Chapter 3-3 : 海中神殿
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あーあ、と溜息をついてウィザーズは逆に座った椅子の背もたれに顎をのせる。行儀が悪いわ、とリフェルが軽く頭を小突くが頭の中には響かない。伯父の例の暇つぶしはサフォム、バルドそれに母とイルシーに任せて、自分はラベアとリフェルに付いてきたのだが。それでも頭の中はレンヌの事でいっぱいだ。
俺もサフォムも大事なこと忘れてたよな。セイは半分でもレンヌと同じ一族の血を継いでるんだぞ?
同じ理由で、きっとサフォムも溜息をついていることだろう。しかし、サフォムは大人の余裕とでも言うのか、気にしている素振りさえ見せない。一人悶々としているのが、少し悲しい。
セイに限って妙なことはないと思うけど…。メロサ島ってとこが特別なら、アゼルだって知っているかもしれないし…。
「あー!俺もやっぱり付いて行くんだった!」
「諦めの悪い子ね、まったく…」
リフェルは呆れ返っているが、反してラベアは優しく笑っている。
ラベアが魔術師用の軽い鎧を纏おうとしたのを察して、リフェルが手伝うために彼の背に回る。ウィザーズは初めて目にする型の鎧に少なからず興味を引かれたようだ。
「珍しいな、その鎧」
「これですか?魔術師用の物ですからね。魔法の他に普通の攻撃に対する耐性もあるのですよ」
「シーザスへ行くのに、こんな薄着で大丈夫?」
「持って行って途中で着るよ、大丈夫」
そうやって会話を交わしていると、もう何年も一緒に暮らした夫婦のようだ。リフェルが赤面して怒りそうなので、ウィザーズはそう思っても黙っていた。
「ラベアが行って大丈夫なのか?レンヌ達もいないのに、魔法兵の半数も連れて行くんだろう?ミディクの方は?」
ウィザーズの疑問に、ラベアは真剣な面持ちで答えた。
いつもそうだ。国のことが関わってくると、ラベアはいつもの風に揺れる柳の枝のような柔らかさを隠す。この国を継ぐ者にふさわしい二面性なのかもしれない。
「シーザスの方が、ミディクよりも危険です。魔法という点ではね。シーザスは元々魔法の発展しなかった土地です。それにあちらが危険を冒して示してくれた誠意に答えなくてはいけませんからね」
「…悪い。本当は俺が行くべきなのに」
今回のシーザスの協力で助け出されたのは他でもない、ウィザーズの母親だ。ウィザーズの反応に、ラベアはまたいつもの顔で笑った。
「王子の目的はシーザスの警護ではありませんから」
そんな風に言って笑ったラベアの髪を、開け放たれた窓から入る風が撫でた。
『助けて、姫を…』
ラベアとリフェルにはただの心地よい風の囁き。しかし、ウィザーズにとってはそうではない。ウィザーズは床を蹴るようにして椅子から立ち上がった。突然のことに、リフェルが軽く悲鳴を上げる。
「どうしたの?ウィズ」
風に乱される髪を押さえながら、リフェルが尋ねる。
『メロサ島…海の中の神殿。閉じこめられ…』
断片的に聞こえる風の声。ウィザーズにはそれだけで十分だった。
「ラベア!リフェル!此処からメロサ島までどのくらいかかる」
「船だとかなりかかるわよ?…どうして?」
海の中の神殿に閉じこめられている。どんな状態か分からないが悠長なことは言っていられない。それに、レンヌとセライドがいないのに魔法や魔術を使わなくてはいけない状況になったら、ウィザーズとバルド、サフォムでは歯が立たない。
「どうしました?王子」
「…本当に悪い!ラベア、回り道をしてくれ!」
ウィザーズの申し出に、リフェルが目を丸くする。ただ単に追いかけたいということではなさそうだが、それにしても突然の事。一体この少年に何があったというのか。
「随分な回り道ね…」
「良いですよ。部下だけを先に行かせますから。私の方はもう少しかかりますから、その間に王子も準備をして下さい」
「ありがとう!ラベア。サフォム達も呼んでくる」
走り去るウィザーズの背を見つめ、リフェルは苦笑した。
「ちょっとウィズに甘いわよ、ラベア」
リフェルもね、と加えてラベアはくすりと笑った。どうやら面倒なことになりそうだ。彼は部下を呼び、先にシーザスへ行くように伝えた。シーザス王への書状も渡し、そしてミディク国王にウィザーズとともにメロサ島へ行く旨を伝えた。
