Chapter 4-3 : 最後の別れ
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雪が積もってもその役目を果たせるようにと、他の国に比べてはるかに高い城壁で囲まれたシーザス城から出て、ウィザーズ達は戦闘の準備を整えたシーザス軍とは別に固まって立っていた。冬の風が冷たく肌の露出している部分を刺す。
「シーザス城のことはお任せを」
ラベアはグロージェスとの戦闘の疲れをその顔に残していたが、それでも力強くウィザーズを送り出そうとしてくれていた。だからウィザーズもラベアの体を心配する言葉はかけずに応えた。
「うん。ラベア、頼む」
真っ直ぐに前を向いて言ったウィザーズに対して、ラベアはどこか眩しそうに目を細めた。
「……先に進む決意をなさいましたね」
静かに、ラベアはそう指摘した。ウィザーズはそれにしっかりと頷いた。
「……うん。リフェルに次に会うときは、胸を張って会いたいからさ」
ウィザーズの答えに、ラベアは優しく微笑んだ。今、彼の胸の中には恋人であるリフェルの姿が浮かんでいるのだろう。ウィザーズの心にレンヌがいるように、離れていてもラベアの心の中にはリフェルの姿がしっかりと焼きついているのだ。
「お待ちしています、カトラス王子」
ラベアはそう言って、ウィザーズに向かってしっかりと頭を下げた。
その時、集まっていたシーザス兵の中でざわめきが起こった。ウィザーズが兵達を見ると、彼らは皆一様に遠くの空を見つめ、中には空を指差す兵もいた。
「……来たな」
セライドの言葉で、ウィザーズの視線も遠い空へと向けられた。まだ森が焼かれた煙に暗く霞む空に、より濃い闇色の点が無数に浮かんでいた。セライドの隣で、アトレが鼻を鳴らした。
「奴さん、人間の兵は使わないつもりらしいな。まぁ、そっちの方が色々考えなくて済むけどな」
命約に例外はない。敵ではなくても魔法と魔術を使うものなら誰でも命約を破らないように注意しなければならないのだ。そう呟いたアトレの視線はこっそりとレンヌの方を向いていた。
「アトレ、後方は任せたぞ」
セライドが言うと、アトレはいつものからかい半分という笑顔でセライドの背を押した。
「おうよ。行ってこい」
最後の言葉はウィザーズに向けて発せられた。行ってこいという言葉は、帰ってこいという風にも聞こえるとウィザーズは思った。だから無言で、ウィザーズはアトレに向かって頷いて返した。
セライドが飛行系の魔獣を呼び出すと、レンヌも黒竜を呼び出した。向かってくるアゼルの創り出した魔獣達のさらに上を飛んで城を目指すつもりなのだ。
「王子、私は先にフォリンへ入らせていただきます」
一人地上を行くシーザスの馬を連れてウィザーズに近づいたのはサフォムだった。ウィザーズ達は魔獣を使って城に近づくことになっていたので馬は連れていない。
「サフォム」
サフォムは数人のシーザス兵を引き連れて、フォリンの王城まで迂回路を通って行くことになっていたのだ。それは他ならぬ、サフォム自身が提案したことだった。
「迂回して先に城内を抑えます。王子が来ていることを知れば、フォリンの者は王子を支持するでしょう」
最初は危険だ、とウィザーズも他の者も反対した。けれどサフォムは行くと言ってきかなかった。結局はウィザーズ達が折れて、サフォムはなるべく目立たぬようにフォリンへ入ることになった。その分、ウィザーズ達が派手に立ち回ればいいのだ。
「……一人で大丈夫か?」
「えぇ、私はね。王子こそ、大丈夫ですか?」
