Chapter 3-2 : 王妃救出

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 彼等の姿に門の番をしていた兵士は少なからず疑念を抱いた。軍へ下るためか、しかしそれにしては側近が少ない。そしてなんの前触れもない突然の来訪だ。怪しまれても仕方がないと、昨日の会議で言ったのは軍師キールだった。シーザスは今まで頑なにフォリンへ下ることを拒んでいた。しかもフォリン城へ出向いたことさえなかったのだから。それが突然国王に話があると言って乗り込んできたらそれは不信でしょう。キールはそう言いながら笑っていた。

「フォリン国王ウィルス陛下はご在城でしょうか」
「いえ、明後日にはお戻りになる予定ですが、出直していただけますか?」

 そんなことはレンヌの調べで昨日のうちに分かっていたことだが、キールは眉をひそめて振り返った。

「弱りましたね…いかがなさいますか陛下」

 門番はキールの言葉にえらく狼狽えた。突然の来訪に、シーザス国王がいようとは。

「連れの体調が思わしくない。少し休ませてもらえないか?」

 門番は城へ入り、しばらくの間誰かと相談していた。やがて戻ってくると、武器はすべて預からせてもらうと言った。それでも良いのなら入って少し休んでくれて構わないと。彼等は知っていた。シーザスにウィルス王のような術者はいない。魔術・魔法の未発達の地だからである。武器さえ取れば、後は魔法兵に監視させればいい。

「分かった。武器はすべて預けよう」

 ヨカナーンは門番の言葉に応じ、武器をすべて預けると、案内役の女性の後に従った。ヨカナーンに続くのはキール。そしてベールを被ったレンヌを支え、ケネスが最後を歩いた。

「城内の人間が、随分少ないようですが?」

 キールは比較的口を利いてくれそうな女性が案内役をしてくれるのを好都合だと思った。

「えぇ、陛下が大分城内の人間を減らしましたので…ルゥト様も、お供の方が少ないのではありませんか?」

 どうしてなかなか、痛いところをついて来るではないか。キールは苦笑してヨカナーンに視線を送った。

「あまり目立ちたくなかったのだ。連れに女性がいるのでな」
「まぁ…ご結婚なさるのですか?」

 女の言葉があまりにも意外だったのか、ヨカナーンは面食らったようにしばらく何も言えなかった。

「いや、その…なんだ…」

 やっと喋ったが、それも意味を成さない。微かに頬を赤らめてもいる。

「陛下の従妹殿です。あまりにもお美しいので、陛下も顔を見ると照れておしまいになるのですよ。話が出来ないのでベールを被っていただいているのです」

 馬鹿な嘘だと将軍は思う。しかしヨカナーンが更に照れて赤面したので、妙に信憑性がある。女もヨカナーンの反応を見て納得してしまった。誤解を解くのも面倒なので、将軍は何も言わなかった。レンヌも、気にしている様子はない。

「どうぞ、こちらの部屋をお使い下さい。何かお薬をお持ち致しましょうか?」
「いえ、医学の心得がありますので。いや、やはりお水を頂けますか?手持ちの薬を飲ませてみますので」
「分かりました」

 一礼してメイド嬢は立ち去る。特に疑いを抱いた様子は見受けられなかった。将軍は支えるふりをしていた腕を、レンヌの肩から外し、四人は視線を交わして頷いた。

 
 「お水、お持ち致しました」

 部屋の前に立っているケネスは無表情を少し戸惑わせて扉を開け、キールを呼ぶ。

「ご体調の方はいかがですか?」
「お陰様で、少し落ち着いたようです」
「それはようございました。何かありましたら呼び鈴を鳴らしていただければ参りますわ」

 キールは軍師らしからぬ腰の低さで、女性に一礼した。女性がいなくなるのを確認したかったのかもしれない。「将軍、女性に対する態度がいけませんね。シーザスの国民性が疑われてしまいますよ」

 大きなお世話だと言わんばかりに、ケネスは無言でキールを部屋に押し戻した。


 こんな状態になって一体どれ程の時が経ったのか、正確な日数はイルシーにはもう分からない。ただ、気疲れからか、目に見えてマジェンダがやつれていくのが気になって仕方がない。追われているウィザーズの事も気にはなるのだが、ここにいる限りイルシーには何も出来ない。

