Chapter 4-1 : 命約の崩壊
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シーザス城では国王ヨカナーンが長椅子に肘を付き、引き締まった痩身を投げ出すようにして座っていた。体は寛いでいるが、表情は若さに満ち溢れ、幾分厳しい。向かいに座っているのは参謀キール。そして脇には将軍ケネスが厳しい顔付きで立っていた。
「まさかお世継ぎ殿が参られるとは思わなかったな」
そう漏らしたヨカナーンの頭に思い浮かぶのは、以前会った時の柔らかな物腰の青年。やや頼りなくも映るが、それは隠れ蓑かもしれない。彼はあのミディク王が認めた人物なのだから。
「よほどフォリンを警戒しての事か、逆にそれほどの危険はなく、建前としてよこしたのか。どちらかでございましょうな」
穏やかな表情で辛辣に言ってのけたキールだが、その言葉は的を射ている。厳しい顔付きを崩さないまま、ケネスもヨカナーンに進言した。
「魔法兵など、不要ではございませぬか、陛下。我が国の兵だけでは心許ないと?」
ケネスの言葉に、ヨカナーンもキールも苦笑して返した。
「ミディク王の心遣いだ。断る理由もあるまい」
ケネスはあからさまに不満そうにして鼻を鳴らした。
「部下だけを先によこすなど、無礼極まりない。ミディクはシーザスを下に見ているのだ」
ケネスは自国に誇りを持っていたから、その言葉は当然だった。しかし冷静に世界情勢を見ているキールは内心で、シーザスがミディクに劣る理由を数々挙げていた。それは北の不毛の地であるという地域的ハンデのようなどうしようもないものばかりではない。ミディクがどう見ていようとも、実際に今ミディクに敵う国はない。軍事力でも、経済力でもだ。
「おやおや、めったなことを言うものではありませんよ、将軍。ラベア殿は礼儀を重んじる方と聞いております故、あちらで何かあったのでしょう」
心を隠して宥めるキールにケネスは気付かない。言葉通りに受け取って、不服そうに顔をそらした。キールの考えに、ヨカナーンもそうだなと同意の声を漏らした。すると、一礼して部屋に入って来た彼の従者が深々と最敬礼を示す。
「ただいまミディク王国魔法兵団長、ラベア=ルクオード様がお着きでございます」
ヨカナーンはすぐに長椅子から身を起こした。
「お通ししろ。無礼のないようにな」
「心得ております」
すっと退出した従者は再びラベアを連れて戻ってくる。ラベアは少し旅の疲れを見せていたが、以前会った時と変わらない穏やかさを持っていた。圧倒的な威圧感を持つミディク王とは対極にいるような男だ。
案内してくれた従者が引くと、ラベアはヨカナーンの前で最敬礼を示した。
「遅れて申し訳ございません、シーザス国王陛下。ミディク国王の命で参りました。ラベア=ルクオードと申します。部下を先によこした無礼、どうかお許し下さい」
頭を下げたラベアに、ヨカナーンがさっと立ち上がって近づいた。
「頭をお上げ下さい、ラベア殿。遠い所お越しいただき、光栄です。部下殿達には部屋を用意し、休んでいただいております。貴殿もどうかゆっくりなさってください」
そっとヨカナーンがラベアの腕に触れる。そこでやっとラベアは顔を上げる。黒く細い髪が揺れる。直立したその姿勢は優美で、目はヨカナーン達同様、緊張していた。
「ありがとうございます。しかし、この国の防衛の為に派遣された身。くつろぐわけには参りません」
そこで脇に控えていたケネスが声を上げた。
「国の防衛は国軍の役目。魔獣の来襲ごとき恐れるものではありません。それとも、我等だけでは不服ですかな?」
「将軍!控えよ」
その挑発しているような言い方に、ヨカナーンは咄嗟に声を荒げた。ケネスは身を折ってヨカナーンに従ったが、前言を撤回する気はないようだった。ヨカナーンはケネスに代わってラベアに謝罪しようとしたが、ラベアはそれを敏感に察して微笑んだ。
「いいえ、将軍のおっしゃりようはごもっとも。シーザス国軍の素晴らしさはよく存じております」
「それではごゆっくりなされると良い。私はこれで失礼させていただきます、陛下。城の警備にあたります」
一礼してケネスは踵を返す。思わず視線で追いかけるラベアに気づいたのか、ふっと笑ってヨカナーンは声をかける。
「お気になさらず」
