Chapter 2-1 : それぞれの大陸

---------------------------------------------------------------------------------

 魔獣に乗って飛び去ったというカミーラを追って、レンヌは第一大陸シュビットを後にした。かなりの上空を飛んでいるがあまり暑さ寒さの感じにくい体質なのか服装はそのままだ。カミーラの気だけを追って、やがてレンヌは第三大陸へと入っていった。あるところにカミーラの気が留まっているのを感じたレンヌは、黒い飛竜に乗ったまま、黒いローブの下の手を伸ばし、その女のような男のような声で呟いた。

「陽の光に応えよ。風の精霊、闇の力をまといてその姿を我が前に」

 淡い光が彼の手に集まる。彼がその光を握ると、光は弾け、代わって黒い鳥が現れた。

「行け」

 彼の言葉と同時に、鳥は甲高い不気味な声を上げた。そして羽を動かすと、一度飛び上がり、次いで一直線に下へと降りていった。

 
 バイオス王国。第三大陸フォーカスの北部に位置するその王国は巧みな外交により、大陸一の富を築いた。その頭となる外交官は若干二十五歳の青年である。茶金の長い髪をトレードマークとして、その話術によって各国を丸め込み、自国で採れる質の高いエメラルドを売りつけていた。そして最近も、新しく外国との貿易をとりつけてきた。船で急ぎ自国へ戻った彼は、王城内を見て愕然となった。

 一体どうしたことだ、これは…。

王城の至る所を飾っていたエメラルドが無くなっていた。壁のレリーフに埋め込まれたエメラルドでさえも、えぐり取られていた。

 彼は急ぎ王に面会を求めた。王城のエメラルドを使ってしまうほど、この国は飢えてはいないはずだ。国王に取り次いで欲しいと側近に頼んだが、王は取り込み中だと言って取り合ってはくれない。彼は舌打ちした。とりあえず自室へ戻った彼は、エメラルドの他にもおかしな点があることに気付いた。女が少なくなっているのだ。彼のお気に入りの従女や、召使いの女が少ない。そして、妙に無気力な男達。

 しかもさっきからこの臭い…。女の臭いだ。

訝しむ彼の部屋の外を、黒い鳥が滑るように飛んでいった。レンヌの創り出した魔獣だ。彼はその魔獣と自分の目、鼻、耳をシンクロさせていた。そして外務官の男が感じたように、彼も又その臭いを感じていた。

 この国はもう落とされたな…。

魔獣は外交官の男の部屋を通り過ぎ、国王の部屋の窓へと近づいた。

 カミーラはもはや殆ど彼女の虜になってしまった国王の顎を撫でた。

「エメラルドは全て集めていただけたかしら、国王様」

 彼女は体をすり寄せた。甘い息が、国王の顔に吹きかかる。

「無論、そなたのために国中のエメラルドを集めた。カミーラ、そろそろ良いであろう。儂は…」

 国王がその肥よくした太い腕をカミーラの腰に回そうとした。カミーラは素早くその腕から逃れ、妖しく微笑んだ。

「アゼル様への忠誠を、バイオス王。貴男だけでなく、宰相、将軍、この国の全てのものが忠誠を誓わなければ、私を差し上げる訳には参りませんわ」

 その赤いドレスに白い肌が映える。大きくスリットの入った場所から、細い足がのぞく。強い香の香りが鼻をつく。

 嫌な臭いだな。人間はこういう香りが好きなのか?