 せめてカトラス様のご無事だけでも分かれば…。

マジェンダが気鬱になるのも無理はない。一人息子が義兄に追われているなどと。このままただこの塔に囚われていては、何も動かないのではないか。イルシーはその身を犠牲にしてでも、マジェンダをこの塔から、この国から救いだそうと考え始めていた。

 静かな塔に、突然の物音。階段を上ってくる音だ。いつもなら考えられない時間帯のためか、イルシーは警戒の為にドアに近づく。ふと、思い直してイルシーは手近にあった椅子に手をかけて持ち上げる。このままマジェンダをここで死なせるのなら、逃げよう、とイルシーは思った。突然の訪問は、願ってもいないチャンスだ。

 鍵を開けようとする音に、イルシーは身構えた。マジェンダは従女の過激な行動に息を呑む。

 鍵の開く音がして、扉が開く。イルシーは手にした椅子を、入ってくる人間に思い切りぶつけた。カンと、金属音がした。女一人の力では椅子が折れることはなかったが、イルシーは椅子を投げ捨ててマジェンダの前に立った。失敗してしまったと思った。相手に受け止められるとは思っていなかったのだ。不意の襲撃に対して、相手は意外なほど平然としていた。

「…過激な歓迎ですな。…マジェンダ王妃」

 男は被っていたローブをはぎ取るようにして脱いだ。整った顔立ち。マジェンダはその男を知っていた。昔の面影がある。

「尊公は、ヨカナーン様。いえ、ルゥト陛下…」

 その男の腕にはガントレットがはめられていた。イルシーの椅子を受け止められたのはそのせいだったのだ。意外すぎる名前に、イルシーは凍り付いた。隣国の国王に、よりによって椅子で攻撃してしまうとは。

「あ…申し訳ございませんでした!大変な失礼を!」

 ヨカナーンの後ろにいたもう一人の人間が、扉を閉めた。

「いや、疑われて当然だ。このような場所にずっと幽閉されていたのでは…。レンヌ殿」

 振り返り、ヨカナーンは促す。レンヌはベールをさっと取り、マジェンダの前に歩み出た。

「ミディク国王陛下の命で貴女をお救いしに参りました。レンヌと申します」
「兄上様の…」

 海を隔てた遠くにいる兄が、彼女を救いにここまで使者を使わすとは思わなかった。そして、美しい使者にも、彼女は驚いた。

「ルゥト陛下にご協力を頂き、これから私が身代わりになりますので、王妃様はルゥト陛下と共にシーザスへ」
「でも…」
「彼女と従女殿もすぐに救出致します。まずは貴女が。私は外でお待ちしていますので、早くお着替えを」

 ヨカナーンはすぐに部屋からでて、レンヌは王妃に着替えを促した。

「貴女は、兄上様の?」

 レンヌはすぐに笑い返した。

「ウィズ…ウィザーズ王子の仲間です。王子はミディクにおられます。脱出した後、私がミディクまでお送り致します」
「ウィザーズが、ミディクに!」

 マジェンダの顔に一気に光が射した。イルシーはその様子を見て目を細める。

 呼び鈴を鳴らすとしばらくして扉が開き、ケネスがメイド嬢を部屋に通す。もはや外交官代わりとなっているキールが振り返ってにこり、とメイド嬢に笑いかけた。

「お陰様で、随分お元気になられたようです。これで何とかシーザスに帰れるでしょう」
「それはようございました。すぐにお発ちになられますか?」

 従妹の女性を支えて、ヨカナーンが答えた。

「主が不在の所、長居するのも迷惑であろう。世話になった。陛下に宜しく」
「はい。それでは武器をお持ち致して、門までお送りいたします」

 連れの女性が入れ替わっていることにメイド嬢は気付かない。アゼルに通されていたら、ベールで顔を隠して入ってきた時点で疑われていただろう。独裁しているというのは本当らしい、とキールは微笑んだ。魔術に頼って、国内の人間を育てていない。これなら門番の方も大丈夫だと、ヨカナーンと目を合わせて笑い合った。

