Chapter 4-3 : 最後の別れ

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 ウィザーズは立ち止まれば叫びだしたい気持ちを、何とか押さえ込もうとして部屋の中を歩き回っていた。その身にはすでに戦いに備えて、鎧をまとい、腰にはしっかりと剣を下げていた。

 部屋を飛び出して、今はバルドと共にいるレンヌに詰め寄りたい。いっそのこと縛り付けて、戦いの最中この城から出られないようにしてやりたいとさえ思った。アゼルとレンヌを会わせるわけにはいかない。アゼルにレンヌを殺させるわけにも、レンヌにアゼルを殺させるわけにもいかない。

 ならばどうすれば良いのか。ウィザーズは何をするべきなのか。考えていると、風がウィザーズの記憶をさらって、一人の女性の声を蘇らせた。

「ウィザーズ」

 優しく穏やかに名前を呼ばれて、それだけでウィザーズは胸が温かくなった。

「はい、母上」

 マジェンダの前ではウィザーズはいつもただの子どもだ。そうなれる自分が好きだったし、それはとても恵まれたことなのだろうということは分かっていた。

 母はフォリンに嫁ぐ前の、自分の生まれた土地に戻ってきて、フォリンにいたときよりも自然に息をしているように見えた。フォリンを故郷だと言えるほど、彼女にとってあの土地は良い思い出の場所ではなかったのかもしれない、とウィザーズは思った。

「危険なことと承知の上で、ひとつ言わせてください」

 マジェンダは嫁いだ後も変わらず残してあったという自分の部屋に息子を呼んで、以前よりも逞しくなった息子の手を握ってそう言った。ウィザーズは椅子に座るマジェンダの足元に跪いて、その手を母親に預けながらマジェンダの顔を見上げた。マジェンダはほとんど無意識に息子の手を撫でながら、か細い声で訴えた。

「ウィルス様を殺さないで。殺さずに、できれば和解の道を」

 殺生を好まぬ人だと知っていたので、マジェンダがアゼルの助命を願うことは驚きではなかった。けれど、目の前で家臣を惨殺され、幽閉の憂き目に遭わせられたことを考えると、和解の道を探すことを願うとはとても考えられなかったのだ。

「母上……」

 驚きの表情を隠すことができなかった息子を見て、マジェンダは苦しく微笑んだ。彼女自身、何故こんなことを言うのか分からないとでも言うように。

「私は確かにあの方に幽閉され、ロジスは殺されました。その行為は決して許せるものではありません。けれど……」

 マジェンダは戸惑いの気持ちを表した慎重な様子で、自分を見上げている息子にそう言った。

「けれど?」

 ウィザーズが真っ直ぐと見返すその瞳に気圧されたように、マジェンダは少しだけ視線を横に逸らして下を向いた。

「あの方にそうさせた何かがあったのです。私も王も、それに気付かなかった」

 それを言うのなら、弟であるウィザーズだって気づかなかった。母はしても仕方のない後悔をしている。ウィザーズはそう思った。

「踏み出したのは、アゼル自身ですよ」

 そしてアゼルは立ち止まり、振り返ることもしなかった。その行動は誰に強制されたわけでもなく、アゼル自身が望んでしたことのはずだ。

「えぇ、そうです。けれど、他の道を示すことができなかった親の責任もあります。ウィザーズ、こんなことを言う資格はないかもしれませんが、私はずっと、あの方と親子のように話してみたかった。こうして、貴方と話しているように」

 話していれば何かが変わったのだろうか。ウィザーズは密かに疑問に思った。どこで、何を選択すれば自分達を取り巻く世界は変わっていたのだろうか。

「母上……」

 あるいは母の言う通り、幼いアゼルの心を満たす何かが、知識以外の何かがあれば良かったのかもしれない。例えば母の愛情が。

「今からでも、それを叶えることはできるでしょう。私は生きているのだから。……だから、ウィザーズ。お願いします」

 マジェンダは息子に向かって小さく頭を下げた。その何となく今までよりも小さく見える母の姿と、最後の言葉をウィザーズは心の中で繰り返す。

 兄弟で殺し合うのは止めてください。

息子に頭を下げてまでして母の望んだこと。それを叶えてやることもできるかもしれない。ミディクからシーザスへ向かう海の上ではウィザーズの中にもそんな希望が確かにあった。