ラベアが苦笑すると、国王の側に控えていたキールが更に言葉をかけた。たしか将軍付きの軍師であったとラベアは記憶している。
「お怒り、納め頂きとうございます、ラベア殿。気位が高いように思われるかも知れませぬが、責任感の強さ故のこと。悪気はないのです」
そこですっとキールがラベアに席を勧めた。ラベアは向かいにヨカナーンが座るのを確認してから、自分も勧められた席に座った。
「分かります。しかし、正直申し上げますと、やはり魔法に頼らなくてはフォリンには敵いますまい。本当のところ、我等の力でこの国を守れるか、それも危うい状況です」
先ほど退室した従者が茶を持ってきたので、キールは部屋の戸口でそれを受け取った。そしてそれをラベアの前とヨカナーンの前に置いて質問する。
「それほどフォリンの力が強いとおっしゃられるのですか?」
キールは軍師としてだけでなく経済的な面でもシーザスを支えていたので、各国の事情もよく知っているはずだった。フォリンは軍神バルドが退いてから、国軍のレヴェルも落ちている。経済面では確かに不毛の土地の多いシーザスよりは上のはずだが。
「えぇ、多分。あ、失礼。フォリンの力というより、独裁的に支配しているフォリン王の力ですが」
ラベアの言葉に思わずヨカナーンが叫んだ。
「馬鹿な!たった一人の力にシーザスが屈すると?」
「それを可能にするのが魔術、そして魔法です。いずれお分かりになるでしょう。長くなりますのでこの場での説明は控えさせていただきます」
ラベアの答えに、キールは少しだけ眉を寄せた。元々南に比べて北は、魔術や魔法が発達しなかったのだ。それらを理解するための土台がない。確かに、説明するとすれば長く難解になるのだろう。しかし、この言葉ですべて片付けられては困る。少しずつでも聞きださなければならないな、とキールは思った。
「それでは何も知らぬ私達が、まず早急に成さねばならぬことがありますか?」
「それは…」
言いかけて、何かに引かれたようにラベアは顔を上げた。窓のわずかな隙間をすり抜けて鳥が入りこんでくる。人に慣れているように差し出されたラベアの腕に止まるが、それが生身でないとラベアには分かっていた。
『おう!やっぱりあんたか!助かったぜ』
鳥の嘴は硬く閉じたままで、しかしその腹の辺りから人の声がした。
「なっ!」
ヨカナーンがさっと剣を構えるが、鳥は身じろぎもしない。それよりも慌てたのはラベアだ。ここでこれを消されてしまっては敵わない。
「お待ちを!…アトレ殿?」
慎重にラベアが問いかけると、その鳥は嬉しそうに羽をばたつかせた。
『そうそう、俺だよん!いや、上を飛んでいるあんたの気配を感じたからさ。こうして追いかけて来ってわけ。あっと、距離的に結構きついんで手っ取り早く伝えるぜ。助けてくれ』
声色さえ深刻な様子に変えようとしないアトレに、ラベアはがっくりと両肩を落とした。
「…それは簡潔に略しすぎです。何があったのですか」
尋ねられると、鳥は片方の羽を持ち上げてハタハタと動かした。多分、頭を掻く仕草をしているのだろう、と横で見ていたキールは思った。
『いやー、セライドの村助けに来たはいいが予想以上に少ない人数でさ。エルフは女しか結界はれないんだよ。んでも、いるのがばあさんとあまりにも若い子で…長くもちそうにないんだ』
「…では何体も敵が?」
事情を察したラベアがそう言うと、鳥は―名前はアトレというらしいが―横を向いて溜息をついた。相当な芸達者だ。そういう表現が正しいのなら。と、この状況に戸惑いながらヨカナーンは考えた。
『あぁ、しかも木の葉を媒体としていやがる。倒せど倒せど、ってやつさ。お手上げだ。俺には全部一気に叩く力はない』
ラベアは、アトレの実力を彼と会った時にいくらか知ったつもりだ。エルフの森までの移動、それに迎撃で消耗した分を考えると、確かにギリギリの状態なのかもしれない。幸い相手はアゼルではない。しかしそれに近い力を持つか、複数で在ることは確かだ。
「正直に言ってください。もって何日ですか?」
鳥はしばらく沈黙した。
『…四日。いっても六日だ。攻撃が強くなれば、それ以下だな』
その言葉に切羽詰った状況を、キールは感じ取った。ラベアも同じだったらしい。長い指を口元に当てて、慎重に次の言葉を口にした。
