分より一回りも二回りも大きな黒犬に飛びかかった。

 うわっ!

 黒犬は勢いをつけて飛びかかってきた狼を避けられず、狼に首元を軽く噛まれて雪の上に転がった。

 狼はすぐに黒犬から離れた。シリウスはすぐに起き上がると、お返しだと言わんばかりに狼の首に噛みついた。2匹はそのようにしてじゃれ合い、2匹の周囲だけは、雪が踏まれて道のようになっていった。

 やがて2匹は疲れて雪の中に蹲った。銀色の狼はシリウスに近づいてきて、シリウスの大きな体にもたれて丸くなった。シリウスは狼を包み込むようにして自分も体を丸めた。お互いの体温が雪の冷たさを遠ざけてくれる。

 それはひどく甘い時だった。

 人でいる時、リーマスは他人の体温に戸惑いを感じてしまい、自らスキンシップをとってくることは少ない。このように自ら身を寄せてくるのは、いつも満月で狼の姿になった時だった。

 このままこうして、彼が俺をいつも頼ってくれれば良い。

シリウスはそう思った。

 そうすれば俺は彼をずっと守ってゆける。

ジェームズはいずれリリーと結婚して2人で暮らすだろう。そうしたら、満月の夜に危険もなく彼の側に居られるのはシリウスだけだ。いつか彼が普通に暮らしていけるようにしてみせようと、シリウスはジェームズやピーターと約束していた。皆それぞれが何かしらの道を見つけて、強く美しいリーマスがふさわしい場所で生きられるようにしようと。なるべく時間はかけないつもりだけれど、それでもまだ先のことになってしまうだろうから。

 だからその時が来るまで。
 彼の側にいるのは俺の役目だ。

そう強気になれなかったのは、リーマスがはっきりと自分を頼ってくれないからだと思っていた。

 シリウスは広すぎる自分の部屋で、椅子に座ったまま眠っていたことに気付いた。最近あちこち飛び回っていたので疲れがでたのだろう。先程まで見ていた夢が、ぼんやりと頭に浮かぶ。あの時の、リーマスの体温を感じていたときの幸福感。

 僕と同じように、君もリーマスを信じて。お願いだよ、シリウス。

 シリウスは頬を伝う涙に気付いた。リーマスが頼ってくれないから、リーマスが距離を置くから、だから彼から離れて彼を疑った。その自分の弱さが、あまりにも愚かで。

 シリウスは涙を拭って窓越しに空を見上げた。そこには満月が光り輝いている。今日は何をおいても行かなくては、とシリウスは思った。リーマスの元へ行かなくては。月の下で苦しむ獣の側にいてやらなくてはいけない。シリウスはバイクに跨った。体は疲れきって重かったが、そんなことはどうでもいいことだった。

「月が不実だなんて、私は思わないな」

 それはもう夢だったのか、本当にあったことなのかさえ曖昧になっている記憶だった。シリウスの隣にはひょろりとした人影が、夜空を見上げて立っていた。

「新月の日にも月は我々には見えていないだけで、そこにあるね」

 人影が腕を伸ばして月を指差した。その指の示す方を見上げ、シリウスはその問いに答えた。何故か声はとても若く、幼い。学生時代の思い出なのかもしれないな、とシリウスは思った。

「月は太陽の光を受けて輝いているから、太陽の光が届かない位置にある時、月はなくなってしまったように見えます」

 そうして、シリウスは月のような人を見失ったのだろうか。

「そうだ。実際月の形は球で、我々が見る形は円だが、満ち欠けしている間は光っている部分しか見えないね。例えば半月の時、私達には見えないもう半分の闇の部分も、実際には存在しているのだ。見かけはどんなに変化しても、本当に月が欠けることはない。そうして新月から満月へ、満月から新月へ。繰り返しながら地球の周りを巡っている」

 シリウスは言葉を無くして、ただ隣に立つ人の横顔を見ていた。シリウスが見ていることに気付くと、その人はシリウスの顔を正面から見詰めた。その顔は、背後に眩しい満月があるために、影になっていてよく見えなかった。

