ようこそ、青学王国へー3rd day
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カイドウが感じていたような王宮内が全体的に浮き足立つような感覚を、エイジもまた敏感に感じ取っていた。だがエイジの場合は自らもその浮かれ調子に乗せられていて、オオイシに何回言われてもそわそわとしてしまうのを止められなかった。
「落ち着きがないぞ、エージ」
溜息とともに本日二桁目の注意がオオイシから飛んだ。最初の頃こそいちいち首を竦めていたが、流石にエイジも言われ慣れてきたし、オオイシも言い疲れてきたようだ。ちょっとげんなりした様子のオオイシは、直接囲まれはしないものの、朝食の時間からずっと騎士団の皆の物言いたげな視線を受け続けて疲れてしまっているのだろう。気の毒だと思わないわけではないが、昨日まんまと説得されて――脅されて? ――しまった身としては口を尖らせて文句のひとつも言いたいところだ。
「オオイシが悪いんじゃん。ちゃんと風巫女様がどんな風に美人なのか報告しろって、オレ言ったのに。結局意味深なことしかいわないんだもん」
一人で行かせることをまんまと了承させられてしまったエイジは、それでもひとつの注文をつけてから引き下がったのだ。それを忘れてしまうようなオオイシではないが、覚えていても答えがないのでは意味がない。そう言って非難するのだが、オオイシは苦笑するだけだ。そこに、にこにこと微笑みながら事態を見守っていたカワムラが、そっと間に入って尋ねた。
「意味深なことって?」
「あ、いや……」
エイジにはまるで年長の兄のような態度で押すオオイシだが、同期のカワムラにはそうもいかない。特に顕現武器を握っていない通常の状態にいるカワムラには、テヅカだって無下な態度はとれないはずだ。押しが強いなんてことは全くないが、ちょっとすまなそうに笑いながら口を挟まれれば、誰だって思わず笑い返して隙間を空け、彼を会話に入れるだろう。間に入れないで突き返すなんて、そんな芸当は無理だ。勿論、もし突き返されればカワムラはそのすまなそうな目尻を下げた微笑みのまま、ごねることなく引くだろうけれど、そうさせた方の気分は最悪まで落ち込むに違いない。分かってやっているなら策士だが、カワムラの場合は計算しているわけではなくそれが素なのだと誰もが知っている。
そういうところはオオイシとカワムラ、何となく共通点があるとエイジは思う。彼らが共に長男で、下に兄弟を持っているせいだろうか。とにかくエイジには真似できない。真似できないことを彼らは知っている。エイジは彼らから見るとまるで彼らの下の兄弟のような、不躾で、我がままで、御し難いけれどしかしとにかく愛おしいというような存在なのだ。
オレだって同い年なんだけどなぁ。
しかしエイジは長男ではなく、四人もいる兄姉の末っ子なのだ。甘やかされて育ったわけではないけれど、いい具合に放置され、いい具合に構われて生きて来た。だからその逆はどちらも苦手だが、末っ子は末っ子なりの観察眼と世渡り術というものを持っていて、エイジは自分がそれを遺憾なく発揮できる人間であることを熟知していた。長男気質の二人に甘えてしまう自分もよくよく知っているが、同い年なのにとにかく愛おしいという顔をされてもむずむずして落ち着かない。
「『ごめん、エージ。俺にはとても……表現できないよ』。だって! 表現できないくらいの美人なんて! オレ、想像もできない」
口を尖らせてオオイシではなくカワムラに向かって主張すれば、その言葉の内容とともにカワムラを仲間に引き入れることなど容易いことだ。案の定カワムラは下げていた目尻を一層下げてエイジを見下ろし、悪戯っぽく笑っているエイジと同じような笑みをオオイシに放った。