にやりと皮肉めいた言葉を吐いたサフォムに、ウィザーズは同じようににやりと笑った。
「安心しろ、お前には絶対負けない」
そしてウィザーズは一呼吸おいて続けた。今度は皮肉な響きは微塵も感じられない。ただ真剣さが真っ直ぐに伝わる声でこう言った。
「レンヌは……俺に任せろ」
一瞬、サフォムは何か眩しいものでも見るかのように目を細めた。けれどすぐに皮肉な、そして自信に満ちた微笑を取り戻した。
「……えぇ。頼みます」
そしてラベアのようにウィザーズに頭を下げると、次の瞬間には彼は馬を引いて駆け出していた。
サフォムとそれに続く数人のシーザス兵が乗る馬の足が、積もった雪を乱しながら遠くなっていった。それをしばらく見つめていたウィザーズは、やがて小さく首を振ってから前を見据えた。
「行くぞ」
大きくはないウィザーズの声で、それでもシーザスの騎兵達は前へ進み始めた。ウィザーズは黒竜に乗っていたレンヌの後ろに乗り、バルドを乗せたセライドの魔獣と共に空へと舞い上がった。
黒竜の羽音がすると、シーザスの兵士達はその羽音に負けないくらいの雄叫びを上げた。真っ直ぐに天を指して掲げられた剣。統率のとれた馬の並びは流石に軍国シーザス。ケネス将軍の言ったように、シーザスを守るためだけならば、彼らにウィザーズ達の助けは必要ないのだろう。
ウィザーズ達は魔獣に乗って空を一直線にフォリン城を目指す。向かってくるアゼルの作り出した魔獣達を避けて、より高い所を。
しばらく冷たい風の中を、アゼルが仕向けてきた魔獣達をあしらいつつ前に進んだところで、他とは違う魔獣が一匹、セライドの創り出す魔獣よりも先を飛んでいたレンヌの目に入った。
「バルド!」
レンヌが振り向いて呼びかけると、セライドの後ろに乗っていたバルドが首を上げて前方を見た。バルドはすぐにレンヌの見たものを捉えた。そしてバルドとほぼ同時に、セライドもその魔獣を見つけたようだった。ウィザーズが遅れてその魔獣を視線に捉えたときには、その背に乗っている二人の人間の顔までがはっきりと見えるくらいに、魔獣との距離は近づいていた。
羽を持った蛇のような魔獣の背には、カミーラと鋭い目を持った男が乗っていた。彼女達は真っ直ぐにウィザーズ達に向かってくる。アゼルの作り出した魔獣達と違って、ウィザーズ達だけを標的に据えているような動きだった。
「レンヌ! ウィザーズ様を連れて先に進め」
バルドがレンヌに向かって叫んだ。そして彼はウィザーズに向かって力強く頷いてみせる。ウィザーズはそれに頷き返すことができなかった。レンヌはバルドの言う通り、カミーラ達のさらに上に向かって黒竜を先に進ませようとする。一方セライドは一旦誘うようにしてカミーラの魔獣の前まで飛び上がり、それから一気に下降していく。
「セイ!」
引き止めたいと明確に思ったわけではないけれど、ウィザーズの口から出た声は、今はセライドを行かせたくないと言っていた。まだ自分についてきて欲しいと。そんな自分の気持ちに気付いて、ウィザーズは頬が熱くなった。甘えだ。この先に進んでしなければならないことは、ウィザーズ一人にしかできないと分かっているのに。
「言う通りにしろ、ウィズ。 すぐに追う!」
迷うウィザーズに、セライドが叱咤するようにして叫んだ。
「セイ……」
ウィザーズは振り返って、カミーラ達と共に下降していくセライドとバルドを見た。セライドはそんなウィザーズを見上げていて、彼は真っ直ぐフォリンの王城を指差して叫んだ。
「行け!」