 
 「マジェンダ様の体調が思わしくないのです。お医者様を呼んで頂けませんか?」

 呼び出された兵はドア越しに困ったような様子を見せたが、少しの間待っているようにと言って引き返していった。

「上手くいきそうですよ、レンヌさん」

 そう言いながらイルシーは椅子を持ち上げ、ドアの横に構える。またやる気らしい。

「イルシーさん、私が魔術で眠らせれば…」
「私もマジェンダ様も魔術は使えないので、怪しまれるといけませんから。とりあえず殴って気絶しないようだったらお願いします!」
「…はい…」

 実は危険思想の持ち主かもしれないイルシーと、新たなタイプの人間を発見してしまったレンヌ。

 足音がして、イルシーは身構える。足音は二つ、見張りも付いてきたらしい。まずいな、と思っていると遠慮がちにレンヌがもう一つ椅子を持って来てイルシーの隣に並ぶ。これで椅子を壊しても大丈夫だ。

「入りますぞ、王妃」
「どう、ぞ!」

 最初に入ってきた医者がイルシーの渾身の一発で倒れる。かなりの老体だが、気にして入られない。驚いている見張りに、イルシーはすかさずレンヌからもう一つの椅子を受け取り腹部に大打撃をくらわせる。椅子は見事に大破し、男は医師の隣に倒れた。こんなに簡単なら、救出の必要はなかったのではないかと思ったレンヌだが、これからが大変なのだ。

「レンヌさん、早く!」
「今は王妃です。アゼルに怪しまれないように途中まで走りましょう。何処か追っ手を巻けるような所まで行ければ…」
「それなら迷いの森がいいですね」

 レンヌは頭から被る布を押さえながら塔を下る。イルシーはそれと逆の手を取って、先に立って階段を降りていく。そして下りきると迷いの森へ向けて走り出す。途中呆然としている兵士達の前を通りかかったが彼等が声を上げる頃にはもう十分な距離を走っていた。

「王妃が、王妃が逃げたぞ!」
「遅いわよ!レ…マジェンダ様門を抜ければすぐです」
「えぇ」

 門には見張りがいることを思い出し、イルシーは戸惑う。

「門を閉めろ!二人を外に出すな!」

 後ろからの叫びに気付いたのか、門兵二人が橋を上げにかかる。が、大きな物なのでそう簡単にはいかない。仕方なく一人は手を止め、実力行使で押さえようと両の手を広げ、立ちはだかる。レンヌは小さな声で呟いた。

「協力して」

 すると木々で休んでいた鳥達が一斉に門兵に向かっていった。

「うわぁ!」
「な、何だ、突然!」

 鳥に襲われている門兵を見て、イルシーは呆然となった。こんな光景、見たこともない。レンヌはイルシーの手を引いた。するとイルシーははっとなり、頷いて走り出した。

「森の中に入るぞ!早く追え!」

 後ろの叫び声を聞きながら、レンヌは森にはいると素早く呪文を唱える。先に行くヨカナーン達に早く追いつくためにはエルフの結界の中を通ることになる。

「レンヌさん!追っ手が…」

 騎兵が間に合ったらしい。馬の蹄の音が聞こえる。

「イルシーさん、乗って!早く!」
「はい!」

 森の中を疾走する魔獣に乗せるのは少々荒技だが、イルシーはしっかりとレンヌの腰に手を回し、何とか振り落とされない様にしている。彼女のことを考えれば空を飛ぶ方が楽だったのだが、魔獣に乗っている所を見られるのは困る。なるべく早く、というレンヌの思いを察したのか、魔獣は足を早めた。途中エルフの結界に入ったが、勿論エルフは何もしてこなかった。すぐに結界を抜け、森も抜けたので、レンヌは魔獣を一度消し、空を飛べる魔獣を新たに創り出した。今度は天馬が現れ、イルシーを驚かせたが、構わずレンヌはイルシーを後ろに乗せ、天馬に飛び立つような合図をする。最初はなかなかのスピードに思われたが、先ほどのように木の間を通り抜けるといった事がないのでイルシーの負担も少ない。