大丈夫、と言ってはいるがラベアの表情はあまり良くない。長時間竜という大きな魔獣を繰り、しかもそれに自分以外に三人もの人間を乗せていれば当然の消耗だ。やはり魔術を使える仲間二人を二人共先にやってしまったのは誤算だったか。
「ラベア…本当に、休んだ方が良い」
ウィザーズが声を掛けると、サフォムも続けて話しかける。
「本当に無理をなさらずに、ラベア殿。我々に貴公の代わりは出来ないのですよ?」
「…もうメロサ島上空です。島で少し休みますね」
微かに微笑むその表情は硬い。額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「うん…。無理させて済まない、ラベア。リフェルに又どやされる…」
本当に済まなそうに微笑むウィザーズを見て、ラベアは口の中で呟く。
「…どんな無茶でも聞いてあげたくなるから不思議ですよね…。降ります」
最後だけはっきりと全員に告げる。
一瞬がくっと制御を失った魔獣は何とか持ち直したが、島に降りるなり姿を消す。ふう、と疲労の溜息をつくラベアを両脇からサフォムとウィザーズが支えて適当な場所に座らせ、バルドが水筒の蓋を開けて手渡した。
「ありがとうございます」
ラベアは二・三口水を口に含む。降りたのはメロサ島の海岸。砂浜はなく、岩場に波が押し寄せてくる。風はそれ程強くない。潮風が、ミディクよりも少し冷たい。
「しかし、この島にレンヌちゃんとセライド君が?何処にも二人がいそうな建物なんかありませんがね」
小さな漁村は今下りた場所の反対側だった。上空から見た限り、そちらにも特別な建物などは無かった。
「いや、海の中に神殿があるって聞いた。ちょっと海岸から捜してみてくれ」
ウィザーズの言葉に、サフォムは驚く。
「は?レンヌちゃんそんなこと言ってました?」
「いや、レンヌじゃあないんだけど…。とりあえず詳しい事は後で話すから、頼む!サフォム。バルドはラベアに付いていてくれ」
「は、はぁ」
走り出すウィザーズにラベアがくすっと笑いを漏らす。バルドとサフォムは何の事かと顔を見合わせた。しかし言われた通り、サフォムはウィザーズとは反対の方向へ島を回り始めた。
海鳥がやかましく騒ぎ、空を飛んでいる。その空よりも青い海。潮の臭いが流れてくる。穏やかな海岸をしばらく歩いていると、島から少し沖、透明度の高い海の中に神殿らしき白い建物が沈んでいるのが目に付く。
「ありましたよ、王子!」
サフォムが叫ぶと、反対方向へ歩いていたウィザーズは喜々として振り返る。
「何?よぉーし」
サフォムの方へ走り寄りながら、ウィザーズは自分の鎧に片手をかけた。
まさか…。
サフォムが表情を強張らせると、案の定鎧を投げ捨てて止まりそうにもない勢いで走ってくる。
「ちょっと王子!何を考えているのですか!」
サフォムは海を背にして両手を広げた。海に飛び込もうとするウィザーズを必死になって押さえる。
「何って、飛び込んで泳いで神殿に…」
「人間が泳いでいけるような所ならレンヌちゃんとセライド君の二人が閉じ込められる訳がないでしょう!」
騒いでいる二人に、バルドが加わってウィザーズを後ろから押さえる。流石にバルドに押さえられては、ウィザーズも海に飛び込むことは出来ない。
「それにウィザーズ様、泳ぎの方は出来ましたかな?」
「うっ、あの時は傷のせいで…。多少なら泳げるぞ」
城の池で練習した。と主張するウィザーズに、サフォムが大きく溜息をついた。
「あれが多少泳いでいける距離ですか…?」
危険だ、とサフォムは思わずにはいられない。取り合えすバルドが押さえているが、その手を離せばこの若い王子はすぐにでも海に飛び込んでいくだろう。レンヌだけが特別なのでは、多分ないと思う。例え神殿にいるのがセライド一人でも、サフォムであってもバルドであっても、ウィザーズは同じように海に飛び込もうとするのだろう。誰かが止めなければ、どんな危険にだって構わず飛び込んで行ってしまうのだろう。
「とにかく、何があるか分かりませんから鎧は着て下さい」
強く言われて渋々といった様子でウィザーズは脱ぎ捨てた鎧を再び身に纏う。その間にバルドは岸に近づき、海の中の神殿を興味深げに覗き込んだ。
「海の底に沈んだ神殿…。ウィザーズ様、本当にレンヌが彼処にいるのですか?」
「だからそう言ってるだろ。でも、どうやって入れば…」