ウィザーズが逡巡している間に、セライドとの距離はどんどん離れていく。セライドはそんなウィザーズを見つめ、遠く小さくなっていく影で力強く頷いた。ウィザーズはそれを見るともう悩んではいられなかった。もう見えないくらいに離れてしまったセライドに向かって、ウィザーズもひとつ頷いた。そしてレンヌの肩越しに、もう前しか見なかった。
ウィザーズが王城へ向かう背をきちんと見送りたいと思ったことは、セライドもバルドも同じことだったけれど、いつまでもそちらを眺めていられるような状況ではなかった。
カミーラとオズリックを乗せた魔獣が、鋭い竜のような鉤爪でセライドとバルドの頭を狙って上を飛び回った。セライドとバルドはお互いに頷き合って、カミーラの魔獣を避けながらどんどんと高度を落としていった。
カミーラ達の目標とした標的は、最初からウィザーズにはなかったようだ。レンヌがウィザーズを連れて王城へと突き進んでも、カミーラ達は後を追おうとはしなかったからだ。
先に地上へたどり着いたセライドに誘われるまま、カミーラは魔獣を地上に下ろした。そしてセライドとほぼ同時に、作り出した魔獣を消した。フォリンとシーザスの国境付近で、こうして立っているのはセライドとバルド、カミーラとオズリックの四人だけ。
「案外早く再会したな」
早くも短い幅広の剣を抜いているオズリックが、バルドとセライドに向かってそう言った。軽い口調だが、意味深な言葉だった。
「三度目はないぞ」
バルドが直接的な言葉を返すと、オズリックは喉の奥で楽しそうに笑った。
「分かってらぁ。じゃあ、本気やるぞ」
口元だけは笑ったまま、オズリックの殺気が肌で感じられるほどに高まる。バルドはセライドに軽く頷いて、背に負った大剣に手をかけた。
「言うまでもない」
そして双方は同時にお互いに向かって駆け出した。放たれた殺気と、巨体が動かす空気がそれだけで身を傷つける凶器になりそうだった。
盛大に剣と剣がぶつかり合う音が響いた。それはバルドとオズリックの剣だけではなく、彼らの剣とほぼ同時に、セライドの剣とカミーラの剣も刃を合わせて高い音をあげた。
セライドは先に動いたバルドとオズリックの方に気を取られていて、カミーラの動きに剣を抜くのが遅れた。結果、鞘から完全には抜けきらない状態の剣で、カミーラの湾曲した刃のひとつを受けることになった。
「飾りの得物で俺と戦うつもりか?」
正直、バルドとオズリックとは違い、こちらの戦いは魔法が主になると考えていたので、カミーラが迷いもなくセライドの懐に飛び込んできたことに驚いていた。
「飾りかどうか、試してみるのも悪くないでしょう?」
不敵に笑ったカミーラは、対峙した機会の少ないセライドであっても気付くほど以前とは違っていた。ウィザーズやサフォムから聞いて抱いた印象とも全く違う。男に媚びる様子などまったく見られない。それどころか男よりも勇敢に狩りをする野生の獣のような。
剣で受け止めていた方の剣ではなく、もう一方の手に握られていた剣が視界の隅でひらめいたことを見止めて、反射的にセライドは後ろに飛び退いた。
カミーラの剣が後ろに飛びのいた際に靡いたセライドのマントを僅かに切り裂く。セライドは剣を完全に鞘から抜くと、空になった鞘を地面に放り出した。そして後ろに飛んだ不安定な体勢のままひらりと舞うように繰り出されるカミーラの剣戟を連続して受けた。
「何故、魔法を使わない?」
セライドは正直に思った疑問をカミーラにぶつける。カミーラは興奮とこれまでの動作で軽く上気した顔を輝かせながらこう答えた。
