青学最強(バ)カップル

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 さて、事情がよく分からない方のためにも、ちょうど午前中の授業を終えるチャイムが鳴った頃へ時間を遡ってみよう。その日、朝は一月らしく関東は冷え込んで乾燥注意報が出ていた。けれど天気は良く、昼になると気温も十一度をこえ、まあまあ過ごしやすいと言える日だった。

 二月のバレンタイン・ディを控えて、女子生徒の中にはこっそり手編みのマフラーを制作している子もいるようだったし、手編みも手作りも暑苦しい、と考えている子だって売り場に並んだチョコレートに目を奪われるようになっていた。女の子のそんな気持ちは男の子にも伝染して、外部受験を決めて受験勉強と迫る試験に、戦々恐々と日々を過ごしている一部の三年生を除いて、青春学園はまさに一足早い桃色の青春へとじりじりと動きだし始めていた。

 バレンタインにかこつけて告白。そこまで考えている女子が何人いたかは別として、毎年テニス部のレギュラー陣に憧れてチョコレートを渡したいという女子生徒は多くいた。個人的に喜んで受け取る部員あり、個人としては受け取らないという主義の部員あり。元生徒会長、そして元テニス部の部長で、今はドイツへの留学を控えている手塚国光は後者の部類であり、彼にチョコレートを渡したいと考える女子生徒にとっては、ようやく生徒会と部活動から身を引いた今回なら「もしかして受け取ってもらえるかもしれない」という最後の機会だった。

 そんな雰囲気を感じ取ってニーズに合った動きをしたのが、青学の広報部だった。「校内新聞から放送で学内を活発化し、独自のホームページで青学を世界に発信!」がモットーの部活で、これでなかなか活動年数が長い。彼らはこれまでにも何度か手塚国光を取材したが、生徒会長でもテニス部部長でもない手塚を取材するのは今回が初めてだった。もちろん、生徒会長でもテニス部部長でもなくなった手塚は、広報部が取材希望を出すと眉をしかめた。取材されるような理由がない、と断りの言葉が出る前に広報部はあらかじめ打ち合わせていた言葉を並べた。

「在学生が選ぶ今後の進路として、留学を決めた手塚君の気持ちや、留学先の選択方法、手続きなどを知ってもらいたい。これから多くの生徒が青学から世界に羽ばたく、そんな一例としてみんなに紹介したいんだ」

 基本的にはテニスで留学を決めている手塚の場合、本当のところを言えば他の生徒の参考になる例ではない。手塚自身もそれを承知していて、やはり取材を断ろうとしたのだが、広報部は食い下がった。

「お昼の時間を少しだけ。質問時間は十分以内にするから。是非、部活動として認めてくれないか」

 部活動として、と言われれば手塚も不承不承ながら頷くしかなかった。


 そしてその取材が行われたのが、一月末のお昼休みだったというわけだ。広報部は意気込んで授業終了のチャイム前に――どうやってとは訊かないように!――お昼をかっ込み、マイクを片手に三年一組へやってきた。お昼に広報部が行う放送は時期によって素人DJだったり、真面目なニュースだったり、新任の先生紹介だったりするのだが、今回は手塚を説得するためにも一週間「青学のこの人!」ということで三年間何かしら努力を続けてきた生徒へインタビューするという企画になっていた。

 前日は小学生の頃からピアノを続けていて、三年の秋に全国的なコンクールで優秀賞をとった女子生徒に取材していた。その放送を聞いていた手塚も、だから広報部の取材に不審なところを感じなかったのだろう。教室にやってきた広報部と一緒に、他の生徒の邪魔にならないよう、自ら教室の後ろに移動した。

『青春学園の皆さん、青春してますか? 今日のお昼も皆様のお耳を楽しませるため、広報部青柳がお送りします「青学いいとも!」の時間がやってまいりました』

 学園の生徒の大半が「そのネーミングどうよ」と思っていたけれど、流れてくる放送の内容は結構気に入っていて、しかも今日は特別だ、と耳を澄ませた。各教室がこんなに静かにお昼をとっていたのは、一年でもこの日が初めてだったのではないだろうか。


『今週お送りしております「青学この人!」ですが……昨日の予告通り、今日は前生徒会長にして伝統あるテニス部を全国優勝へ導いた立役者! 三年一組の手塚国光君にお話を聞きたいと思います。手塚君、よろしくお願いします!』

 さて、同じ三年生で全国優勝を同じチームで経験した六組の菊丸英二は、この放送を聞きつつ購買で確保した人気のコロッケパンを手に思った。

 多分いま、頷いたんだろうにゃ〜手塚の奴。校内放送じゃ見えないっつうの。

 いつもと違って静かすぎる教室で、英二はマイペースにコロッケパンを食べる前にパックのいちごミルクをストローですすった。目の前にはクラスメイトで同じくテニス部のチームメイトだった不二周助が、にこにこしながらパックのりんごジュースにストローを差している。