「うわぁ……それは確かに意味深だ。俺も余計気になっちゃうな、オオイシ」
味方だと思っていたカワムラをエイジにとられて、オオイシはとうとう頭を抱えてしまった。
「カワムラまで……。勘弁してくれよ。今夜にはお目にかかれるんだから、もういいじゃあないか」
「よくなぁ〜い!」
ただでさえすでに一回重大な機会を逃しているのだ。夜までなんて待っていられない。モモシロはそもそもの語彙が少なくて、何度詳しくと要望しても「いやぁ、とにかく、美人で……」としか言えないのだ。絵に描いてみせろと言っても、これはなんだそもそも人の顔なのかというくらい外れた芸術性を発揮するので役に立たないし。その点オオイシは表現力も観察力もあるから、きっと現実的に描いてみせてくれると期待していたのに、ペンを持った途端に考え込んで、また「やっぱり……無理だよ」とペンを下ろす始末なのだ。まったく不満極まりない。
「モモが言ってた通りだと、確か茶色の髪だったね」
カワムラが尋ねるけれど、それはもう何度も聞いたことだ。それよりもっと他のことを、と口を挟みかけたエイジだったが、カワムラの穏やかな問いかけのせいか、オオイシが口を開いたので慌てて不満の言葉を呑み込んだ。
「茶色というよりは蜂蜜色かな。陽の光に透けると、ほとんど金色に近く見えたよ」
そうそう、そういう答えを期待していたのだ。蜂蜜色。茶色よりもう少し黄みがかっているというか、明るい色なのだろう。これならいけるのではないか、とカワムラとこっそり目を合わせると、カワムラもそういう読みだったのか、目蓋だけで頷いて返した。よし、とエイジはさりげなく問いを重ねる。
「ホントに青いきれーな目だった?」
すると先程まで渋っていたのが嘘のように、オオイシは逡巡の間もなく答えを返してきた。
「ああ、宝石みたいに透き通った青だった」
なんだ、ちゃんと表現できるではないか、とエイジはほくそ笑む。少なくともモモシロの「あ〜、青ですよ。とにかくすっげえ綺麗な青なんです」よりはずっと詩的で想像力をかき立てる表現だ。宝石みたいに、は宝石を目にすることが滅多にないので分からないが、透き通ったというのは想像できる。水も透き通っていることだし、あんな感じなのだろう。
「背はどんくらい?」
この調子を崩さずに引き出すのが得策だ、とエイジは次の質問を繰り出す。オオイシは思い出すようにして目を宙に浮かすと、自分の肩より下の上腕部分に手を当てて表現した。
「女性としては高いかな。陛下のところへお連れした時に並んだから……このくらい。細くて、遠くから見るともっと小柄に感じるけどね」
「ふんふん。他には?」
勢い込んで具体性を無くした問いを発すると――正直それ以上の何を訊いていいのか分からなかったせいもあるが――オオイシが急に我に返ったように瞬きした。
「他には、って……。エイジ、反対に訊くけど、今まで俺が答えた答えを総合して、どんな巫女様が想像できる?」
なんと逆に問い返されるとは、と今度はエイジが瞬きする番だ。
「むむ?」
今までの話を総合して、どんな巫女が想像できるかだって? エイジは眉を顰めてオオイシやモモシロから訊いた話をひとつひとつ具体的に人体へ落とし込んでいった。隣でカワムラも同じように眉を顰めている。色白で、蜂蜜色の肩までの髪。太陽に透けると金色に見える。そして目は蒼く、慎重はオオイシの肩の下、ということはエイジの肩までくらいまでで、でも細身だからもっと小柄に感じられる。細身というのはモモシロに言わせると、ちょっと胸が小さいということで。
「……にゃ〜? なんだか、具体的に聞いてもやっぱり想像できない」