 けれど、今はどうだろうか。レンヌへの想いを強めてしまった今、そしてそのレンヌが取ろうとしている道を知ってしまった今は。

「母上、俺は……アゼルを殺します。俺がやらなくてはいけないのです。レンヌには、殺させない。俺が殺すんだ」

 ウィザーズははっきりとそう口にした。少し前からセライドが部屋に入ってきていたことを知りながら、まるでセライドに聞かせるようにしてウィザーズはその言葉を放った。

 サフォムに事実を明かされたすぐ後に、セライドにはレンヌがどういうつもりでこの戦いに参加するのかを伝えてあった。ただ、バルドには明かしていない。結局明かす必要がなかった。そういう結果にしたいと望んだのは、何もウィザーズだけではない。サフォムも言わなくて良いと言ってくれたし、セライドだって無言でそれに頷いてくれたのだから。

 けれど、もしかしたらと全員が思っていた。バルドはすでに何もかも知っているのではないだろうか、と。若者にはない智慧でもって、レンヌの心も見抜いているのではないだろうか。それでいまもレンヌの側にいるのだとしたら、バルドはレンヌと別れることを受け入れてしまったということだろうか。

 受け入れる……?
 もしバルドがそうできたとしても、俺には無理だ。

ウィザーズは身震いした。自分がこんなに利己的だと思ったことはない。けれど、前言を撤回することもしたくない。兄を殺す。他の誰でもない、血を分けた兄を殺して、レンヌを選ぶ。それしか考えられないのだ。

「馬鹿にしてくれよ、セイ。俺は今、国の事なんて少しも考えられない。妹達のことも。レンヌの事だけだぜ。考えられるのは」

 自嘲して笑ったウィザーズに、隣に立つセライドはしばらく無言だった。やがてセライドの太い腕が伸びて、卑屈に笑ったウィザーズの額を拳で小突いた。友の行動についていけず目を丸くしたウィザーズに、セライドは真剣にこう言った。

「……だからお前は馬鹿なんだ。そんな事、当たり前だろうが。お前はレンヌの事だけ考えていれば、それで良いんだ。レンヌを止められるのは、お前だけなんだから」

 小突かれた頭を抑えながら、ウィザーズはセライドの言葉に呆然となった。

「セイ……」

 じわじわとセライドの言葉がウィザーズの頭の中に入ってきた。少し、いや目一杯感動した。いつの間にかエルフと人間という種族の差を越えて、こんな言葉をもらえる関係になれていたのだなと思って、鼻の奥がつんとなった。

「俺達はこの大陸で出会った。そしてレムに約束したとおり、この大陸に戻ってきた。だが、それで約束を果たしたわけではない。すべてはこの戦いが終わった、その時だ」

 セライドの言葉に、ウィザーズは頷いた。

「……あぁ、その通りだ」

 セライドと同じ気持ちだからこそ、同じ場所にいながらまだ二人はレムに会っていない。まだ、小さなエルフとした約束を果たしてはいないからだ。

「レンヌだけが戦いの終わりに欠けている、そんなことにはさせない。そうだろう?」

 力強く問いかける言葉に、ウィザーズは再び頷いた。自然、声には力がこもる。

「あぁ、そうだ」

 ウィザーズが答えると、セライドは微笑んだ。旅の最初には決して見せてくれなかった温かい笑顔。元々が母親譲りの整った顔立ちであるため、笑うと見ているこちらが動揺するくらいに印象的だ。

「……セイ」

 そんな顔を自分に見せてくれるようになったのだな、とそう遠くない過去を思い出すと、今ここに二人で立っていることがまるで奇跡のように思えた。こうしてエルフとしては特殊な、黒い髪と白い肌を持つ友人の顔をじっくりと見上げているなんて。