「シリウス、永遠の愛は存在すると思うかい?」

 あまりに唐突な質問だった。シリウスは呆然と訊き返した。

「永遠の……?」

 その人はゆっくりと頷いた。そしてまた空を見上げる。その視線を追うと、夜空にはシリウスが浮かんでいた。満月の光にも負けないくらいに強く輝く星。

「そう、肉親への情というより、伴侶に対する愛情だ。それは永遠に変わらず続くものだと?」

 そう尋ねられても、シリウスの頭に浮かぶのはジェームズとリリーのことだけで、自分と誰か、という考えは全く浮かばなかった。その人が期待している答えも想像できなかったシリウスは、少し自分を情けないと思いながらも正直に答えるに留めた。

「……分かりません。考えた事もないから」

 そう答えると、その人はシリウスの頭に手を置いて、何か言った。しかし、その最後の言葉を、シリウスは覚えていなかった。その人が誰だったのかも。それなのに一体何故この時に、こんなことを思い出したのだろう。永遠の愛。何故そんな言葉が、胸に残るのだろう。


 その時唐突に、シリウスは心臓に突き刺すような痛みを感じた。リーマスを探すつもりでいたのだが、シリウスは何か感じるものがあってゴドリックの谷へ向かった。その何かはとても漠然とした、大きな不安だった。ジェームズ達が住んでいる場所を知っているのは、秘密の守人であるピーターだけだが、シリウスには何となく、ジェームズがゴドリックの谷を選んで住むような気がしていたのだ。仮にジェームズがそこを選んでいたとしても、シリウスが行ったところで魔法に守られたジェームズを見つけることなどできないだろう。しかしシリウスは何かに急き立てられるように、バイクの速度を上げた。冬の訪れを告げる風は、シリウスの頬を引き裂くくらいに冷たく鋭かった。

 ゴドリックの谷は、月光に照らされて青い草が揺れる楽園に見えた。しかしある場所から楽園にはないであろう黒い、そして時々月光で銀の混じる煙が立ち昇るのを、シリウスは見つけた。

 何なのだろう、この気持ちは。

 更にエンジンの回転数を上げる。風は冷たく刃のようにシリウスの体を通り抜けていくけれど、反対にシリウスの心臓は燃え上がるように発熱していた。シリウスは乱暴に地面に降り立った。スタンドも立てずにバイクを放り出し、黒く細い煙が立ち昇る場所へ向かって歩く。背後で愛機が横倒れになった。青い草が、重いバイクの下敷きになって悲鳴を上げた。

 静かに月光が照らす、燃え尽きた廃墟を目指してシリウスは足を進めた。背に螺子があるのではないかと疑うくらい、何かの惰性でもってかろうじて歩いている。その時シリウスの胸を、一陣の風が通り抜けた。その風は心臓の熱を半分奪い、一瞬鼓動が止まった。シリウスは両膝の力が抜け、その場にがくりと膝をついた。まだちらちらと、赤い炎が廃墟を燃やしていた。風に吹かれて灰が舞う。

 燃やされた廃墟は、間違いなくジェームズとリリー、そして小さなハリーのための家だった。見たことは無かったけれど、これがその家だとシリウスには分かった。そして、自分の半身が死んだことさえも、シリウスは理解した。

 何が起きた? 一体、何故…………何が……。

頭で理解したことが、体では理解できなかったのだろうか。シリウスは吐き気がこみ上げてきて、それに耐えられず胃液を吐いた。食事も碌に摂らない生活が続いていたので、吐いたのは本当に胃液だけだった。酸が喉を突き刺す。

 シリウス――。

ジェームズの声が頭に響いて、また胃液が口から出た。シリウスは泣きながら吐き続けた。まだ火が残っていることから見ても、ここが襲われたのは夜中の、シリウスが丁度寝入っていた時間だ。何も気付かなかった。ジェームズの声を聴けなかった。助けに来ることも、代わりに死ぬことも、共に死ぬこともできなかった。

 胃液さえも出なくなって、シリウスは嗚咽だけを漏らして泣いた。自分の半身。そしてその半身が愛していた女性と、その子どもさえも守れなかった。そのために自分がいたというのに。そのためだけに、この戦いの先頭に立っていたというのに。

