ようこそ、青学王国へー2nd day

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「ほぉ、これは……美しい風巫女様がいらしたと聞いてはいましたが、これほどとは」

 扉を開けて初対面で、開口一番にそう言われて、フジは思わず隣に立っていたイヌイを見上げた。イヌイはフジの視線を受けて軽く肩をそびやかす。だから言っただろう、と言わんばかりの表情にフジは渋い顔をして返した。お世辞だ。これこそお世辞に決まっている、とフジが自分に言い聞かせているうちに、イヌイがその商人に向かって話しかけていた。

「気持ちは分かるが、見とれていないで仕事をしてくれよ。巫女服にふさわしい布を持ってきてくれるように言ってあったが」

 気安い言い方は、この商人が既に何度も王宮に出入りしていることを物語っていた。イヌイの言葉ににっこりと人好きのする笑顔を見せた髭面の商人は、自分の足下を示しながら答える。

「勿論ご用意しておりますよ。巫女服は白が基調ですからね。布の種類と、刺繍の色と柄でご用意させていただきました」

 入った時に気づいていたが、部屋の中にはすでに布が溢れていた。その半分は白い布だ。自分一人のために用意されたものだと考えるのが怖くて見ぬふりをしていたのに、まさか本当に自分のためのものだったとは。フジはくらくらする頭を押さえて部屋を飛び出したい気分だったが、商人はにっこり笑ってフジがその中から布を選ぶのを待っている。

 困ってイヌイを見上げれば、彼はフジの戸惑いの中身を察せず、遠慮せずに座って選んでくださいと言うだけだ。王宮付きの巫女として、これは身分相応の待遇なのだろうか、とフジは冷や汗をかきながら思った。祭事の際に着る祭服ならまだしも、普段着となる巫女服をこんな高級そうな布の中から選ぶなんて。

 しかも五着分?

 お気持ちだけでも、ともう一度断ってみようか、とフジは考えた。あまり固辞するのも失礼だろうが、もう一度くらい確認のために言っておいたほうがいいのではないか。フジがイヌイを見上げて口を開こうとしたその時、可愛らしい声が部屋の外からかけられた。

「入ってもいい? イヌイ」

 遠慮がちな雰囲気すら感じさせるその声は、昨日聞いたばかりの声で。フジはイヌイが扉の外へ声を返すのと同時に姿勢を正して扉の方へ向き直った。背後で、商人も同じようにした気配がする。

「サクノ様、どうぞ。もう布は用意してありますよ」

 イヌイが軽く答えたその先には、青学の姫であるサクノが、扉の隙間から中を覗き込んでいた。長い黒髪を、今日は緩く後ろでひとつにまとめ、金の大きな櫛を挿している。そろりと中へ入ってきたサクノに、フジは頭を下げる。数秒後に顔を上げると、サクノ姫はフジを見て大きな目を細めて柔らかく笑いかけた。

「フジ様、お祖母様……あ、女王陛下がどうか遠慮なく好きな布を選んで欲しいとおっしゃっておりました」

 しまった、断るタイミングを見失ってしまったと内心では思ったけれど、表情は少し口元が引きつっただけで抑えることができた。

「あ……ありがとうございます。でも……こんなにたくさんあると選ぶのが大変そうです」

 フジが困ったように――実際大いに困っていたのだが――背後の布の山に視線を流すと、サクノは布の真ん中にいた商人の顔を見て、フジに微笑みかけたのと同じように微笑んで声をかけた。

「こんにちは」

 久しぶりに会った親戚の男性に声をかけるようにして、サクノがちょっとはにかみつつ挨拶すると、商人の方も目尻を細めて嬉しそうに微笑んだ。

「これは姫様。ちょっと見ない間に大きくなられて……」

 商人の目には慈愛の色が滲む。サクノもそれを見て取って、まるで孫が遠くからやってきた祖父にそうするように親しみを持って商人に近づく。

「服がね、ちょっと丈が短くなってしまったの。だから新しいものを作っていただこうと思って」

 すっと極近い距離で腰を下ろしたサクノに、商人は驚きもせず、適当な敬意を含ませた絶妙な態度で傍らの布を取り上げた。

「どんなものがお望みでしょう。前回は淡い水色のものをお選びでしたね」

 何となく、昨日会った背筋を伸ばしたあの女王ならば、なじみの商人でもこんな距離感では話さないだろうとフジには思えた。けれどどこかふわふわとしたこの姫ならば、近すぎるとも言えるこの距離感が適当にさえ思える。祖母とはまた別の魅力を持った女王になるのかもしれない。出会ってまだ二日目のフジにさえ、そう思わせる何かがサクノにはあるようだった。

「本当に、たくさんあるから迷っちゃう……イヌイはどういうものがいいと思う?」
「そうですね……」

 イヌイは思案するように布の山を見たが、不意にフジの方を向いて話をふってきた。

「フジ様は、姫にどんな布がお似合いだと思われますか?」
「えっ?」

 何故そこで自分にふるのか、とフジは思ったがイヌイの言葉と同時に、サクノ姫までフジの方を見上げた。その大きな目が、何か期待に満ちているように思えるのは気のせいだろうか。