「それはこちらの台詞だわ。色気だけが武器の女と侮っていては、痛い目を見るわよ」
言い終わるが早いか、カミーラはセライドの剣と交わっていた右手の剣にぐっと体重をかけた。セライドがそれに負けないように剣に込める力を強めると、カミーラはそのタイミングで身を反転させた。左手に握られている剣がセライドの脇を狙って振り下ろされる。セライドは急に重心をずらされて、カミーラの剣を避けることができなかった。鈍く着込んでいた鎧に剣を当てられて、一瞬息が詰まる。
「……なるほど。ただの強がりではなさそうだな」
痛みをこらえて低く唸るようにして言ったセライドに、カミーラは満足そうに笑った。
バルドはオズリックと剣を合わせながら、前回戦った時との違いに戸惑っていた。身の軽さと剣戟の重さは変わらないが、どうにも今回のオズリックはバルドとの戦いに集中できていないようだった。
何かに身を引かれているような、どこか心ここにあらずといった様子が見て取れた。そして自分がそんな状態であることはオズリックも自覚があるらしく、時折思いついたようにして鋭い攻撃をしかけてくる。
互いに致命的な傷を与えることができないまま、飽きることなく剣を交えていると、バルドもようやく分かってきた。オズリックが何に気を取られているのか。
「余所見をしている余裕があるのか?」
それは丁度目の端に映っているセライドとカミーラの戦いで、カミーラが手負った時だった。バルドはカミーラが傷を負う度にオズリックの注意力が一番自分から反れることに気付いて、それを狙って攻撃を仕掛けるとともに声をかけた。
オズリックはバルドの大剣を避けることができず、胸に大きく切り傷を負った。その痛みと、バルドに気付かれたことに対して、オズリックは大きく舌打ちした。
「あんたのおかげでな!」
傷を負ったことで、オズリックの集中力が戻った。狂豹のリックに相応しく、傷を負って追い込まれた獣のように、オズリックはバルドに向かってその短い幅広の剣を繰り出した。
最初の頃こそカミーラの扱う二本の剣に攻撃の間が掴めず苦戦していたが、短い時間でその攻撃の癖を見極めると、セライドは防御から反撃の回数を段々と増やしていった。そして着実にカミーラを追い詰めていく。カミーラも、正直自分の体の鈍りを痛感せずにはいられなかった。頭で思い描く自分の体の動きと、実際の動きが一致しない。息も上がってきている。このままでは、相手に深い傷を負わせることもなく、終わってしまう。
その時、離れて戦っていたオズリックがうめき声を上げて片膝をついたのが見えた。一瞬、カミーラの気がそちらに反れた。セライドはそれを見逃さず、長い足を使ってカミーラの体を蹴りつけた。
「うっ!」
剣でカバーすることもできず、カミーラはセライドの足蹴りをまともに食らって後ろに飛ばされた。短いけれど激しく密な戦闘のせいで、カミーラは咄嗟に態勢を立て直すだけの力が足に入らなかった。
手をついて、尻が地面につくことは避けたものの一時視界から完全にセライドの姿が消えた。カミーラの劣勢を見逃すセライドではない。すでにカミーラが負わせた傷もあるけれど、それはセライドにとって戦闘の動きを鈍らせるほどのものではなかった。
細いミスリル製の長剣が煌めく。カミーラはその光を目の端にとらえて、動こうと足に力を入れた。けれど、セライドの剣の方が早い。
避けられない!
カミーラは悟った。そしてセライドも、自分の剣がカミーラを逃がすことがないと確信した。
こんなところで……!
あたしがこんなところで死ぬなんて!