彼はカミーラの女性的な魅力というものが今一つ理解できない。魔獣を通して見ていた彼は、陽が傾くのを見て魔獣を消した。


 カミーラは国王の舐めるような視線から逃れるように部屋を出た。この国は落ちたと、一人含み笑いを漏らす。大粒のエメラルドを首に飾り、硝子に姿を映す。

 男なんて簡単な生き物ね。
 どうせ相手をするなら楽しまなくちゃ。
 あんな太った男よりも、そうね…。

金のカールした髪に指を通す。

「誰だ貴様。見かけぬ顔だな」

彼女は後ろを振り向いた。若い男の声に思わず顔がゆるむ。

 外交官の男は、もう一度王に面会を求めるべく、王の部屋へ向かっているところだった。見慣れぬその女は細身の体に豊満な、女らしい体つきをしていた。窓硝子に映る顔は二十代。妖しげな赤い紅と、長い睫毛。彼が呼びかけると振り返り、にこりと笑った。

「国王様に御用ですの?」

 彼は女の体から香る臭いに、思わず口元を緩めた。

 国王の女か。
 残念だったな、良いスタイルをしているのに…。

城中に香る臭いに、この時は不自然さを感じなかった。

「国王様はお休みですわ。私の部屋でお待ちになったらいかが?」

 カミーラは男を、見つめた。服は文官的なもので兵士ではなさそうだが、剣はきちんと帯びている。広い肩と端整な顔立ち。カミーラは男の手を掴んだ。

「そうなさいませ」

 強く香るその臭いは、男の鼻をついた。


 月が光を増し、レンヌは黒竜の高度を下げた。王城のある一室へ、静かに近づく。ベランダへと降り、黒竜がその姿を羽で隠した。ローブを脱ぎ、銀色の髪が闇の中で光った。

「ありがとう」

 黒竜はレンヌから渡された物をくわえ、再び上空へ舞い上がった。


 体をすり寄せるカミーラに、男は困惑した。そして彼女の体から香るものが王城内全域にわたって香っているのを、彼は初めて不審に思った。だがその時にはすでに遅かったのだ。カミーラは彼の体をほんの少し押した。彼はよろよろとベッドに倒れ込む。

「国王を誘惑したのか。何が目的で?」

 睨み付けてくる男にカミーラは微笑みを返す。

「貴男も明日には国王や他の者達と同じになっているわ。…ね、お名前は?」

 カミーラの体が、男の体の上に乗る。白い足が覗き、唇が近づくが男は冷静だ。

「サフォム=フィギイ…。君は魔女か?人間には見えない。まして、俺の体を動かなくするなんて」

「カミーラよ。…魔女。そうね…男を惑わせて、楽しむ悪女かも知れないわ」

 カミーラはサフォムの青紫色の上着の前をとめているリボンを一つほどいた。

「やめてくれ。女にやられるなんて好かないんだ。それに俺は、恥じらいのある女の方が好みだよ」

 闇の中で何かが動くと、次いで獣の声がする。ゆらりと、カミーラの後ろに控える。

「あの魔獣に食べられたいの?私を抱いた方が得よ。この国はもうおしまい。エメラルドは全てフォリン王国へ送るわ。逆らわない方が身のため…アゼルは恐ろしい男だもの」

 サフォムも最近耳にした、第一大陸シュビットのフォリン王国新王の名前だ。確か弟が前王殺しの罪で逃げているとか。

「フォリン国王よりも君が恐ろしいよ、俺は。本物の魔女だな。君を抱いて腑抜けになるよりは、後ろの魔獣に喰われた方がましだ」

 国王に忠誠を誓った覚えはない。何とかこの場を切り抜けて、一時国から出る決心をした。

 情けない。俺一人国を出るなんて…。

しかし、まずはこの場を切り抜けられるかが問題なのだ。それが解決しないことには先程の決心は虚しく塵と消えるだろう。

「この国は渡さないぜ。俺の生まれた国だ。国王もエメラルドも将軍も宰相もくれてやる。民と俺には手を出すなよ、魔女さん」

 もう一つ、カミーラはサフォムの上着のリボンをほどいた。

「此の国はアゼルが好きにするはずだわ。私には関係ないもの。…それより…貴男の方が魅力的なのよ」

 上着を脱がされかけたその時、部屋の扉が開いた。カミーラが身を起こし、サフォムは唯一動く頭を、扉の方へ向けた。

 銀色の長い髪がむき出しの肩に掛かる。闇の中の魔獣が唸った。青白い服の裾を片方だけ摘み、彼女はカミーラとサフォムのいるベッドに近づいた。そして、細く白い腕をサフォムに差し出した。