鎧を着終わって、バルドの隣にウィザーズが並ぶ。サフォムは飛び込まないようにとウィザーズの腕をしっかりと掴んだ。
海から、強く風が吹き付けた。ウィザーズの耳に、風の声が届く。
『空気を媒体にして防御して下さい。私達は直接貴公達を守ることは出来ませんが、どうか姫を…』
「魔術で空気を媒体にして防御して行けって、海が言っている」
ウィザーズの言葉に、怪訝そうにサフォムが眉を寄せた。ウィザーズは構わずラベアに視線を向けた。知らず知らずのうちに、兄のように彼を頼っていることに気付いて、ウィザーズは心の中で苦笑した。そのウィザーズの視線に気付いて、バルドは心配そうに声を掛けた。
「ラベア殿はもう少し休む必要がおありなのではないですか?」
ラベアは真っ直ぐウィザーズの視線を受け止めていた。バルドの言葉に、ウィザーズの瞳が揺れる。
「…いえ、大丈夫です。行きましょう」
「駄目だ!無理はさせられない、ラベア」
すぐに返ってきたウィザーズの言葉に、ラベアは微笑む。それはおそらく、彼の予想した通りの言葉だったのだろう。
「本当に大丈夫です。ただし、空気のように形を捕らえにくい物を媒体とするのはとても難しいのです。プロテクトを造るにしても、それ程大きな物は無理です。連れていけるのは一人だけです」
ウィザーズがバルドとサフォムと目を合わせる。サフォムが息を付いてバルドを見やると、バルドは黙って頷いた。
「仕方がありませんね。ラベア殿に負担をかけるわけにもいきませんし。王子、此処は貴公にお譲り致しますよ。体格的にもまだ小さい貴公が適任でしょう」
そのかわり、無事に帰ってくるようにとサフォムの目が告げていた。ウィザーズは真剣な面持ちで頷いて、後を任せることを二人に告げる。ラベアは先に崖に近づき、ウィザーズを招いた。
「カトラス王子、なるべく私の近くにいて下さい」
「分かった」
ラベアはすっと手を伸べた。その指先から真っ直ぐ下に垂線を引けば、その先は波打つ海だ。
「海よ我らをその腕に受けとめたまえ。風よ、我らの道を守り、我らの思いを遂げさせよ」
ラベアが呪文を唱えたが、ウィザーズの目には何も変わったところはないように思えた。伸ばしていない方のラベアの手が、ウィザーズの腕を掴む。
「王子、飛び降りますよ」
言うが早いか、ラベアはウィザーズの腕を掴んだまま海の上に躍り出た。ウィザーズは足が宙に浮くのを感じた。チェルットの廃城から落ちたときは頭からだったが、やはり少し感覚が違うのだなと妙に感心した。恐怖感がなかったのは、ラベアが腕を握っていてくれたからだろうか。
風が二人の足元から吹き上げ、そのまま頭の方まで上がっていく。そしてラベアとウィザーズを包み込む。大きな水しぶきが上がって、二人は海の中へ落ちていった。海にはいると、速度は緩やかになった。真っ直ぐ下へ落ちるのではなく、二人を包む風のプロテクトはゆっくりと神殿に向かって行った。上では、バルドとサフォムが心配げに海を除いていたが、深く落ちていく間に二人の事も見えなくなってしまった。
「すっげぇ…」
周りを魚が泳いでいる。彼等にとって、その風のプロテクトはイレギュラー的な存在ではないらしい。群は崩れることなく続いていた。
「彼処が神殿の入り口ですね」
重く石の扉で閉ざされた神殿を、二人は見上げた。
「開くかな」
ためらいながら近づいた扉に、ウィザーズがすっと手を触れる。そうすると抵抗もなく扉は二人の為に道を空けた。レンヌ達が閉じこめられているのは此処ではないらしい。さらに中にいるのだろう。
「プロテクトも結界もないのに、水が入ってこない?」
白い神殿から、魔術の気配は感じられない。先を進むウィザーズに遅れない程度に、ラベアは神殿の中を見回した。
「セイ!」
名を呼ばれ、ある扉の前で立っていた黒髪のエルフが、さっとウィザーズ達を振り返り、素直に驚きを示した。
「ウィズ?お前どうして此処に?」
「風が、レンヌに何かあったって言うから…。てっきりお前もかと思った」
「レンヌは閉じこめられた。この部屋の中に。仕掛けがあるのかと思って神殿を探したんだが、なにも見つからない。声をかけても返事はないし」
「そんなもの、体当たりしてぶち破ればいい」
そう言ってウィザーズが体当たりする構えをするが、セライドがその肩を捕まえて首を横に振った。それもセライドが試したらしい。そんな二人の横から、ラベアがすっと扉に手を伸ばす。
「ラベア?」
