白雲かき消す新風の
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その時、隣に立って同じ近衛の騎士達の訓練を見ていた近衛隊長の首が、ふいと城の東側に動いたのを感じ取って、カワムラも同じ方角に顔を向けた。だがテヅカの視線の先に特別何かがある、というわけではなかった。王宮内を歩き回っている猫でも視界の端に入ったのだろうか、とカワムラは視線を動かさない友人の横顔を見た。
眼鏡の奥の鋭い瞳は、ただじっとある一点を見ている。胸の前で腕を組んだままの姿勢で、首だけが東を向いて、まるで野生の肉食獣が獲物の臭いを嗅ぎ取っているかのようだ。
「テヅカ? どうした」
とうとうカワムラは動かない友人に向かって声をかけた。一体その方向に何があるというのか。テヅカはカワムラの呼びかけも聞こえていないのか、しばらく何の反応も示さなかった。もう一度カワムラが呼びかけようとした時、胸の前で組まれていたテヅカの腕がするりと解かれた。
「……カワムラ、悪いが後は頼む」
そう言うと、テヅカは訓練のために外していた黒衣を手にして、訓練用の先を潰した剣をカワムラに預けた。
「何か、あったのかい?」
剣を受け取りながら、突然のことに戸惑ったカワムラが尋ねると、テヅカは黒衣を翻して短く答えた。
「……客だ」
招かれざる?
カワムラが思わずそう問いかけそうになったのは、テヅカの様子が明らかに客を迎えるようなものではなかったからだ。触れれば切れそうに鋭い空気。元々近寄りがたい空気を纏う男ではあるけれど、今の空気はまるで戦いに出向く前のようだ。
何か、起こるのか?
いや、もし何か争い事でも起きるというなら、テヅカはカワムラを連れて行くだろう。大丈夫だ、と自分に言い聞かせつつ、立ち去る友人の背を見ながら不安に顔を曇らせたカワムラの手が、無意識のうちに安心感を求めて自分の顕現武器へ伸びる。
「カワムラ隊長! 組み手終わりました……あ、隊長!」
「ん?」
焦った部下の様子にカワムラは首を傾げて、それから手元を見た。右手にしっかと握られているのは、顕現武器”炎威”の長い柄だった。この重み、この触れた瞬間に感じる温かさが、カワムラの心強くする。
「……オラオラ、バーニーング! なにちんたらしてんだコラアァ! 次は二人一組で打ち込みだぁ!」
ついでに性格も強く、人が変わる。突如豹変したカワムラの怒声に、自主的に小休憩を取っていた訓練生達が飛び上がって訓練を再開した。
カワムラが炎威を振り回して訓練生達を指導している頃、いなくなったというサクノの飼い猫カルピンを探して城内を歩いていたイヌイは、リュウザキ=スミレの従女に呼び出されて、女王の元へ参じた。
「陛下、お呼びでしょうか」
確率的に八十パーセントと踏んでいたところにカルピンがいなかったので、イヌイの頭の中ではありとあらゆる可能性が再計算されていた。そんな状態でも、イヌイはしっかりとリュウザキの様子を伺っていた。
リュウザキはイヌイが部屋に入った瞬間に、心なしか綻んでいた口元で誰かの名前を小さく呼んでいたようだった。手元には素っ気ないカードのようなものが握られている。おそらく誰かからの手紙だろう、とイヌイは判断した。そしてイヌイが入ってきた瞬間に、リュウザキはその手紙をそっとテーブルの上に置いた。もちろん、文面を伏せる形で。
「あぁ、イヌイ。客だ、迎えに行っておやり」
そして女王の口から出た命令に、イヌイは戸惑ったふりをした。
「客……ですか?」
招かざる客、という可能性も捨てきれなかったが、伏せられた手紙のことと、そして最初にリュウザキの口が形どった人の名前を考えに入れると、ずっと待っていた客であることが予測できた。リュウザキが、というよりも、この青学が帰郷を待ちわびていた人物。イヌイにはそれが誰だか、九十八パーセントの確率で特定できる。
「あぁ、珍客だ。九年ぶりに……エチゼンの跡継ぎが顔を出したよ」
笑いと微かな希望を含みながら、リュウザキは微笑んだ。その言葉を聞いた瞬間に、イヌイの頭の中ではカルピンを探すために隅の方で続けていた再計算が終了した。これだけの時間が経過した状況で、カルピンがサクノの元に戻っている可能性は――。