「敵が手を強める気配はありますか?」
『いや、今のところじわじわとこちらの消耗を待ってる。指揮してる奴はよっぽど陰険なんだな』
今度は両方の羽をちょいと持ち上げた。それが肩を竦めている仕草なのだと気付くのに、キールは三秒ほどかかった。
「分かりました。一日待ってください。こちらから魔獣を送ります。気で分かりますね」
『おうよ。悪いがなるべく早く頼むわ。セライドが来る前になんとかしないと情けないからな』
飛び立つ事もなく鳥は姿を消した。その代わりに小石がラベアの腕から落ちたが、ヨカナーンもキールも気付かなかったようだ。
一息つくと、ラベアはヨカナーンに向き合った。ヨカナーンもキールも、何かがあったということだけは理解できたので、ラベアの出方を窺うようにして体を緊張させた。
「陛下、たびたびのお願い、申し訳ありませんがお聞き願えますか?」
やはりそうなるのか、と思いつつも、ヨカナーンは努めて冷静に返した。しかし、やはり喉が渇いて声がかすれてしまった。
「何、でしょうか」
「エルフをこの城へかくまっていただきたいのです」
少しも言い淀むことのなかったラベアに対して、ヨカナーンもキールも戸惑いを隠せない。ヨカナーンは先程運ばれてきた茶を少し口に含んで、乾いた喉を宥めた。
「エルフ…ですと?」
この地では殆ど耳にしない単語だった。ラベアはそれを知っているのか知らないのか、淡々と言葉を継いだ。
「そうです。隠しても仕方のない事…カトラス王子の仲間に一人のエルフがおります。彼の村がフォリンの迷いの森にあるのです」
まだ戸惑いを見せているヨカナーンに代わって、キールが落ち着いた声で言った。
「かくまわなくてはいけない理由が?城の者すべてに秘密裏に事を進めることは不可能です。こちらとしても、住民や兵の不安を煽るようなことはしたくございません。エルフは特殊な力を持っていると聞いております。魔法や魔術に疎い我が国民が、些細なことで不安を煽られるのは当然のことでしょう」
「その特殊な力をウィルス王が狙っているとしたら?」
ラベアの冷静な切り返しに、キールは口を噤んだ。しかし表情は変わらない。
「…正直言いまして、私にはそれがどれほどの脅威となるのか、見当がつけられません」
「エルフと人間では伝えられた魔術や魔法の形態が違うのです。ウィルス王がエルフの知識まで手に入れたら…私はここを守りきることはできないでしょう」
誇張したわけではなく、ラベアは思ったとおりの言葉を述べた。ヨカナーンが低く唸る。キールがヨカナーンに囁きかけた。しばらく二人はラベアの聞き取れないほどの声で何かを話し合っていた。
ラベアは外を見た。暗い雲が広がってきて、美しい夕焼けを侵してゆく。
「城の地下を空けましょう。どれほどの人数かわかりませんが、それ以上のことは出来かねます」
ヨカナーンが言った。ラベアは頷いた。セライドの村はそれ程多くの人数がいると聞いてはいないからそれで十分だ。
「もし、エルフが何か騒ぎを起こしたりしたときは、私の首を献上いたします」
「ラベア殿!」
ラベアは軽く笑って返すと、テーブルに置かれた花瓶からスノウライトの花びらをとる。そして小声で詠唱する。純白の蝶が造り出され、それは暗くなっていく空に向かって、通常では考えられないような速さで飛び立った。そしてそれを見届けると、待機していた部下達と共に城を出た。エルフ達を城へ入れる時の為に、キールが証人として付いて来た。
―くそっ、四日も持たないかもな。
アトレは結界を維持している女達の顔を見て舌打ちをした。子持ちの女が数人。老女はその倍。男達は村の中で手をこまねいていることしかできない。
俺にもっと力があったら…。
セライドに任せろと言って来た。彼はその言葉を守りたかった。実際彼一人であれば、結界の外の奴らと戦えたかもしれない。
情けないぜ。
きつく口を結んだとき、アトレは上空に敵とは別の気配を感じた。
「アトレ!」
村の女と混じって結界を張っているヤージェも、その気配に気付いたようだ。
「よし!そこだけ結界を解け!」
「でも…」
「すぐに元に戻すんだ。やれるな?」
目を合わせて言うとヤージェが頷く。額にはうっすらと汗が浮かんでいた。それはどの女達も同じだ。アトレは目を瞑った。森の気を感じる。大地…風…そして…。
セライド?