ラベアは目を閉じてしばらくの間立ちつくした。
「微かに魔術の気配を感じます。力尽くでは無理でしょう」
そう言い終わるが早いか、ラベアの体がふらっと後ろに大きく揺れる。慌てて後ろに立っていたセライドがその肩を支え、ウィザーズがラベアの腕を掴んで引っ張り返した。
「ウィズ!お前ラベア殿に無茶を言ったな?魔術は作動させること自体は大した力を使わないが、それを維持することには相当な力を使うんだぞ!体力を魔力に変換しなくてはいけないような状態にまで…」
「だー!魔術の原理云々言われたって、わかんねぇよ!」
「つまり、ラベア殿に無理させ過ぎたってことだ!」
そのまま舌戦にもつれ込みそうな二人を、ラベアは苦笑しながら止めに入る。
「セライド殿、こんなに消費するとは私自身思っていなかったのです。それに王子に協力したのは私の勝手ですから王子を責めないで下さい」
「…済まない、ラベア」
ラベアの仲裁で頭が冷めたのか、大人しく自分の非を認めしゅんとなるウィザーズに、ラベアは微笑みをもらす。セライドの方は魔術を使うことがいかに大変かと言うことを、どうやってウィザーズに分からせるか思案中のようである。ラベアは肩を落としたウィザーズを元気づけるように背を軽く叩き、再び微笑んだ。
「気にしないで下さい。貴公が一生懸命仲間を助けようとするのを、私も精一杯手助けできたら、と思っているのです。それに、中にいるのがリフェルだったら、私だって同じように貴公に助けを求めたでしょうね」
「…ラベアは、ラベアだったらきっと一人でもリフェルを助け出せるさ」
そう言われて、ラベアは少し戸惑った。この王子は、必要以上に自分とラベアの力差を広げて考えている。背に触れていた手を、ラベアは少し動かしてウィザーズの背を撫でた。
「しかし、お前は良く考えずに突っ走るからな。今回だって中の様子をちゃんと確認してから来れば、俺がいたことにも気付いたし、ラベア殿に無理させることもなかったぞ」
「反省してるよ!」
ウィザーズはじっとそこにある扉を、忌々しげに見つめた。石の扉はウィザーズを認めて、中へ入れてくれることがない。
…レンヌ…。
無事なのか?
それだけでも良い。応えてくれ、レンヌ!
頭の中でそう叫べば、通じてくれるような気がした。同じ大地に生きる物なのだから、木々や水の声と同じように、頭の中で話した言葉の方が、レンヌに通じてくれると思った。
「少年」
一瞬、その言葉が頭の中に響いたような気がした。しかし、セライドが身構える気配を感じ、ウィザーズは石の扉から回廊へと視線を移した。
「あまり姫様を呼ぶもんじゃあない。ただでさえお前さんの声はでかくてかなわん。大事な仕事の真っ最中だ。邪魔しないでもらえるか?」
金色の髪。ウィザーズと同じくらいの身長。線の細い、どこか気高い雰囲気の漂う男が、ウィザーズ達の前に立っていた。いつ近づいてきたのか分からない。
「…誰だ?」
セライドには覚えのある圧迫感があった。しかし、自分が体験した感覚ではないように思う。体の奥にあるものが、彼を覚えている。
「気付かなかったのか?ずっとこの神殿にいたんだぜ。水妃の息子にしては鈍感だな」
「お前…!」
「良い、ウィズ。事実だ。俺はあまり気配には強くない」
何故かこの男には逆らえない。いや、普通なら腹立たしく思うであろう言葉もしっくり心に馴染んでしまう。それでも、そんな感覚に捕らわれているのは自分だけらしい。現に、ウィザーズはセライドが止めなければ男につかみかかっていただろう。
「お前は何者だ!お前がレンヌを…!」
「待って下さい、王子。…貴公は古代神族ですね。それも、もう死んでいる」
男はにやりと笑った。
「気を読むのが上手いな、兄ちゃんは。人間にしては上出来だ」
男が再び歩き出した。ウィザーズはラベアをかばうように警戒の体勢を崩さない。
「だが、随分とお疲れのようだ。それでは満足に戦えまい?」
ウィザーズはとうとう剣を抜いた。男は驚いた様子もなく、組んでいる腕も崩さなかった。
「戦うなら俺が相手をしてやる」
「ほぉ。面白いことを言うな、少年」
「魔法が使えないお前じゃあ不利だ。俺が戦う」
「安心しろ、俺も魔法は使えない。ただの亡霊だからな。それに、お前さんじゃあ俺とは戦えないだろ」
…そうだ。
俺の中の水妃が止める。この男と戦う事は出来ないと。
この男はただの古代神族の亡霊ではない!