百パーセント。
ふと、イヌイの口元も緩んだ。そしてイヌイはリュウザキに向かって頭を下げ、命令通りにその珍客を迎えに行くために部屋を出たのだった。
カルピンの捜索には、イヌイの他にもオオイシとエイジの小隊が全員参加していた。主にはカルピンを探すため、というよりカルピンを探しているサクノがどこかで迷子にならないようにするために散らばっていたのだった。
カルピンは基本的に城内からは出たがらない猫で、いなくなったと騒いでも半日もせずに何食わぬ顔で飼い主の元へ戻ってくるのが常だったから、本当にカルピンの心配をしているのはサクノだけで、オオイシ達としてはサクノが迷子になってどこかの隠し通路に転がっているというような事態を想定して心配しているだけだった。
とりあえず片手間でカルピンも探しながら、今はサクノの居場所を確認しようとオオイシはエイジと一緒にサクノの後を追って城の東側へやってきた。やがてサクノの後ろ姿を見つけたオオイシは、その前に立って背に負った大剣の柄に手をかけている後輩の姿を同時に認めて声を張り上げた。
「何をしている! モモシロ!」
城内で顕現武器に手をかけるとは穏やかではない。そもそもモモシロはカワムラと同じ部隊なのだから、今日は訓練生達を監督する仕事のはず。それがどうしてこの場所で、サクノを背に庇っているのだろう。
慌てて駆け寄ったオオイシに、ばっと振り向いたのはモモシロの背に張り付いていたサクノだ。
「オオイシ! 二人を止めて!」
叫びながらサクノはカルピンを抱いたままオオイシに駆け寄ってくる。
「サクノ様?」
いつもおっとりとしているサクノ姫が、珍しく切迫した様子ですがりついてきた。オオイシはその細い体を受け止めて、視線をサクノが気にしている先に向けた。相変わらず背の大剣に手をかけたままのモモシロの前には、見知らぬ少年が腰に下げた刀に手をかけ、今にも鞘から抜きそうな勢いで向かい合っていた。
状況がよく分からない。けれどサクノの様子を見ていれば、とても穏やかな状況とは言えなそうだということは分かった。
「おい、おチビだからって、王宮内で騒ぎを起こすのは許さないぞ」
オオイシと同じようにこの場の状況が良くないものであることを感じ取ったエイジが、サクノを庇うように一歩前に出て言った。そんなエイジに対して、幼い侵入者は大きな瞳でエイジの体を頭から足先まで見渡して、最後に腰に帯びた剣に視線を止めた。オオイシには、その瞬間少年が笑ったように思えた。
「あんたは上位覚醒者?」
顔を上げて相手を見るのではなく、少年は大きなその瞳だけを動かして試すようにエイジを見た。
「そうだけど……生意気。名前くらい名乗ったら?」
エイジも挑発には乗りやすい性格だったので、正直にむっとした表情で言い返した。そんな風に表情に出すから挑発されるんだ、と思ったのはオオイシだけではない。大きな目をした少年もまた、上手く釣れたと今度はあからさまに口角を上げた。
「こっちだけ?」
エイジだって自分が挑発されていることは理解しているのだろう。だが、挑発を流すということは考えない男なのだ。
「オレが名乗ったら名乗るわけ?」
精一杯挑発を返してやったつもりなのだろうが、少年の方が一枚上手だった。
「どうかな」
好戦的に挑発されているというより、まるで自分よりも年下の相手をからかうような調子だった。自分の方が、よほど子どもらしい外見をしているというのに。
「んにゃー! やっぱり生意気!」
我慢できずにエイジが叫んだ瞬間、オオイシの目は少年の足がモモシロを避けて、エイジの方へ一歩大きく飛んだのを捉えた。
「エージ!」
まさかこの場で切り掛かるつもりか、とオオイシが身構えた瞬間、エイジの前に踊り出たのはがっしりとした体つきのモモシロだった。オオイシが止める間もなく、モモシロは背に負っている大剣を抜いて、切っ先でエイジに迫ろうとしていた少年を止めていた。
「……お前、目的は何だ」
突きつけられた切っ先の、本当にすれすれの位置で驚いた様子もなく動きを止めた少年は、これまでの調子を崩さず愉快そうに首を傾げた。