せめて相打ちに、と考えることすらカミーラにとっては屈辱だった。けれど一人無様に死んでいくことはそれ以上に屈辱だった。真っ直ぐに自分へと向かってくる細い剣先を避けるために、体をできるだけ捻ったけれど完全に避けきることはできないと分かっていた。
カミーラはぐっと顎に力を入れた。逃げられない一撃をくらうことを覚悟し、けれどただでは殺されてやらない気概を左手に握った剣に託したのだ。
セライドの長細い剣の先が、カミーラの脇腹部分を捉えた。けれどカミーラの左手もセライドの肩を狙って鋭く突き出されようとしていた。
「あぁ、クソ!」
その一時前、バルドとの剣を片膝をついたまま受けていたオズリックが一際大きく唸った。そしてバルドの剣を渾身の力で跳ね返すと、一瞬がら空きになったバルドの脇腹を狙うことなく身を翻したのだった。
オズリックは駆けた。セライドの剣先に向かって、そしてカミーラの前にその身を投げ出した。
「……なっ、にやっているのよ。リック! どういうつもり!」
カミーラが最初に感じたのは汗の匂いだった。次に感じたのは、ごつい他人の腕が自分の背に回されている感覚だ。
「はっ……。いい切れ味していやがる、その剣」
耳元で低く抑えられたオズリックの声がした。そこでカミーラはようやく自分の置かれている状況が理解できた。死んではいない。それどころか、致命的な怪我も負っていない。けれど強い血の匂いはする。すぐ近くで。
「ふざけないで! どうしてあんたが私を!」
カミーラはきつく自分を抱きしめてくるオズリックの腕の中から抜け出そうとして彼の体を思い切り押した。けれどオズリックの腕は益々力を込めてカミーラの体に回される。どんなに押してもカミーラはオズリックの腕を解くことはできなかった。
「俺は天邪鬼なんでね。男を捨てたあんたに惚れたのさ」
オズリックは痛みをこらえるように押し潰された声で、カミーラの耳元に囁いた。
「馬鹿なこと……」
こんなことをして命を助けられても、アゼルがその気になればカミーラは簡単に命を奪われてしまう。そう、カミーラの今のような状態を気付かれる前に、ウィザーズがアゼルを殺さない限りは。その恐怖はずっとカミーラの背後に張り付いたままなのだ。
「他の男は全部捨てて、俺だけ選べ、カミーラ」
それができたら、とカミーラは瞬間的に思った。まだ、誰かを選ぶことができるのならば、そうしたいのだ。泣きたいくらいに無様だけれど、それでも生きたい。カミーラの心はそう言っていた。けれども、そうできるかどうかは、カミーラが決められることではない。
「か、勝手な事言わないで! 私は裏切り者よ! こいつが私を見逃すとでも思っているの?」
セライドは殆ど涙目になっているように見えるカミーラの目をじっと見つめ、それからオズリックの背に刺さっている自分の剣を見つめた。このまま一度剣を抜いて、二人を一気に貫くこともできる。そう思わなかったわけではない。ここで殺しておいた方がいい、という思いがなかったわけではないのだけれど。
セライドは剣を抜き、そして血を払ってそれを黙って鞘に収めた。剣を抜いてしまった分、オズリックの出血は酷くなったけれど、すぐに止血すれば死ぬほどの傷ではなかった。オズリックはセライドと、そしてバルドが剣を収める音を聞くと、肩の力を抜いた。彼自身、これ以上剣を抜いて戦うつもりはない、という意思表示だった。ただカミーラだけが、オズリックの腕の中でまだ殺気を保ってセライドのことを睨み付けていた。
「どいつもこいつも馬鹿ばかりね。いま私を殺さないと後悔するわよ」
いずれ後悔させてやるという含みを持たせたカミーラの言葉を、セライドは鼻で笑った。本音が混じっていないとは言えないが、それがカミーラの強がりであることが分かっていたからだ。
「いま死んで後悔するのはお前の方だ。リックといったな。その女を連れて行け。野放しにして再び俺達の前に現れたら、その時は殺す」
鞘に収めた剣の柄を握り締めながら、セライドはオズリックに向かってそう言った。オズリックはカミーラの体を抱きしめたままで、首だけをセライドの方にめぐらせてセライドと、その後ろに立っているバルドを見て苦笑した。
「へっ、話の分かる兄ちゃんで良かったぜ。カミーラ、もう終わりだ。死ぬつもりでここに来たわけじゃあねぇだろ。俺を選べ。そして生きろ」