だが、なおさらウィズと戦わせる訳には…。
ウィザーズを横目で見ると、彼は一度抜いた剣を締まっていた。
「剣もない、魔法も使えない。それでは俺が剣を使うのは卑怯だな。肉弾戦でいこうぜ」
ウィザーズは自分の拳をもう片方の手の平にあてて、パンという音を出した。
「俺もいい加減年なんだがな。まぁ、良いだろう」
男は頭を掻きながら笑った。どう見ても、余裕の笑みというものだろう。
「俺が勝ったらレンヌを解放してもらうぞ」
「お仕事だって言ってるだろうが。思い切り引き延ばしてやる」
「出来るもんなら、やってみろ!」
腕を腰でためてパンチ、と見せかけて脚を大きく蹴り上げる。しかし、動じることなく男は次のウィザーズの拳もろとも軽く払う。剣術が主とはいえ、その剣を万が一にも失ったときのために、ウィザーズは格闘技も本格的に叩き込まれていた。勿論正式に格闘技だけという戦士には敵わないが、相手は魔法主体の古代神族。それも亡霊に、ここまで押されるとは思ってもいなかった。
くそっ!こいつ強い!
男はウィザーズの拳を片手で受け止め、そのまま掴んだ。
「何故、姫を助けに来た?」
引き込まれそうな、落ち着きのある声。
「くっ、『何故』だって?」
言いながら、半分ヤケになって掴まれた拳をもぎ取るようにして男から離れた。
「決まっているだろう!『呼ばれた』からだ!」
今度は脚を高く蹴り上げる。しかし男はそれを避けてウィザーズの懐に入り込む。素早く攻撃を防御へと切り替えるが間に合わない。
「それだけか?」
「うっ!」
みぞおちに鋭い突きが入って、ウィザーズの体は軽く飛ばされる。そしてそのまま壁に叩きつけられた。
「それだけ…だと?」
衝撃にむせながら、ウィザーズは男を睨んだ。
「そうだ。お前が…姫を助けるのは、ただ同じ声が聞こえる、それだけの理由か?」
駆け寄ろうとしたセライドとラベアを制し、ゆっくりとウィザーズは立ち上がった。今だけは、誰の手も借りてはいけない。何故かそう思えた。
「それだけ…何かじゃあない!俺はレンヌが好きだ!だから助ける!何があっても、レンヌは俺が守ってみせる!」
「…良く言ったぞ、若人」
ウィザーズが殴りかかるが、男は軽くその拳を取ってウィザーズを引き寄せ、その腹に蹴りを食らわせる。
「ぐっ、あぁ!」
「だが、父親としては少し聞き捨てならん台詞だな」
「父親ぁ?」
飛ばされても手を突いて持ちこたえ、ウィザーズは怪訝そうに聞き返す。その背に、セライドが無表情で告げる。
「…それよりウィズ。お前さっきの台詞丸聞こえだったらどうするんだ」
「え?…あっ、考えてなかった」
「…馬鹿…」
「う…ん、やはりもう少し慎重に考えて行動した方が良いですかね。いえ、王子らしくて良いのでしょうか」
「しかし打たれ強いな。いい加減疲れてきたぞ。しかし、もう一発で倒れるかな」
「お父様!」
再び男が構えの体勢を見せると、レンヌが扉を開けて駆け出して来た。男は形ばかり拳を収める。
「姫様。仕事が終わったみたいだな」
「お父様!ウィズに何をなさったの!」
「…喧嘩?」
「お父様!」
咎めの声を掛けるが思い直したようにレンヌはウィザーズの方に駆け寄った。しかし心の準備が出来ていなかったらしくウィザーズは顔を真っ赤にしながら奇妙なポーズを取る。
「レ、レンヌ…さっきの、聞いてた?」
「さっきの?何を?」
「聞いてなかったのか…」
ほっとしたような、それでいて何処か残念そうにウィザーズは胸を撫でた。
「何?大切な話だったの?じゃあ今聞くから、もう一度言って」
「大切…なのは大切だけど…。聞いていなかったのなら良い!何度も言うようなものじゃあ…」
「あのなぁ、姫様」
男の笑みは喋る気満々だ。レンヌもレンヌで何ですか、と素直に男の方を向く。