部分部分については詳しくなった気がしても、結局想像力が足りないせいか、情報が足りないせいか分からないが、具体的な人間の像にならないのだ。おかしい、ちゃんとオオイシには質問に答えてもらっていたのに。
「だから言ったじゃないか、とても表現できないって」
百聞は一見に如かず、だよ。となんだか難しい言葉をオオイシが宥めるようにして言った。ようはどういうこと、とエイジが尋ねるより前に、カワムラがのんびりと応える。
「総合するととんでもなく美人になりそうだな、と思うけど……。そうだね、やっぱりお会いするのが一番早いかもね」
オオイシに質問を始めた時には味方だと思い込んでいたカワムラも、実はそれをエイジに悟らせるために口を挟んだのかもしれない。人の良さそうな笑みを見ていると、成り行きでそういう結論に落ち着いたのか、最初から計画されていたのか分からないが、はっきりしたことはひとつだけある。
「ふみゃあ! 結局そうなっちゃうのかよ〜。ああ、もう! 早く夜になれ〜!」
そしてそういう時こそ時間は遅々として進まないものなのだ。
さらに言えば、遅々として進まない時間に苛立つことがあったとしても、確実に進んでいくのが時間というものであって。確かにオオイシを問いつめていた午後の早い時間は、若年の騎士達皆が浮き足立って集中できず、日の高さばかりを気にしているような有様ではあったのだが、宴に参加する小隊長、副隊長以上の騎士達は、宴の準備が始まるとそう集中力を欠いてもいられなかった。
青学王国では三代前の国王――つまり現女王の父王である第37代青学王――によって、王宮内での極端に華美な装いは控えられるようになった。勲章や宝飾類で飾り立てたがる貴族からは不満の声も上がったが、平民出の騎士が積極的に取り入れるようになってきた時代背景もあり、より統一感のある平等な装い、何よりも軍人として実際の動きに支障がでないような服が提案されておおむね受け入れられたのだった。
それが近衛、騎兵隊、守備隊の現在の軍服であり、基本的に式典等に出る場合には通常省略しているマントを羽織るだけで特別な礼服は存在しない。一年前に行われた北の氷帝国との交流の際には、同年の騎士からそのことをえらく羨ましがられたものだ。身動きがとりやすいことが一番なエイジにとっては、このマントだけでも十分に窮屈ではあるのだが。
着替えに時間がかからないってだけましかにゃ〜。
そう思って、普段着けないマントを羽織ると、すかさずオオイシの手が伸びて形を直されるのだが、自分では何が悪くて直されているのか、いまいちよく分からない。同じ形のマントを、同じように羽織っているだけのつもりなのに。だがおそらく、家に居た時も必ず姉がエイジの服装を確認して、さっと手を伸ばし直していたように、オオイシもそうしたいだけなのだろう。エイジとしてはその手を受け入れて文句を言わずにいれば、特にお小言が飛ぶわけでもないのだから楽なものだ。
そして最後に剣を差す。オオイシもエイジも顕現武器を持っているが、こういう時には皆と同じ国から支給された青学の桜紋が入った片手剣を帯びる。顕現武器は”呼べば”くるので、いざと言う時でもそれで十分間に合うのだった。統一感もとれるし、覚醒者以外に妙な劣等感を抱かせずにすむこともあって、訓練の時以外でエイジ達が顕現武器を帯びていることはない。テヅカとイヌイだけが例外的に常に顕現武器を身に付けているが、テヅカはその家柄から、イヌイはあからさまな武器の形ではないことからそれが許されているのだった。
「う〜、ようやくだにゃ〜! 待ちくたびれた〜」