「何だ?」

 黙って自分を見上げているウィザーズを不審に思ったのか、セライドの視線と声が降りてきた。表情に変化は出ないけれど、何となく照れ臭そうだと判断して、ウィザーズは笑った。何となく、で相手の変化が分かるのならずいぶんな成長だと思ったのだ。

「ありがとな。一緒に、ここまで戻ってきてくれて」

 ウィザーズが言うと、セライドは一瞬目を丸くした。ウィザーズのあまりに素直な言葉に面食らったのだろうか。けれどセライドはすぐに目を細め、ウィザーズの素直さに倣って微笑した。

「……それは俺の台詞だ。俺を、外の世界に連れ出してくれて感謝している、ウィズ」

 セライドは細めた目で窓の外、空の彼方を見ていた。目には見えないけれど、その先には大陸を囲んでいる海がある。セライドにとって、母親そのものとも言える深く大きな存在が。

「おかげで、母親にも会えた。それに、確かに森は焼けてしまったが、お前のような人間もいると知ることができた。いまは、世界が開けたように感じている」
「世界が?」

 何となくセライドの口から出た言葉とは思えない言い方に、ウィザーズは思わず尋ね返した。

「他に言葉が思い浮かばない」

 短くぶっきらぼうに、そしてやはりどこか照れくさそうにしてセライドは言った。世界が開けたように感じる。ウィザーズはセライドの言ったその言葉を自分の中で何度も繰り返した。そして、何度も繰り返すうちに、その言葉が自分の体にじわじわと溶け込んでいくのを感じて頷いた。

「……そうか。でも、分かるよ。俺達、この旅で初めて世界が広いことを知ったのかもしれないな」

 そのために父やロジスの死が必要だった、とは言いたくなかった。けれど確かに、ウィザーズはフォリンの城で暮らしていただけでは手に入らないものを手に入れたのだ。そして手に入れたものによって、ウィザーズの世界は広がった。そんなウィザーズと同じ経験を、セライドもしたのだ。

 お互いに一番の経験は、こうして友と隣り合って立っているという事実だろうか。

「俺は、俺にできることをする」

 セライドは焼けた自分の森の方向を強い眼差しで見据えながらそう言った。

「お前もそうしろ。そうして初めて、俺達はこの大陸に帰ってきたことになるんだ」

 ウィザーズはセライドと同じように大きな悲鳴を上げて燃えた森の方向を見つめた。けれど心にあるのは、その先にある自分の生まれた国。自分の育った城と、父の死んだ部屋だった。

「そうだな」

 帰ろう、とウィザーズは思った。この旅が始まった最初の場所へ。その時に側にいて欲しい人は、もうウィザーズの心の中でしっかりと決まっているのだから。


 戦いの匂いがする、とバルドは思った。そして別れの匂いも。それでもバルドは黙っていた。レンヌが背後に回って、重い鎧を着ける手伝いをしてくれている。着実に迫り来る戦いと別れの時に、バルドはどうすることもできなかった。その時が確実に来る、ということだけをひしひしと感じているが、その時に何をすれば良いのかということに関しては、たったひとつしかバルドには選べない。

 戦うのだ。

例え別れの時が胸を抉っても、残った片腕で剣を振るうことしか、バルドにはできない。そんなこと考えた矢先に、背後からレンヌの小さな声が聞こえた。

「……戦いは嫌い。必ず誰かが傷つくから」

 片腕のバルドには難しい背面のベルトを留めたレンヌの手が、バルドの無骨な鎧を撫でて落ちた。

「レンヌ……」

 バルドは振り返って美しい娘を見下ろした。片腕を失うことがなければ出会うことのなかったであろう森の妖精を。レンヌはその大きな瞳でバルドを見上げた。

「私はずっと、バルドの娘。そう言うことを、許してもらえる?」

 そう言われることは、自分にとっては過ぎた幸福だ。そう思ったことをバルドははっきりと覚えている。しかし手放すこともできないと思ったことも。

「許すも何もない。お前は儂の娘。その事実があるだけのことだ」

 しかし自分から去るという娘を引き止めて、縛っておけるほどの力はないことをバルドは知ってしまった。例え両腕があったとしても、バルドにはレンヌを止めることができないだろう。