「すごいですね」

 このような高さから下を見下ろすという体験は初めてだった。下の世界は雪に埋もれて白い。ただ白いだけなのに、それに感動してしまう。

「この辺りにも姿がない…。思ったより速いみたい」
「急いで国境を越えたのではありませんか?とりあえずシーザスに入ってしまえば安心ですから」

 気丈に振る舞いながらもイルシーが身震いしたのが分かった。思えば塔にいたイルシーは外出用の格好をしていない。加えて長い間の監禁生活。体力が落ちていて当然だ。レンヌは暑さ寒さをあまり感じないので気にしていなかったが、イルシーは生身の人間なのだ。スピードを落としても寒さは大して変わらない。金を持っていれば上着を買うことも出来たが、必要に駆られたことがないので、レンヌは携帯していない。やはりヨカナーン達に追いつくのが一番妥当だった。天馬を早めると、イルシーが下を指差した。

「レンヌさん、あそこにいました」

 魔獣の羽音にケネスが気付いて振り返り、ヨカナーンにレンヌが追いついたことを告げる。ヨカナーンも振り返って馬を止め、レンヌ達は天馬を降りて駆け寄った。

「マジェンダ様!」
「イルシー」

 ようやく二人顔を合わせて、本当にフォリンから脱出したことを確信し、二人は抱き合った。その様子を、ヨカナーンが嬉しそうに眺めている。

「お怪我はありませんか?」

 キールに問われて、レンヌは意外そうな顔をした。だがすぐに笑い、自分の感覚とキールの感覚の違いを察したのだ。

「えぇ、何とか上手く逃げ切れました」
「ご無事で何よりです。このままミディクへ向かわれますか?」

 レンヌはイルシーに視線を向ける。彼女は薄着だ。ミディクは確かに温かいが、ここを抜けるのには酷な服装だった。悩んでいるレンヌが答えを出す前に、ヨカナーンが言った。

「それは酷だろう。お二方は相当お疲れだ。城で二・三日休まれた方がいい」
「そんな…そこまでお世話になるわけには」

 マジェンダが遠慮するのも当然のことだった。しかし、レンヌもそれが一番だと思い、マジェンダとイルシーにそれを勧めた。ミディクには魔獣を送り、知らせると説得して、結局そのままシーザス城へ帰ることになった。微かに、ヨカナーンの頬が緩む。イルシーは敏感にそれを察した。キールが、後ろで少し溜息をついている。レンヌは不思議そうにそれを眺めていた。

 
 「お茶は、いかがですか?」

 レンヌは振り返り、差し出されたお茶を受け取った。

「ありがとうございます」

 イルシーとマジェンダは、疲れが出たのか城に着くとすぐ部屋で休んだ。レンヌはミディクへ魔獣を送り、一息ついたところだった。そこへやってきたのは軍師キール。三十代と思われる薄金の髪の男は、眼鏡をかけていて、一見柔和そうな顔をしている。彼が差し出したのはお茶というよりは薬湯だった。レンヌも疲れているのではと、心配してくれたらしい。

「座っても?」

 キールは向かいの席を指差した。レンヌが頷くと、自分の分のお茶を持って向かいの席に腰掛けた。

「貴女の瞳は、とても美しい色をしていますね。人とは思えないくらい」

 薬湯と気付いていないのか、それともはなから飲む気がないので遊んでいるのか、レンヌはカップに砂糖を入れた。

「…私、貴方が誰かに似ているような気がしていたんです。やっと分かりました」
「ほぉ、どなたですか?」

 レンヌも一応の任務が終わって、大分緊張がほぐれたらしく、いつも通りの少し子供のような無邪気さを見せた。

「サフォムと言って、元はバイオスの外交官です」
「あぁ…存じておりますよ。お会いしたことはありませんが、優秀な方だそうで。その方に似ているとは…光栄ですね。ですが、元、というのは?バイオスが襲われたことは存じておりますが、確か新しい王が決まったのではありませんでしたか?」
「えぇ、でもサフォムはウィズに…。あ、ウィザーズ王子に仕える事になりそうなんです」