ようやく謁見の間に通されて、あとは女王と巫女が姿を現すのを待つだけの時間になった。エイジは全身を震わせながら、それでも年長の隊長達に睨まれないように声を抑えたつもりだったが、オオイシは咎めずにはいられないようだった。
「エイジ、少し落ち着きなって」
すでにこの場に呼ばれた将軍以下大隊長、小隊長とそれぞれの副隊長クラスの人間が揃っており、一番年少のエイジ達は何もしなくても目立ってしまっている。ある意味兄弟の多いエイジは年長者達の視線など慣れきったものなのだが、オオイシはいつまでたっても慣れないようだった。
「ムリ〜! ねぇ、まだかな。巫女様まだ来ない?」
好奇心が抑えきれない猫のような仕草で、エイジは謁見の間の閉ざされた扉を何度も見て首を動かす。オオイシはしぃ、と口元に指を当ててそれを止めさせようとするが、エイジの声よりもオオイシのその制止の方が注目を集めてしまっているようだ。
「もう少しだって。恥ずかしいよ、エイジ。本当にもう少しだから落ち着いてくれ」
「オレだけじゃにゃいよ。皆そわそわしてるじゃん!」
実際、大隊長クラスの騎士達にもどこか落ち着きのない様子が感じ取れた。それはオオイシも同じだったらしく、苦笑しながらもう一度口元に指を当てる。分かっているけれど、言わないでおけという合図だろうか。どうせ誰も聞いていないとエイジは思ったけれど、口を尖らせた次の瞬間にオオイシが肩に触れて注意を促した。
「あ、ほら、陛下がいらっしゃったみたいだぞ、エイジ」
「にゃ!」
待ってましたと言わんばかりに振り返ってみると、上座に近い入り口から背の高い女性がイヌイを伴って入ってきたところだった。上座に近い位置にいた将軍がいち早く彼女の側に寄り、残った副将軍が視線で隊長達を促す。大隊長を先頭に、それぞれの隊がまとまって整列するのに、オオイシもエイジも、少し離れて隊の違うカワムラも倣った。
上座に設けられた椅子に大股で近づくリュウザキ女王に、エイジ達は胸に片手を握って押しあて、その姿を不躾に見つめないように少し頭を垂れるのが礼儀だった。けれどそれでは、次に入ってくるかもしれない風巫女の姿が見えないのだ。ジリジリするエイジの心を見透かしたかのように、リュウザキ女王は椅子に腰掛け、脚を組んで口の端を引き上げた。
「よい、頭をお上げ」
ほっと内心で息をついて、エイジは目を輝かせ顔を上げた。窺うまでもなく、その場の全員が女王の言葉にその視線で謝意を表していた。そんな騎士達の視線を受けて、女王は明らかな苦笑を漏らしたが、特に苦言は呈さなかった。
「サクノ」
先程自分が入って来た扉の方を見ると、リュウザキ女王は自分の孫娘の名前を呼ぶ。
「はい、陛下」
軽やかな声が応じる。けれど姿は見えない。
「風巫女をお連れしておくれ」
「はい」
きた、とエイジは視線を走らせる。先に扉を開けて入ってきたのは黒の近衛服。テヅカだ。続いてテヅカが押さえる扉をくぐってきたのは、サクノ王女。今日は珍しくふわふわとした柔らかそうな髪を結い上げて、首を露にしている。ドレスは鮮やかな大輪の牡丹。首を大きく開けて、レースよりもドレープを使ってまとめあげている大人っぽいデザインのドレスだ。その小さな小鳥のような手がそっと促すほっそりとした手を辿ると、エイジと同じタイミングで青学の騎士達が息を呑んだ。
吸い込まれそうなほどに澄んだ蒼い瞳が、すこし不安げに伏せられた長い睫毛の下で輝いている。
白い肌はその巫女服と解け合うくらいに現実的な色を帯びておらず、まるで精霊のようだ。
指通りのよさそうな蜂蜜色の髪は僅かに首筋を隠す程度の長さで、俯いていると項が意味ありげにちらつく。