「いま、きっと頷いたよね、手塚」

 まさに菊丸が考えていたのと同じことを不二が言うので、菊丸はにやりと口角を上げた。

「ん、絶対頷いた」

 教室内の静けさ――特に女子生徒が耳をダンボにして放送を聞いている様に――ちょっと遠慮して、菊丸も不二も声をひそめて笑い合った。我らが部長殿のことは、取材されるまでもなく良く知っている。知っている、と思っていた。

 さて、母親が作ってくれたというベーグルサンドを前にした不二が、菊丸と同じようにストローでジュースをすすっている間に、広報部は手塚に無難な質問を行っていた。最初に手塚を説得した通り、内容は留学に関することが主で「何を参考に留学先を選んだのか」。「具体的に今どんな準備を行っているのか」等矢継ぎ早に質問していく広報部に、手塚もいつも通り言葉少なに答えていた。

 これ全部前ふりだってこと、手塚の奴は知らにゃいんだろうな〜。

 おそらく全学で、手塚だけが知らないのだろう、と菊丸は思った。手塚以外の生徒はみんな知っている。この一週間の企画が、手塚一人を引っ張りだすために作られた企画であること。そして、後輩のために留学手続き等の経験を語って欲しいという取材理由自体がおまけであって、本当は最後の「視聴者からの質問」ひとつだけがメインであること。

 だって今年が最後だもんなぁ。あたって砕けても構わないって気にはなるよなぁ。

 それでも事前にある程度の探りを入れようとして、女子生徒達は耳を澄ませているのだろう。可愛いな、と笑って済ませていいのか、どうなのか。菊丸がジュースを置いてコロッケパンに手を伸ばした時、ちょうど質問はメインのひとつに向かっていた。「ここまでありがとうございました」、と青柳は爽やかな口調で言う。

『では最後の質問は、広報部に寄せられた手塚君への質問の中で一番多かったものについて。二月のあるイベントについて、質問が殺到しておりますので是非ここで、手塚君自身に答えていただきたいと思います』
『二月の? ……それは……』

 一体いま手塚は何を想像したのだろう、と菊丸は疑問に思った。少なくとも、正解とは別の何かを思い浮かべたに違いない。どちらかと言えばこれまでの経験上、この場合の”正しい答え”というのは、手塚にとって思い出したくないイベントベストスリーに入るはずだったからだ。ちなみに一番はクリスマス、二番は自分の誕生日のはずだ。贅沢だ、と言ってしまえるのは彼の側であの惨事を見ていない人間だけだろう。菊丸なんかは口が裂けても言えない。

『そうです! バレンタインです!』

 青柳が口にした”正しい答え”に顔を顰める手塚の映像が、菊丸の脳裏に浮かんだ。眉間の皺は三本くらいだろうか。しかし実際にその顔を見ているはずの青柳は使命感に燃えていて、怯んでいる様子はない。

『テニス部を引退した手塚君にチョコレートを渡した場合、今年こそは個人的に受け取ってもらえるんでしょうか。卒業と同時に留学する手塚君に渡すには、今年が最後のチャンスなんですが』

 確かにいままではテニス部員全員宛にと言って渡せば手塚に受け取ってもらえた。しかし手塚も部活を引退し、引退した後も同じ言い訳を使うわけにはいかない、と頭の奥の奥の方では思っていたのだろう。しばらくの沈黙の後、手塚が絞り出した答えは苦悩の軌跡が見えるものだった。

『悪いが、俺は元々チョコレートをあまり食べない』

 食べなくてもいいから受け取って欲しい、と泣かれて眉間の皺が五本くらいになる可能性九十五%。菊丸は乾の真似をして、そう突っ込みを入れた。

『ではチョコレート以外のものでは?』

 たとえばあんこたっぷりのお饅頭とか? 甘いものが全く駄目、というわけではないことは部員達もよく知っている。本人がそう言っていたこともあるし、たまに旅行の土産として持ち込まれる饅頭などを口にしているから、今更食べられないとは言えないのだろう。だからといって、饅頭だったら受け取る、とも言えない。たちまちご近所駅前の売り場で饅頭が消えてなくなってしまう。

『困る』

 本当に困っているのだろう。こういう展開になるだろうと思っていながら、それでも菊丸は手塚が気の毒になってきた。我らが元部長殿は、こういうイベントを中学生らしく楽しむことは、最後の最後でもできないらしい。いっそ当日は休んでしまえばいいのに、とも思うが、おそらく手塚はインフルエンザにでもかからない限り、積極的に学校を休むことはしないだろう。

『テニス用品でも?』

 うへっ! カンベン!