「だーっ!もう良いって言ってんだろ!言うなくそじじい!」
「むっ、じじいだと?こんな若い王様を捕まえておいて何て言い草だ。姫様、父としてこの男だけは認めんぞ。せめてそっちの水妃の息子にしておけ」
「こっちの馬鹿は放って置くとして、どう言うことだレンヌ。無翼の天使はお前一人だけじゃあなかったのか?」
「お父様はもうずっと前に亡くなっているのよ。だから無翼の天使は私一人」
「さっきも言っただろ?俺はただの亡霊さ」
「じゃあ大人しく死んでろ」
ぼそっと小声で言ったつもりだが、元が素直なウィザーズ。その場にいた全員に丸聞こえだった。ぴくっ、と一瞬顔を引きつらせた男はすぐ様ウィザーズの首に腕を回す。
「道連れにして欲しいみたいだな。ん?少年」
「ふざけんな!」
「ちなみに、真面目に姫様の親でもない」
「どう言うことでしょうか」
「この方は私と初代陽王の、丁度中間の代の陽王です。遠い親。五千年くらい前の王です」
「陽王…」
そうだ…この感覚。レンヌに感じる物と似ている。
「だから水妃の血が、俺を止めるのか」
「水妃は陽王と月姫の下に位置するからだわ。陽王に意見できるのは月姫だけ」
「そう言うこと。でも現陽王は姫様だからな。俺は陽王の名前は使えない。お前達みたいに個人的に名前があるわけでもないし。そう言うわけで姫様は俺を父と呼ぶことしか出来ないのさ。分かったか?少年」
「…陽王がこんな性格で良いのか?なぁ、ラベア」
「私に意見を求められても…」
困りますよ、とラベアはお茶を濁す。
「…懲りない奴だ」
と男はまたウィザーズの首を締め上げる。
「しかしなぁ、歴代の陽王は皆こんな性格だぜ?姫様の一つ前は少し真面目だったかな。あとは滅茶苦茶きつーい性格とか。いただろ?姫様」
「え…えぇ」
「後は皆好戦的!んで、大体月姫に惚れるんだよなぁ」
「はぁ…」
「俺の月姫も美人だぞ」
「あぁ、そうですか…」
もはや呆れ顔になるウィザーズだが、男は急に真剣な表情に戻ってレンヌに向き直った。
「…仕事、ご苦労様だったな、姫様」
「…お父様」
「もう、俺の仕事も終わりだ。やっと月姫の所へ逝けるな…」
「ありがとう、お父様」
「礼なんか言うなよ。こっちは、土下座しても足りないくらい、謝りたいんだ…」
悲痛な思いを隠した告白。レンヌは沈黙でそれに応えた。何のことだか分からないが、邪魔をしてはならないような気がして、三人も黙って二人の古代神族を見守る。
「全ての決定権は姫様にある。まぁ、あまり気張らずに、好きなようにして良いんだ」
そう言って男はレンヌの頭を撫でる。レンヌはしばらく沈黙した後、黙ったまま僅かに頷いた。
「行きな。もうこの神殿には居られなくなる」
「はい」
レンヌに促され、三人は身を翻した。歩き続ける間にも、男の見守る視線が背中に感じられる。
「…少年!」
「ウィザーズだ!」
「…負けんなよ」
「…。俺は負けねぇよ、絶対にだ。それとも、俺が負けると思うのか?おっさん」
いや、とウィザーズに聞こえない程の小声で呟き、男は壁にもたれ、軽く手を振る。にっと笑って、ウィザーズは身を翻す。先を行く仲間を追って走っていった。その姿が見えなくなると、男は壁に背をつけたままその場に座り込む。
「最後の王と、同じ声を聞く人間…。仕組まれた計画犯罪だぜ、まったく…。結局、俺達は神に成る事はできなかった。そういうことだな…」
ざわっと風の音。海の中の神殿に、確かに風の音が響いた。心地よく、体を撫でてくれる。
ふっと笑って、男は顔を上げた。
「…月姫、迎えに来てくれたのか」
男は目を閉じた。
「ありがとう」
すっと、男の体が消え去る。その気配も、風に吹かれてやがてすべてと溶け合った。