Chapter 3-3 : 海中神殿
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途中交代を申し出たが、大丈夫、とレンヌはメロサ島上空まで飛び続けた。
「海が鳴っているわ。…あ、あそこが神殿ね」
レンヌが指差す方に身を乗り出してセライドは見下ろした。蒼い水の底にゆらめく神殿らしき白亜の建物が、かろうじてセライドの目にも見える。もっとよく見ようと、セライドは風に煽られる髪を掻き上げた。
「本当に海底に…。入れるのか?あそこへ」
「私は平気なのだけれど…セイは海の中で息できる?」
初めて海に入ったチェルットでの事を思い浮かべる。海の中でウィザーズを捜しそして。
「息はできなかったな…。水の近くだと元気は出るが」
レンヌがそれを聞いてにこりと笑った。今まで顔を見ていなかったせいか、セライドはレンヌの反応にいちいち驚いてしまう自分を感じた。
「じゃあ結界を張るわ。…いえ、別の方法があったわね。このまま海へ入るから、掴まっていて」
「え?おい!」
セライドが掴まる前に、レンヌはグリフォンを急降下させる。後ろにのけぞって、慌てて体勢を戻す。ようやくセライドはレンヌの肩を掴めた。しかし安心したのもつかの間、グリフォンは真っ直ぐに海へ向かっていく。セライドは思わず目を瞑った。そこにレンヌの声が聞こえる。
「ごめんなさい。ちょっと避けて」
そんな安易なと思い、セライドは目を開けた。
グリフォンは確かに海の中にいた。しかし、セライド達に水は押し寄せて来ない。大きな水泡のように、二人の周りには空気がある。セライドには何が起こったのか理解できなかった。
「神殿は随分深いところにあるのね」
レンヌが呟いて、セライドは見た。海に沈む神殿を。美しく、その石造りの柱には海草も生えてはいない。一体何年前に作られた物なのか、海水に浸食された様子もない。呆然と見つめていると、グリフォンの足が海底についた。レンヌとともにグリフォンから降りると、グリフォンは泡の様に消えた。神殿に近づくとセライドは上を見上げた。本当に海の底なのだ。ちらちらと太陽の光が輝く。ここまではその光も届かない。
レンヌに促されて神殿の扉の前に立つ。
「開くのか?」
レンヌが扉に手をかけると扉は主人を迎えるように自動的に開いた。水は扉より中に入っていかない。レンヌはすっと神殿の中へ入って行くが、セライドは少し戸惑って立ち尽くす。
「どうしたの?セイ」
「いや…俺が入って良いのかと思って」
振り返ったレンヌがにっこり笑顔を浮かべたのでセライドは面食らうのと同時に赤面する。やけに鼓動が早い。こんな事は初めてだ。そんなセライドの様子に気付かないのか、戻ってきたレンヌはすっとセライドの手を取る。
「そこで待っている訳にはいかないでしょう?」
レンヌに手を引かれるままセライドも神殿内部へ入る。石造りの神殿内部を二人はしばらく無言で探索する。
高い天井。風化も浸食もされていない柱や壁。そして、海の底だというのに明るい神殿。こんな物を、人間やエルフが作れるはずもない。
「そういえば、聞かせたい事って?」
思い出して、セライドはレンヌに尋ねた。
「水妃の事、なのだけれどね。私達一族も死者の声を聞くことはできないの」
レンヌの声が響く。俯いているので、表情は分からない。もしかして、ずっとそれが気がかりだったのだろうか。
「水妃の事なら…もう大丈夫だ。納得もしたし、気持ちの整理も…」
「え?…あ、そういうことではなくてね。セイと水妃は親子だから、名前で呼び合った方がいいかと思って」
「名前?お前みたいに水妃にも名前があったのか?」
「私の名前はバルドが付けた物で、バルドに会う前はお父様もお母様も姫って呼んでいたわ」
姫…確か水妃もあの時レンヌのことをそう呼んでいた。
「じゃあ、誰かが水妃に名前を付けたのか?レンヌみたいに…。まさか、父さんが…」
「えぇ、そう。死者の声が聞こえない代わりに私はありとあらゆる者の過去を知ることができる。自然が全くない所に住める生き物はいないでしょう?自然は全て知っている。風は特に情報を沢山持っているわ。教えてもらったの、お父様が水妃と貴方のお父様との結婚を認めたこと。その後二人はダークエルフの森へ移り住んで、貴方を産んだこと…。水妃という名ではなくて、エリィと呼ばれていたことも」