まだ成長過程の、エイジと同じくらいの年頃の巫女だが、同じ人間とは思えないくらいにどこか人間離れした美しさを持っていた。オオイシが教えてくれたことと何一つ違わない。けれど、聞いていた姿とはまったく違う。
キレイ……。
モモシロ同様に元々語彙の少ないエイジでは、他になんと形容してよいかわからない。けれどオオイシでさえ形容するに困ったくらいなのだから、きっと他に何とも言えなくて正解なのだ。笑顔のサクノに手を引かれて、体重を感じさせない動きで女王の側へ移動する若い風巫女を、老若問わず騎士達は半ば呆然と見つめていた。動くたびに白の巫女服の裾を飾る深い青のアラベスク模様が、風に吹かれてそよぐ本物の草のように動く。
王女と風巫女。二人の女性の後を、扉を閉めたテヅカが追う。いつの間にかテヅカの率いる近衛隊も、エイジ達の居並ぶ騎士団に混ざって並んでいたが、エイジはそれに気づかなかった。小隊隊長副隊長のため、巫女達から一番遠い位置にいるのがなんとももどかしいが、そのせいで巫女の姿とそれを追うテヅカの姿を同時に捉えることができた。テヅカはいつも通りの顔。幾分眉間の皺が濃いようにすら思えるくらいだ。しかし珍しく、その視線は真っ直ぐ前ではなく幾分下に反らされている。不躾に女性の後ろ姿を見ないようにしているのか、例の噂をテヅカなりに気にしているのか。どちらにせよ。
……テヅカが一目惚れしても全然おかしくないよ、これは。
サクノ王女は女王の前で風巫女の手を離した。それから女王の手に従って、女王の右後方に置かれた椅子にちょこんと腰掛ける。その顔はまるで大役を果たしたように嬉しげで、見ている者達の心を和ませる。一方風巫女はイヌイに促されて、女王の左脇に下がる。テヅカはというと、ヤマト将軍となにやら目線で会話を交わすと、自分の近衛隊の先頭に並んだ。
イヌイと並ぶと本当に小柄に見える巫女は、確かに綺麗だけれど、俯かずにもっと顔をきちんと見せて欲しいと思う。そんな思いはエイジだけではなく、他の騎士達からも発せられてしまっていたのだろうか。先程は苦言を呈さなかった女王が、流石に苦笑した。
「まったく困ったもんだね。そんなにギラギラした目で見られたら、風巫女が怯えてしまうだろう」
女王がそう言うと、巫女は益々申し訳なさそうに顔を下げた。どうやら自分達の視線が若い巫女を怯えさせてしまっていたようだと思うと、エイジ達も申し訳なくなって何とか視線を巫女から引きはがす。そんな部下達を見て、ヤマト将軍が穏やかに取りなす。
「ご勘弁ください、陛下。まったく、噂以上の美姫。この青学にお迎えできて幸いでございます」
ビキという言葉が自分の語彙にないものだから、エイジは将軍の言葉に酷く戸惑ったけれど、迎えられて幸いというからにはなにか褒め言葉なのに違いない。
「その美姫に愛想を尽かされないよう、誠意を見せてもらおうか? ヤマト将軍」
リュウザキ女王の目が面白そうに細められて、口調はこちらを試す口調だ。よく訓練場に現れる女王が、若い騎士を捕まえてかける口調に似ている。するとそれを合図のようにして、影のように控えていたイヌイがひそりと口を開く。
「フジ様、どうぞ陛下の前へ」
イヌイが差し出す手に従って、巫女が前に踏み出す。数々の視線が注がれる中で、女王の前に進むとあればと、巫女も毅然と顔を上げた。やはり、とエイジは息を呑んだ。俯いているよりもはっきりと見える蒼の瞳は、吸い込まれそうに美しく、オオイシが言ったように宝石でも飾っているかのようだ。そして毅然とした面持ちながら、口元はうっすらと微笑んでいる。年齢的にはまだ少女の領域のはずだが、サクノ姫の笑みとは違う、どこか神聖な雰囲気を感じさせる微笑みだった。