集めて固める。
「今だ!」
ヤージェが結界を解く。外で攻撃を続けていた魔獣達が中に入り込んでこようとする。アトレはそれに向かって魔術をぶつける。空気を媒体とするのは容易ではないが威力は強い。
純白の蝶が中に入り、結界は再び閉じられた。
『今そちらへ向かっています。大丈夫ですか?』
ラベアの声だ。アトレは地面にへたり込んだ。息が上がって苦しい。全く情けない、とまた思う。女達の方がもっと疲労しているはずだ。小さいレムが視界の端に入って、アトレは声を絞り出した。
「大、丈夫。だけど、早く来てくれ」
純白の蝶がアトレの目の前に降りてきた。多分視覚までは同調させていないだろう。今の姿はなるべく見られたくない。
『森の外から別の結界を張ります。なるべく全速で北へ抜けて下さい。シーザス王の許可を受けました。森の方達はシーザス城の地下にかくまっていただきます』
蝶が話していると言っても違和感のない、柔らかなラベアの声。しかし発した言葉の内容は決して易しいものではない。こちら側としてはとても好条件だが、ラベアとしてはそうも言えまい。
「…大丈夫なのか?」
『えぇ、私の首をかけましたから』
さらりと言ってのけたラベアに、アトレは顔を歪めた。大丈夫ではない状況を大丈夫にしたと言うのだ、この男は。
「…安心しろよ、心中なんて嫌だろうけどその時は俺も腹を切るぜ」
真剣に言うアトレに、ラベアの笑う息が聞こえる。きっと穏やかに笑っているのだろう、いつもと同じように。その顔が目に浮かぶようだ。
『頼もしいです。ではすぐに森を出る準備を整えてください』
すぐに消えてしまいそうに揺らめいた蝶に、アトレは思い出して慌てて呼びかける。
「おい、レンヌの言った盟約、忘れるなよ」
『大丈夫です。魔獣の相手をするのは貴方がたを逃がすまでの間です。術者を見つけ出します』
「分かった。待ってるぜ」
『それでは、また後ほど』
最後の言葉と共に、美しい純白の蝶はシャボンのように姿を消した。
それを見届けてから、アトレは村全体に聞こえるように叫んだ。
「手の空いている奴は必要なものをまとめろ!」
アトレの言葉に真っ先に悲鳴を上げたのはこの村の長老だ。
「ならん!村を出ると…森を捨てると言うのか!」
予想していた事とはいえ、アトレは思わず舌打ちする。
「このままここにはいられない!」
悲鳴のようなアトレの叫びに、同じく悲鳴のように長老が返した。
「人に頼ることなどできん、それならここで…」
そうだ、という賛同の声が男達の中から上がる。女達は何も言わない。結界を支えるだけで精一杯なのだ。これ以上長引かせることはできない。
「寝ぼけたこと言うんじゃねぇ、じじい!いいか、セライドがここの村人を守れと言ったんだ!俺はお前等を守る義務と権利がある。ここで死なせるわけにはいかないんだよ!」
アトレの声には反発が強く返るだけだった。落ち着かなくてはいけない。どうにかして説得しなければ。そう思うほど焦ってしまう。どうして下らない慣習に囚われて意固地になるのだろう。答えは簡単、外への恐怖だ。エルフは長く森を出なかったせいで、新しく変わることに恐怖を覚えるようになってしまった。それが外への興味を失った大人であれば特に。その気持ちは理解できないでもない。しかし、何としてもセライドの村を守らなくてはならないのだ。考え込んだアトレよりも柔軟な思考の持ち主がいた。それはもっと年若く、純粋な子供だった。
「ここで死ぬなんて駄目!セイの帰るとこ、なくなっちゃうもん!」
村の者達の視線が一気に少女に集まる。少女は結界を張る手を維持したまま、額に汗して叫んだ。その姿に、騒いでいた村の男達も黙り込む。
「レム…」
弱々しい長老の呼びかけ。レムはその大きな瞳を決然と輝かせながら、弱い大人達を見つめた。アトレを含めた大人を叱咤しているようでもあった。
「チビちゃんの言う通りよ。村は作りなおせる。森も、やがては再生するわ。でも、村人は死んだら生き返らないのよ。セライドの家族でしょう、貴方達は」
レムに続いて、ヤージェも村人達に呼びかける。やがて父を、そして夫を説得するようにして女性達が次々に声を上げた。彼女達は皆、額に汗をかき、そして手を震わせながら、しかし決して疲れて悲観しているような様子ではなかった。男達は黙り込んだ。アトレは女性達の強さに押される形で最後に言った。
「それにな、俺達の為に自分の首をかけてくれた人間もいるんだ。生きるべきだろう?」
もう反発はなかった。女性達は微笑み、アトレは男達の決意が揺らがないうちにと声を張り上げた。
「よし、じゃあ準備しろ。あと三時間だ!」