「エリィ…」
父の口からは一度も出なかった名前。しかし、セライドはその名前に懐かしさを感じた。
「性別は無いけれど、水妃は貴方の母親になりたがっていた」
レンヌの声が僅かに低くなる。しかし次の瞬間にはいつもの声でセライドに笑い掛ける。
「エリィは貴方のお母様よ。水妃とは別人。貴方はエルフで、エリィの子供。それじゃあ、駄目?」
無表情だったセライドはふっと笑みを浮かべて首を振る。レンヌは益々その顔に笑みをたたえる。レンヌの気遣いが、セライドは嬉しかった。エルフの村で水妃の子供として特別な目を向けられていたこと。それは密かにセライドの足枷となっていた。それを、レンヌは取り払ってくれたのだと感じた。
再び目の前に大きな扉が現れる。レンヌは手をかざして今度はセライドを止めた。
「…此処から先は、私以外は駄目みたい。少し休んでくるけど、待っててもらえる?」
「分かった。俺も此処で少し休んでいるな」
頷いて、レンヌは中へと消えていく。セライドは扉が閉まると、その脇の壁に背を寄せて座り込んだ。胸の奥が微かに温かい。良い気分だった。
数時間後、目覚めた体は先程よりもずっと軽い。ゆっくりと起きあがってレンヌは辺りを見回した。
気が集まるように出来ているのね、この神殿は。
目的は果たし、扉を引いて部屋を出ようとして扉に手を掛ける。しかし扉は道を空けようとしない。しばらく扉と格闘していると、自分以外にいるはずのない人の気配。そして背から声が掛けられる。
「まだ、帰すわけにはいかないな。お姫様」
振り向いて、レンヌは我が目を疑う。しかし幻でも夢でもないと自分の体の全ての感覚が教えてくれる。先程までレンヌが寝ていた石台に座っている人物。それが紛れもなく『陽王』であることを。
「…尊公は、陽王?」
肩に届くくらいの金色の髪。少し癖のついた髪は柔らかそうで、しかし体はサフォムと同じくらいしっかりとしている。背も高い。緑の若葉を思わせる瞳が笑う。
「そう、姫様と初代の、丁度真ん中の陽王だ」
レンヌはセライドを呼ぼうかどうか迷った。古代神族はレンヌ一人のはずなのだから。
「何故?」
「特別な用事があってな。俺だけ自然に還らずに此処に残ったんだ」
「でも、力は?」
にんまりと笑うその顔。警戒したレンヌは扉に背をくっつけた。
「賢いね、お姫様」
体は認めているのに、まだ理解しきれない。思わず距離をおくレンヌに気付いているのか、陽王は笑みをたたえたまま、レンヌを見つめる。そしてゆっくりと台の上から降り立ち、レンヌの方へ歩み寄る。
「陽王も月姫も同時に二代の王が存在することはない。つまり俺は、陽王の力だけを死なせたのさ。普通は出来ないことをやったわけだから、月姫には迷惑を掛けてしまったがな…」
そこで、陽王は寂しげな表情を見せて苦笑した。レンヌの胸が痛む。母月姫が死んだ後、父陽王が見せた顔と同じだったからだ。
「姫様が公正な判断が出来るように、もうしばらく眠ってもらうぜ」
陽王が手を挙げ、すっとレンヌの頭の上にかざす。するとレンヌは不意に力が抜け、がっくりと倒れた。
「出来れば来て欲しくなかったよ。月姫に良く似ているお姫様…」
悲痛な面持ちで、倒れるレンヌを支え抱く。愛おしそうにレンヌの髪を撫でると、陽王はレンヌの体を抱え上げた。そしてゆっくりと台の前に戻り、レンヌを石台の上に寝かせた。
「俺達が生まれてからの世界の記憶を…。姫様は受け取る義務がある。…なんてな…。結局は、先に逝く者の勝手なんだろうさ。こんなに…弱って。これでは力を支えきれない。本当に姫様が最後、限界だったんだな」
ゆっくりと目を伏せ、陽王は身を翻して台から少し歩く。そして腕を組み足を止めて、再びゆっくりと目を開けた。先程の悲しみ深い色は無くなり、鋭い視線が壁にあたる。
「さて、俺はもう一仕事だな。何が一番効果的かね…。俺よりもお前達の方が知っていそうだな。上手くやってくれるか?」
彼を取り巻く空気が震え、振動が生まれ、伝わっていく。残された彼は気配の出ていった方向、この神殿内にいるであろう扉の外の人物に壁越しの視線を送り、ふっと笑みを浮かべた。
レンヌは夢を見ていた。
遠い記憶を旅していた。
何代もの陽王と月姫。そして水妃と一族。
人間、エルフ。何もかも失われた記憶。
父と、母の事も。