生きるか、死ぬかという選択肢なら、どんなに無様でもカミーラは生きるほうを取る。そして、この状況で生きるためにはオズリックを選ぶしかないのだとしたら、カミーラは迷わない。
「……それが生きるためなら、何でもしてやるわよ」
カミーラは口ではそう悪態をついたけれど、その手は自分の剣を落としてオズリックの背に労るようにして回されていた。
そんなオズリックとカミーラの姿を見て、バルドとセライドはどちらからともなく微笑んだ。この戦いが、笑みさえ消してしまうような陰惨なものではなかったことに、お互いが安堵しているような様子だった。
それまでなるべく戦闘を避けて、ひときわ高く飛んでいた黒竜が、フォリンの王城を前にして突然高度を下げた。このままでは城壁を越えることができない。
「レンヌ? どうした?」
力を使って体の具合が悪くなってしまったのだろうか、とウィザーズは不安になって前に座るレンヌの顔を覗き込んだ。
ウィザーズが覗き込んでも、それを感じていないようにして真っ直ぐに前を向くレンヌに、ウィザーズは大きな不安を覚えた。そしてその不安は的中した。
「レンヌ!」
レンヌは黒竜を地上に下ろすと、そのまま消してしまった。黒竜の背に乗っていたウィザーズは、何の予告もなしに消えた黒竜のせいで、どさりと尻から地面に落ちた。
呆然としているウィザーズに向かって、レンヌは白い手を向けて横に払った。そして言う。
「ウィズ、私、ウィズの気持ちが嬉しかった」
嬉しかった。それは未来につながる言葉ではない。ここで終わってしまう、もう過去の出来事のような言い方だ。勿論それは、ウィザーズの望んでいた言葉ではなかった。
「駄目だ! そんな答え聞きたくない。行かせないぞ、レンヌ!」
ウィザーズは急いで立ち上がり、わずかに後退したレンヌとの距離を詰めようと足を動かした。けれどレンヌの手がさっと宙を舞うと、冬の乾燥した土の中から突然緑の蔓が伸びてきた。それは前に進もうとするウィザーズの足を絡めとり、腕を捕まえて地面に縫いつけようとする。
「うっ! よせ、止めろ!」
ウィザーズは手足を振り回して、足止めしようとしてくる植物を避けようとした。けれど、いくつも枝分かれした蔓は、ウィザーズの抵抗などものともせずに絡み付いて束縛する。
「行くわ、ウィズ。私が行かなければ」
レンヌの青ざめたような顔が、実際の距離よりもとても遠く見えた。
「違う! お前でなければいけない理由なんてないはずだ!」
必死で呼び止めるウィザーズの声に、レンヌは首を横に振る。
「私がここにいる。それだけで十分な理由なの。私だけがここに残った。すべて、この時のために」
「違う! それはお前がそう思い込んでいるだけなんだ」
他に誰もいないから。他に誰もいないと、レンヌが思い込んでいるから。けれど、「他の誰か」はここにいるのだ。
「何のために俺がいるんだ? お前と同じ声を聞く俺の存在はどうなるんだ? レンヌ、頼む。俺のために生きてくれ!」
今やウィザーズは確信していた。レンヌにアゼルを殺させないために、レンヌを生かすためにウィザーズは自然の声を聞いた。レンヌを一人きりにしないために。レンヌは神ではないのだから、一人で生きていくことはできないのだ。そして、一人で死ぬ義務も責任もないはずだ。
「ウィズ。私……私ね、ウィズの手を取れる体だったらって思ったの。なんの力も持たない女の子だったらって……。そうしたら、何も考えずに側にいられたのかな」
「レンヌ!」
体のことなんて関係ない。人とか、そうでないとか。そういうことも関係ない。
「さようなら、ウィズ」
その頬に流れた透明な水。流してしまうことが惜しいほど美しい涙が、レンヌの仄かに赤い頬を伝って地面に落ちた。
そしてレンヌは身を翻した。銀色の髪を靡かせて、再び黒竜を呼び出してその背に乗ると、ウィザーズを置き去りにしてフォリンの王城へと向かって飛び立った。
「レンヌ! くそっ、離せ! 離せよ! 行くな! 行くな、レンヌ!」
ウィザーズは声の限り叫んだけれど、レンヌが振り返ることはなかった。冷たい風に舞う銀色の髪。儚く消えゆく雪のような色をしたレンヌはもうウィザーズの手の届かないところへと行ってしまっていた。
「離せよ、離してくれ!」
ウィザーズは城の兵に見つかるかもしれないということを考える余裕もなく、喉が痛んでも叫び続けた。
「離せぇ!」