イヌイが離れ、巫女はもう一歩女王に近づくと、服の裾を捌きながら両膝を付く。両手は胸の上に交差するように重ね、頭を垂れる。するとそれを合図に、リュウザキ女王の手が巫女の頭の上に掲げられた。
「風巫女フジ。そなたの力と忠誠を青学王国のものとすると誓うならば、第40代青学女王スミレ=リュウザキの名において、そなたを青学王国王宮付き風巫女に任命する」
女王の張りのある声が厳かに告げると、騎士達の見守る中で跪いた巫女がエイジ達の前で初めて言葉を発する。
「この力と忠誠を青学王国に捧げることを誓い、謹んで風巫女の任を拝命致します」
容姿のことはあれこれ尋ねて妄想逞しくしていたエイジだけれど、声のことはさっぱり考えていなかった。甲高いというわけでもなく、か弱くもない。大きな声でもないのに良く通るのは、風の神に愛された人だからなのか。ただエイジに分かるのは、あの微笑みによく似合う声だということだけ。
「お立ち」
巫女の答えに満足した様子でリュウザキ女王の手が巫女の頭の上から離れ、その手を翻して巫女の前に差し出される。
「はい」
自ら剣を振るう勇ましい女王に比べれば、若い風巫女は騎士と少女と見えてしまうほどだ。差し出された手に素直に従い、巫女は女王の手を借りて立ち上がる。そしてそのまま女王に従って、エイジ達騎士が控える広間に向き直った。そして女王は巫女の小さな手を握ったまま、己の騎士達に向かって声を張り上げ尋ねる。
「この場にいる全員が、風巫女の誓いの証人となる。そして力と忠誠をこの国に捧げた巫女に、青学騎士団は何を捧げる?」
巫女の耳をくすぐるような声と違って、女王の声は広間全体を、そして騎士達の肌を震わせる強さを持っていた。自然と背筋が伸びる。力と忠誠をこの国に捧げた者。その力と忠誠を時に命をかけて守るのが青学騎士団の役目だ。女王の問いに対する答えは決まっている。エイジは右拳を左の胸に当て、息を吸った。
『我らの力と守りのすべてを!』
騎士達の声が重なって響く。次いで一斉に跪くことで、翻るマント。ざっという音とともに、エイジ達は女王と風巫女の前に跪いて頭を垂れた。
「青学にお迎えできることを、光栄に思います。風巫女フジ殿。どうかこの国に、風の神の豊かな恵みが吹き込まれますように」
騎士団を代表して静かに、力強くそう告げたのはヤマト将軍だ。跪いたまま顔を上げると、女王達の斜め後ろに控えていたイヌイもその長身を折って跪いている。そして自らの前に跪いた騎士達を前に、風巫女が女王の手から離れて一歩踏み出した。
「この国で任を勤められますことを、誇りに思います。どうかリュウザキ女王陛下に」
風をくすぐるような声が、本当に風を動かした。
「サクノ王女様に」
巫女が向けるその顔の先で、風がサクノ姫の髪を撫でる。
「そして騎士団の皆様に」
他の一切を揺らすことなく、跪いた自分達の間を風が通り抜ける。その風は冷たすぎず、熱すぎず、まるで人の手の体温のような温もりでエイジの頬に触れ、心をくすぐるのだ。
「この国に生きるすべての人に。神の豊かな風がもたらされますように」
そう言って風巫女が胸に当てた両手を広げると、エイジ達の頬をくすぐっていった風が戻って来て、巫女に還る。肩までの淡い髪が撫で上げられ、白い巫女服の裾を飾るアラベスクが生き物のように踊る。翻った巫女服の裾から覗く細い足首。
そしてエイジはこの目で見たのだ。細い巫女の体が、風の力で浮き上がる、奇跡のような光景を。
風が過ぎ去ってふわりと舞い降りた巫女の、ほっとしたような顔が、それまでとは違う柔らかさで少し誇らしげに綻ぶ様を、エイジ達は呆然と見つめた。風の神に愛された巫女。この巫女は、青学の民にも愛されることになるだろう。エイジの胸が熱くなったように、熱烈に。