 と、菊丸なら叫んでいただろう。大好きなテニスに使うものならば、自分の目で確かめてそろえたい。リストバンドだって、各個人お気に入りのものがあるのだ。無駄にもらったって、他に回せるわけでもないのだから、それこそ困る。

『必要なものは自分で見てそろえたい』

 おそらく菊丸と同じことを考えただろう手塚も、勘弁してくれ! と叫びはしなかったがきっぱりと断った。菊丸の脳裏に浮かぶ手塚の顔は、眉間の皺を深くしている。この分ならそろそろ全女子生徒を敵に回してでも「誰からも受け取る気はない。受け取って欲しいと言われても迷惑だ」くらい言ってしまいそうだ。取材している青柳もそんな雰囲気を感じたのだろうか、それならば、と冗談めかした口調で尋ねた。

『いっそその身ひとつで告白だけとか?』

 それは女子にとってハードルが高い。ただでさえ近寄りがたい雰囲気を持っている手塚に、チョコレートやら饅頭やらの口実なしで体当たりというのは。けれど手塚にとってみれば、それでだいぶ人数が絞られるならいいのだろうか。菊丸なら、それでも体当たりをしようと思う女の子は真剣すぎてちょっと怖いなと思ってしまうけれど。

 菊丸が考えたようなことを、手塚も一応考えたのだろうか。それとも考えなかったのだろうか。しばらくの沈黙の後、全校生徒が耳をダンボにする中を、教室のスピーカーを通して答えた手塚の言葉はこうだ。


『……そうだな、それが一番潔いだろうな』


 えぇー! どうしよう!

 そんな甲高い悲鳴のような声が隣のクラスから上がった。どうしようも何も、これで今年のバレンタインは決まりだ。お金を出してチョコレートを買う必要はないのだ。手塚にあげたければ、その心だけを潔く。いっそバレンタイン以外の日にだって、真剣ならば全力でこいということなのだろう。実に手塚らしい考えだ。

『聞きましたか、皆さん! 今年が最後と覚悟を決めて、いっそその身ひとつで……あ! あれ? ちょっと、手塚君! どこへ……』

 焦った広報部員青柳の声に、手塚の発言に湧いていた教室内が、別の意味で騒ぎ出した。

「なんだ?」

 それまで静かだった六組の中も、急に遠のいたマイクの声に戸惑いの声が上がる。手塚の声は聞こえず、かろうじて青柳の「手塚君!」と呼ぶ声が遠く聞こえていた。

「どうしたんだろうにゃ?」

 一応大事な質問に対する答えは出たのだけれど、何だかすっきりとしない感のある取材に、それまでドキドキして聞いていた菊丸は急に気を削がれてだらりと力を抜いた。それから、それまで放っていたコロッケパンを両手で持ち上げて、菊丸は不二に向かって首を傾げた。不二も同じように首を傾げる。

「さぁ。でも……なんだか、急に廊下が騒がしくなったね」

 不二の言った通りだった。遠くの廊下が騒がしくなった、と思ったら、その騒ぎはどんどん近づいてくる。青柳の「手塚君!」という叫び声もだんだん近くなっている、と思ったのは菊丸の勘違いだろうか。

 何が起きてんのか知んないけど、緊張してお腹減った。

 六組の生徒の中でも、だんだん近づいてくる廊下の騒ぎを気にして、教室から廊下に顔を出す生徒が何人か現れた。しかし無駄にハラハラさせられた菊丸にとっては、お腹と背中がくっつきそうな空腹感をおさめることが第一だった。部活を引退したとはいえ、健康な中学生男子。お腹は減るのだ。菊丸は大好きなコロッケパンを持ち上げて、口を大きく開ける。親友の不二も外の騒ぎよりもとりあえずベーグルサンドを食べることを優先させたようだ。不二の場合、計画的に食べ始めなければ、お昼休み中に食べ終わらない可能性が高い。食べるときの一口が小さいのだ。まるで時間制限のある課題に取り組むかのようにして、不二は菊丸と同じようにベーグルサンドを両手で持って口元へ寄せた。

 その時だ。だんだん大きくなっていた廊下の騒ぎが、六組の前までやってきて最高潮に達した。

「手塚君! 一体どうした……」

 青柳の声だった。ようやくマイクを構える余裕ができたのか、放送の声が大きくなる。しかし、マイクを通さない生の声も、ほぼ同時に菊丸の耳に入った。

 不審に思った菊丸が、コロッケパンを前に口を開けたまま、廊下の方へ首を巡らせると、そこには一組で取材を受けていたはずの手塚が立っていた。後ろには狼狽えた様子の青柳が、広報部員の何人かを引き連れてマイクを構えている。何故六組に? と菊丸が思ったその時。手塚と目が合った菊丸は、まるで蛇に睨まれた蛙の気分で固まった。

 にゃ、にゃに? なんで怒ってんの?

 菊丸はその鋭い視線を、”怒り”だと判断した。そして他の生徒達もそう判断したのだろう。づかづかと教室内に入ってくる手塚に、男女関係なくクラスの人間は後ろに下がって道を開けた。菊丸だって逃げ出したいが、あいにく彼の席は窓際で、後ろには逃げられないし、何より蛇に睨まれた蛙だったから、動くことができないのだ。

 大石〜! 何だか知んないけど、助けて〜!

 声にならない声でつい別のクラスにいる相棒を呼んだ菊丸を、近づいてきた手塚が足を止めて見下ろした。そしてすっと息を吸って――

 怒鳴られる!

 と思って首を竦めた菊丸を無視して一言。

「不二」

 と、菊丸の前に座っていた親友の名前を呼んだ。それからいつものように背筋をすっと伸ばしたままの姿勢で、堂々と言い放ったのだ。

「俺と結婚してくれ」

 ――と。

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