 キールは目を丸くした。本国を追われ、逃亡中の王子にバイオスの高官がつくとは。一体第二王子はどのような人物なのか、聞いてみたくなる。しかし彼女の所に茶を用意してまで来た理由は、そんな事ではなかったのだ。キールはとりあえず、今早急に解決したい問題を取り上げた。キールに、頼みがあると切り出されたレンヌは不思議そうに顔を傾けた。

「マジェンダ王妃を、なるべく早くミディクへお連れ頂きたいのです」

 レンヌの傾けた首が、ますます角度を増した。その反応もごもっとも、とキールは続けた。

「ルゥト陛下はまだ先王が生きておいでの時、一度マジェンダ王妃にお会いしているのです。美しい王妃の姿は今でも王の心に焼き付いております。私は陛下が結婚なさらないのは、それが原因だと考えております」

 レンヌはよく呑み込めないのか、曖昧に頷く。

「今回の救出へ乗り出したのも、陛下の王妃への想いが枯れていない証拠。陛下はなるべく長くマジェンダ王妃にここへ留まるよう勧めるでしょう。その前に、レンヌさんの方から、ミディクへ発つと切り出して頂きたいのです」
「ルゥト陛下が、マジェンダ王妃に想いを寄せてはいけないのですか?」

 キールは一瞬だけ、本当に意外そうな顔をした。しかしすぐに何か納得したように頷いてみせる。レンヌには何が何だか分からない。愛することは自由だ、と父が言っていた。それは、自分の一族だけのことだったのか。リフェルはラベアを愛している。少なくともレンヌにはそう見える。ラベアも同じ事。それが、何故ヨカナーンとマジェンダでは駄目なのか。マジェンダが、ヨカナーンを愛していないから?それはレンヌには分からない。キールにだって、分からないはずだ。

「レンヌさん、我々には、「許されない恋」というものが必要なのです。もしマジェンダ妃がルゥト陛下のことを想っていて下さっても、家臣として、その恋を認めるわけにはいかないのです」
「何故?どうしてですか?二人とも、互いのことを想っていても何故他の人はそれを許せないのですか?」

 レンヌは首を振った。水妃だとて、エルフとの結婚を許されたのに、同じ人間で、許されない?

「国王というのはね、その国の民にとっては象徴であり、理想の姿でもあるのです。国王の家族も然り。国王の家族は理想の家族でもある。平穏で、豊かな愛情を持った家族を民は望むことでしょう。初めて会ったその時から愛し合い、王妃は国王以外にその純潔を捧げてはいけない。それが理想です。国王は民がいなくては成立しない地位。民に逆らうことは、国王としての破滅。自分を殺してでも、民の意志を尊重することが必要なのです」

 レンヌはキールの言葉ひとつひとつに胸を刺されるような痛みを感じた。自分もまた、王であるから。

「…それが民の勝手であることは百も承知です。国王個人の人格を尊重しないわけではない。しかし、どうしても勝手を尊重しなければならない時があるのです」

 最後の言葉は慰めるような口調で言った。レンヌはひとつ頷く。理解はした。認めることは出来ていない。しかし、頷かなくてはいけない。レンヌは改めて最後の王であることを自覚した。そして、その最後を決めるべき王が無知であることに、強い衝撃を受けた。

 民が何を望んでいるか。私は知らない。

レンヌが産まれたときには、月姫、陽王、水妃しか生きていなかったのだから。他の者が何を望んで、死んでいったのか。レンヌは何も知らない。

 そんな私が、最後を決めても良いの?

翌日、レンヌはマジェンダとイルシーを黒竜に乗せ、ミディクへと発った。キールの言ったとおり、ヨカナーンはレンヌ達を引き留めた。しかしマジェンダは早く息子に会いたいと言って、ヨカナーンの勧めを断った。ヨカナーンは失恋したのだ。マジェンダは母親として、息子の元へ、ただそれだけしか考えていなかったのだから。レンヌは何故かヨカナーンを見て、胸が痛んだ。

 滅びるレンヌは、失恋さえ経験できないのか。レンヌは恋だの愛だのと考えたことはなかった。ただ、陽王と月姫は愛し合っていた。それが少し羨ましいと思うときは確かにあったのかもしてない。

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