「お迎えに上がりました。参りましょう、サフォム様」

 サフォムは此の少女を知らなかったが、カミーラと対照的な白い服とその笑顔に、気持ちだけ手を差し伸べた。というのも、まだ彼はカミーラの魔術が解けていないので、体が動かないのだ。

「野暮なお嬢さんね。今がどういう状況か、分かっていないのかしら?サフォム様はお楽しみ中なの。出直しておいでなさい」

 カミーラは少女の美しさに顔をひきつらせながもそう言った。少女はサフォムの方を向いて首を傾げている。

「俺は楽しくないよ。楽しんでいるのは君だけだ、魔女さん」

 カミーラはサフォムを睨んだ。

「…そっちの獣に喰われた方がましだと言っただろう」

 カミーラはサフォムを見据えながらベッドから降りた。身動きのとれないサフォムを見て、少女は何を思ったのかにこりと微笑んで納得したように頷いた。

「此の娘が喰われる姿を見たら、そんなこと言っていられなくなるわよ」

 残忍な笑みを漏らし、カミーラは少女を睨んだ。

「やめろ!」

 サフォムは動かない体に舌打ちした。腰に下げた剣が使えないなんて、と自分を叱った。カミーラの造った魔獣が少女に近づく。その間にも少女は小さく口を動かしている。脅えて、足がすくんでしまったのか、逃げようとしない。

「逃げろ、逃げてくれ!」

 少女の頭を魔獣がくわえた。かに見えた。

「…魔獣は何も喰わない。本来なら、な…」

 誰の声だろうと、サフォムは疑問に感じた。飛び散るはずの少女の血は無い。

「…なん…ですって…?」

 カミーラは驚きに目を見張った。魔獣は淡い光に散らされ、媒体であるエメラルドだけが残り、それは床に落ちた。

「…陽王、可哀想ですよ。まだ何もしていないのに…」

 少女は姿の見えぬ誰かにそう言って、魔獣の媒体となっていたエメラルドを手に取った。

「…何よ…貴方。…一体何者…」

 カミーラは一歩退こうとした。そして気付いた。彼女がサフォムに行った術。それに自分がかかっている事に。

「魔術を…?…そんな馬鹿なことが…!」

 カミーラが叫んだが、少女はそれを気にもとめず、サフォムに近づいた。

「さ…参りましょう」

 少女はサフォムの手を取った。サフォムはただ呆然と、その手を握り返した。

 動く…?