 泣いているシリウスの背を、誰かの大きな手が不器用に撫でた。シリウスはのろのろと顔を上げ、背後を見やった。熊のような、大きな人影。言葉を発することがなければ、本当に熊だと思っただろう。何かを抱えたハグリットは、シリウスの背を撫でながらシリウスを慰めるような言葉を口にした。シリウスは酸で喉が痛く、涙で目も、頭もはっきりとしなかったので、ハグリットの言葉が断片的にしか理解できなかった。「ジェームズとリリーは残念だった」、「ダンブルドアが2人を連れて行った」そういう言葉が聞こえた。シリウスは涙で霞む視界に入ってきた、ハグリットの腕の中で動く何かに衝撃を受けて立ち上がった。

「ハリーだ。可哀想に、1人になっちまって……」

 シリウスの視線に気付いたハグリットが鼻をすすって、目を擦った。寒くないようにと布で包まれたハリーは疲れて眠っている。きっと先程まで泣き続けていたのだろう。目元が赤い。シリウスが震えながら手を伸ばすと、ハグリットは黙ってハリーをシリウスの腕に渡してくれた。産まれたばかりのとき、ジェームズと争いながら腕に抱いた小さな体は、驚くほどに大きく、重くなっていた。ただその温もりだけが変わらない。その眠りを妨げないように、しかしできるだけ力を込めて、シリウスはハリーを抱きしめた。

「ハグリット、ハリーを僕に渡してくれ。僕が名付け親だ。僕が育てる」

 たとえ後に親殺しの罪で断罪されようとも、この命を守ることしか、今のシリウスには残されていないのだ。

 しかしハグリットは首を振ってシリウスの肩に手を置いた。ダンブルドアの命令で、ハリーはリリーの妹夫婦のところへ連れて行くとハグリットは言った。そこが一番安全だとハグリットは続けた。

「まだあっち側の残党がいるだろうからな。俺達にゃ、やらなくちゃならねぇことが残っているだろ。それが終わりゃあ、ダンブルドアもお前さんの所にハリーを連れて行くことを許してくれるだろうさ」

 ハリーを引き取ることなんて、今の状況ではあり得ない。シリウスはここにきて初めて気付いた。ダンブルドアに秘密の守人を変更したことを告げていないのだ。つまり、ダンブルドアはシリウスこそが裏切り者だと思っている。本当はピーター・ペティグリューなのに。

 ハグリットがシリウスの腕からハリーを取り上げたが、シリウスは抵抗しなかった。ハグリットの言うことは最もだ。シリウスにはまだやらなくてはならないことが残っている。本当の裏切り者に、その罪を償わせなくてはならない。

「……ハリーを連れて行くのなら、僕のバイクを使ってくれ」
「良いのか? お前さんの愛機じゃあねぇか」
「良いんだ」

 空を飛ぶことが大好きだったジェームズ。あのバイクの後ろに初めて乗せたリーマス。

「僕にはもう必要ないだろう」

 飛ぶ資格なんて、もうありはしないのだ。空を見上げる資格さえない。ハグリットは訝みながらもバイクにまたがり、ハリーを大切に懐へ入れると夜空に飛び上がっていった。少しバランスの悪いその後姿を見送りながら、シリウスは杖を取り出し、きつく握り締めた。

 罪を償わせる。ピーターに、友を裏切った代償を払わせる。しかしそれでは終わらない。ピーターに罪を償わせることで自分の罪がなくなるなんてシリウスは考えない。


 ごめん、ジェームズ。
 ごめん、リリー。


 何度言っても、血を吐いても足りない。自分の罪は、一生かけて償うつもりだった。まずはピーターを殺して、それでその後はどうなっても構わなかった。


 リーマス――。


 シリウスは空を見上げた。そうして顔を上げるのは、おそらくこれが最後になるだろう。月は夜空で微笑んでいて、シリウスはその美しさにため息をついた。死んで償おうとは思わなかった。生きて償う。償いきれなかったら、地獄まで持っていって償ってみせる。そう、シリウスは思った。


 でも、リーマス。
 もし君が俺を憎んで、殺してやりたいと思ってくれるのなら。


その死だけは受け入れられるだろう。償いというにはあまりに狂おしく、甘いものになるかもしれないけれど。

Back / Next