「別に。そうだな……腕試しってとこ?」
少年の言葉に限界まで我慢しきったモモシロが、大きく舌打ちした。
「じゃあ、お望みどおり俺が相手してやるよ!」
叫びながらモモシロは顕現武器”轟雷”を振り上げた。
「モモシロ! やめろ!」
オオイシは叫んだけれど、頭に血が上っている様子のモモシロと、状況を楽しんでいる様子の見知らぬ少年はオオイシの制止をきくつもりはないようだった。
振り下ろされたモモシロの一撃を、少年は軽い動きで横跳びに避けた。モモシロの剣は地面に当たる前に引き戻され、その間に少年も腰の刀を抜いていた。モモシロはさらに一歩踏み出して、今度は横薙ぎに少年の体を狙う。けれど少年の動きは機敏だ。今度は後ろに飛んで避けた、と思ったら着地した片足でそのまま前に飛ぶ。突き出された刀をモモシロは横に体を滑らせて避けると、轟雷を自分の身と相手の刀の間に入れ、下から掬い上げるようにして弾こうとした。けれど少年はそれを見越して手首をひねると、掬い上げる轟雷の刃を滑るようにして外に払うことで見事に避けきる。
「なっ! あのおチビ……」
エイジが途中で声を失うほどに戦い慣れしている。自分のウエイト、そして大剣と刀という得物の軽さを見越して、決して轟雷とまともに打ち合おうとはしないのだ。その代わり、素早い身のこなしと軽いが鋭く的確な斬撃でモモシロに対して一歩も引かない。少し様子を見るようにして、適当な距離を保ちながらモモシロの攻撃をかわして動き回っている少年はどこか楽しげでさえある。
「ふん、大剣の割には動きがイイね。でも……それじゃあ、遅いよ」
不敵に微笑みながら呟いた、と思うと次に地面を蹴った時、少年の動きがこれまで以上に鋭くなった。
速い!
モモシロの轟雷は確かに上から振り下ろし、相手を砕くタイプの大剣で、その大きさからいっても小回りがきかない。モモシロ自身その欠点はよく理解していた。だからこそ、全身の筋力を鍛え、腕に頼らない全体の動きで轟雷を振るうことで力強さに加えてスピードも強化してきたのだ。
それでも、この少年の速さには到底追いつけない――!
オオイシは息を呑んだ。スピードを上げた少年に、徐々にモモシロが押され始める。
「くそっ!」
隣に立って二人の争いを見ていたエイジの手が、辛抱しかねるというように顕現武器“火輪”にかかるのを目の端にとらえて、オオイシは慌ててエイジの手首に手を伸ばして掴み押さえた。
「止めろ! 手を出すな、エイジ!」
相手の目的も分からないままこちらの手の内を明かすような行為は慎むべきだ、とオオイシは思った。特に未覚醒の顕現武器に、上位覚醒している火輪やオオイシの“桂輪”を当てるのは避けたい。武器型の顕現武器は、お互いに強く刺激し合うものだから、とオオイシはテヅカの言葉を思い出していた。侵入者の顕現武器が上位覚醒しているものかどうかはオオイシには分からないが、年齢から言えば上位覚醒している可能性の方が少ない。オオイシとしては慎重にならざるを得ない状況だった。
「でも、オオイシ!」
腕をつかまれたエイジがもどかしげな声を上げる。小さな侵入者の素早い動きに翻弄されているモモシロは、防戦一方になってしまっているようだ。大剣のリーチを利用して距離を置こうとしても、侵入者は軽いフットワークでモモシロが防ぎにくい腰の辺りを狙ってくる。それをかろうじて受けているモモシロの額に浮かんだ汗を見て、オオイシの中にも迷いが生まれる。手が自然と腰に下げている桂輪に伸びてしまうのに気づいて、慌てて空の拳を握り自制した。
いや、駄目だ。顕現武器に関しては、下手に手出しできない。かといって、あの争いの中を体術だけで間に入り込むには危険すぎる。警戒中ではないため、顕現武器以外の武器を持っていなかったことが災いした。
「オオイシ、お願い! 止めさせて!」
腰にしがみついて震えているサクノがそう訴える。彼女のためにも何とかしたい、とオオイシの額にも焦りで汗が浮かぶ。けれど結局は彼が来るのを待たなければ。
早く来てくれ、テヅカ――!
祈るようにしてオオイシが目を閉じた、その瞬間だった。
「そこまでだ!」