「ありがとう、お父様」

 それはバルドが人で、レンヌが神に近い者であるというせいではない。バルドが、レンヌの父親だからだ。

「レンヌ」

 いずれ旅立つ娘の前で、父親は無力だ。バルドはそれを実感しつつも、何とかこう言い足した。

「儂にできることはあるか?」
「…………抱きしめて」

 泣きそうな顔でそう言ったレンヌを、バルドは黙って抱きしめた。片腕でしか抱けない細い体。これが最後になるかもしれない、と思ってもバルドは何も言わなかった。レンヌの中に迷いが見える。それだけが唯一の希望だった。

 戻ってきてくれ。

再びこの腕の中に。レンヌの中にある迷いが、何から生まれたものか分からないけれど、引き止めて欲しいと切実に思った。剣を振るう生活に戻りたいと思っていたあの出会いの時。今度こそ、とバルドは思った。今度こそ自らの意思で剣を下ろし、たった一人の大切な娘と共にあの森に帰りたい。バルドのそんな思いが、レンヌに通じてくれていれば良い。そうして親娘は抱き合った。


剣を腰に下げ、鎧を着込んでマントを羽織ったウィザーズはバルコニーに立っていた。シーザスの王城から見渡す世界はすべて白い。

 静かだ。

ウィザーズは耳を澄ませた。遠くの人の声。馬の嘶き。鳥の声。積もった雪の落ちる音。風の吹く音。けれどそれだけで、世界は沈黙していた。

 静かすぎる。

まるでこれから何が起こるのか、すべて知っているかのように。知っていて、それでもなお静観しようとしているかのように、世界は沈黙を保っていた。

「決心は、つきましたか? 王子」

 すっと近づいて、ウィザーズにそう尋ねたのはサフォムだ。彼の視線の先にも、そしてウィザーズの視線の先にも同じ、透き通るような銀色の髪がある。

「ついたよ。俺は自分の守るものを決めた」

 ウィザーズがそう言うと、一瞬だけ世界がざわりと揺れた。けれどすぐにまた息の詰まるような沈黙と静寂を取り戻した世界は、ウィザーズの決意に対して何の意見も表明してくれない。沈黙をどう解釈して良いのか、ウィザーズには分からなかった。

 雪の染め上げる白の世界から、ウィザーズは振り返ってバルコニーに集まった人達を見つめた。サフォムの涼しげな整った顔がしっかりとウィザーズを見つめている。そしてセライドの黒く輝く瞳。バルドの鋭く力強い瞳と、ラベアの温かな瞳。アトレのすべてを見届けようという決意の滲む瞳。そのすべてを見返して、ウィザーズは言った。

「命を賭けて、なんてバカな事を言う奴はいらない。命は何があっても自分のものだ。自分のためだけに使え」

 ウィザーズのその言葉に表情を変えた者は一人もいなかった。ただ、と続けるウィザーズのことを誰もが真剣に見つめたままだ。

「ただ、俺に力を貸してくれ。俺は、フォリンに戻りたい。皆を連れて、フォリンの土を踏みたいんだ」

 皆を連れて、とウィザーズは言った。その言葉にセライド達の頬が緩む。ウィザーズも皆の顔を見て少し頬を緩ませたが、まるでその言葉の意味をしかと分からせるようにしてレンヌを見た。

 レンヌはその大きな瞳でウィザーズを見ていた。零れ落ちそうなほどに見開かれた紫の宝石。

 そう、皆だ。
 ここにいる全員を連れて、俺はフォリンへ帰る。

ウィザーズが心の中で言うと、まるでそれを聞いていたようなタイミングでレンヌの顔が歪んだ。泣き出しそうな顔。レンヌはそれを隠そうとして俯いた。

 ……姫――。

小さく人ではない声が聞こえた気がしたけれど、世界はまたすぐに沈黙を取り戻した。

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