ベッドから降り、少女に導かれるまま部屋を出ようとした。

「お待ち!逃がさないわよ」

 部屋のドアを突き破って魔獣が少女に襲いかかった。サフォムは腰に下げた剣を抜き、獣に切りつけた。すると先程のようにエメラルドだけが残り、床に落ちた。

「…このために国中のエメラルドを?やはり君は魔女だな。しかも…その中で最低の…」

「最高の…の間違いでしょう」

 突然床に落ちたエメラルドが光を発した。そして少女の手にしたエメラルドも同じように光を放ち、サフォムは咄嗟に少女の手からエメラルドを奪い、床に投げた。

「…再生するのか…」

 サフォムは少女を背に庇うようにして剣を構えた。

「二人一緒に死なせてあげるわ。心無い魔獣だもの。綺麗に食べてくれるでしょうよ」

 少女の顔が強張った。

「さようなら」

 艶やかに微笑むカミーラの後で、二匹の魔獣が唸り声を上げる。少女がサフォムの前に出た。

「やめて、お願いだから…」

 哀願する彼女の声は震えていた。

「危ない、下がれ!」
 
 サフォムの声は耳に入っていない。

「魔獣に何を言っても無駄よ。私にしか従わない、従順な下僕だもの」

 少女は両手で顔を覆った。魔獣が少女に飛び掛る。サフォムは少女を引き寄せ、庇おうとした。すると少女は素早くサフォムの手から剣を奪った。髪を翻し、サフォムはそれに一瞬視界を遮られた。一振りで一匹の魔獣がエメラルドごと二つに裂かれた。流れるような動作は、無駄な動きがない。もう一振りで残りの一匹もエメラルドごと突き刺された。エメラルドの欠片が辺りを飾った。月の光の下には碧の宝石と、銀色の光を纏う少女。カミーラは息を呑んだ。動かない手足を、必死に動かそうとする。首筋に当てられた剣先は、今にも彼女の喉を引き裂きそうだった。

「…女…」

 その声は間違いなく少女の口から発せられたものだったが、口調が全く違う。カミーラを睨みつけるその瞳の鋭さも。

「よくも姫を泣かせたな。それだけで万死に値する。その首…間違いなく貰い受けるぞ」

 カミーラは絶句した。最初に現れた時の可憐さは、か弱さは何処へ行ったのだろう。少女は踵を返した。

「次に会う時は、せいぜい着飾ってくるんだな。すぐに墓に入れるように、黒い死に装束が良いぞ。もっとも、入るのは体だけだろうがな…」

 振りかえりもせず、カミーラに背を向けたままそう言うと、呆然とするサフォムの腕を掴みそのまま部屋を出て行った。

 王城の外へ出ると、黒いローブに小さなバッグが置いてあった。少女はそれを拾うと、剣をサフォムに返した。

「お前、馬は駆れるか」
「は?そりゃあ…まぁ…。…もしかして、警戒しているのかい?」

「何のことだ?」

 レンヌはまさかサフォムの目の前で服を着替えるわけにもいかず、仕方なしと白いドレスのまま髪をまとめ、上からローブを羽織った。

「いや…気を悪くしないでくれ。別におかしいって言っている訳じゃあない。俺も君もまだ知り合ったばかりだし…俺は男だ。警戒して当たり前だよな」

「…確かに不審だな。お前の言動は」

 腰に手を回してくるサフォムを引き離し、レンヌは馬を呼んだ。馬は誰も手綱を引いていないというのに勝手にこちらへ歩いてくる。

「国を出るつもりはあるのか?無いなら私は一人で行くぞ。無理に誘う気は無い」

「その前に、君は俺の名前をどこで?」

 レンヌは馬に飛び乗った。バルドと旅をして、扱いを心得たのだろうか。

「…花が。お前の部屋にあった花が、教えてくれた」
「花?ラピラの花が?…君は…」

 何か続けようとしてサフォムは口を閉ざした。レンヌの後に飛び乗ると、彼はレンヌの後ろから手綱を掴んだ。

「何処ヘ行くつもりだい。あてはあるんだろうな」
「良いのか」

 サフォムはレンヌの黒いローブを上げ、美しいその瞳を見つめた。

「君が迎えに来たんだぜ。それにあの女に国をくれてやるつもりは無いから、必ず戻ってくる」

 十六・七歳かと思われるレンヌの顔。白い頬に、サフォムは唇を寄せた。

「…男みたいな言葉遣いも魅力的だよ。えっと…」

 ぐいと、レンヌはサフォムの顔を押しのけた。

「レンヌだ。サフォムといったな。気を付けろ、私の一族は口付けを交わした者と子供を作るという決まりがある。その気が無いなら、唇にはするなよ」

 唇意外なら、いくらでもして良いってことか?

そう意味じゃあないのだろうなと、サフォムは苦笑し、馬の腹を蹴った。

「恐い女に追いつかれないうちに行こう」

「湖沿いに南へ行け」
「了解」

 サフォムは後を振り返った。彼が生まれ育った国。外交官として築き上げた富。和やかな民達。姦計に嵌った愚かな国王。

 国と民は渡さない。何があっても…。

明るく地上を照らす月に向かって、彼は誓ったのだった。必ずここに帰って来ること。そしてこの国を取り戻すことを。

Back/
Back / Next