「……そう、ですね」

 ご一緒に選んでいただければ、姫も喜ばれるでしょう。そう言ったのはイヌイだった。まさか本当にそんなことになるとは思っていなかったけれど、目を輝かせてフジを見上げているサクノ姫も、それを期待しての眼差しなのだろう。「どうぞ手に取ってお選びください」という商人の言葉に、フジは覚悟を決めて座り込んだ。


 どこか遠慮がちに、けれど隠しきれない好奇心を持って、サクノ姫もフジの側に近寄ってきた。目が合うとはにかむようにして微笑む姿は、昨日謁見したこの国の女王と驚くほど印象が違う。あの堂々とした女王にははっきりとした色合の、柄もあまりないようなすっきりとした布が似合いそうだが、この姫なら淡い色の方が似合いそうだ。柄も小さくてたくさん入っているかわいい印象の方がいいような気はするが、いま着ている服が丁度そのような布だったので、それとはまた違うものの方がいいだろうか、とフジはたくさんある布を見ていった。

 時折商人に尋ねたり、サクノ姫に好みの色やいま持っている服について聞いたりしながら、フジはサクノ姫に似合いそうな布を選び、サクノはお返しに、とフジのために布を選んでくれたりした。神殿では年少の巫女達の面倒を見ることもあったが、フジが特別な立場と認識されていたせいかあまり親しくする機会はなかった。だから素直にフジの言葉に耳を傾け、柔らかに笑ってくれるサクノにフジは一気に親しみを持つことができた。

 そうして微笑みあいながら商品を選んでいる様は、商人やイヌイから見ればまるで仲の良い姉妹のように映っていたことなどフジは知らない。ただサクノとお喋りをしながら布を選んでいるうちに、知らず時間を忘れてしまっていたらしい。

「また、ずいぶんとお時間をかけていらっしゃいますね」
「あ、テヅカ!」

 そう言って入ってきたテヅカの言葉に、フジは咄嗟に部屋の時計を確認し、自分達が小一時間以上布を選んでいたことを知った。サクノはというと、テヅカの声を聞いてぱっと立ち上がると、手にした布をそのままに部屋に入ってきたテヅカの側へとてとてと駆け寄った。

「いいものが多すぎるの。でも、フジ様に選んでいただいたものにします」
「フジ様に?」

 一瞬だけ、テヅカの視線が布の中に埋もれるような形で座っているフジを向いた。本当に一瞬だけだ。視線はすぐに頬を綻ばせながら立っている自分の主に向かって下げられた。フジの主でもあるサクノは、大事そうに手にしていた布を広げて、近衛隊長に見えるようにして自分の肩口にかけた。フジの選んだ布は、これまであまりサクノが選んでこなかったような布だった。どちらかと言えば小さな模様をふんだんに使ったかわいらしい印象の布が多かったらしいサクノだが、背も伸びてきているこれからなら、もう少し大きな模様の落ち着いた印象の服があってもいいとフジは思ったのだ。長い黒髪を結い上げればきっと似合うだろう。

「えぇ、これ。こうして……肩口に牡丹がくるように仕立ててもらおうかと思うの。……おかしい?」

 フジの選んだ布を肩口にかけて、大きな牡丹の花が肩を覆うようにしたサクノは、そうやって布全体を見せながら近衛隊長を見上げて首を傾げた。

「いいえ、よくお似合いになると思います」

 テヅカがフジと同じように考えたのかは分からないが、お世辞ではない言葉に、サクノは嬉しそうに頬を上気させて微笑んだ。そしてサクノが笑えば、テヅカの表情も優しくなる。テヅカのそんな柔らかな表情は、フジが初めて目にするものだ。見た目にはそんなに変化しているようには見えないけれど、まとう雰囲気がとても優しく、滲み出るような愛情を感じる。それは、ただの主従関係で生まれる類の愛情だろうか。

 胸の奥の、奥の方が鈍く痛んだ。そしてそれを痛みだ、と感じてしまったことにフジは自身で動揺した。何故、そんな風に感じなくてはいけない? 何故自分が、そんな風に感じなくてはいけないのだ。フジは憮然となって、見つめ合っているサクノとテヅカの二人から視線を反らした。

「フジ様、フジ様?」
「えっ……あ、はい」

 モヤモヤした想いを抱えながら俯いていたフジに、イヌイの声が小さく届く。

「お決まりになりましたか?」

 何が、と尋ね返しそうになってフジは赤面した。何が、ではない。一体何のためにこの部屋に来たのか、一瞬で忘れてしまうなんて馬鹿だ。

「あ……はい。これと……」

 フジは商人の前に広げられた布を五つ――結局ひとつも減らなかった――指差して選んだ。商人がそれを取り分けてくれて、イヌイが布の質を確かめるようにして五つすべての布の端を触った。それは出入りの商人に失礼ではないのか、とフジは思ったけれど、見ている商人の方は余裕顔だ。自分の仕事に自信がある故、またイヌイの行動も信用してなおの信頼関係構築のため、ということなのだろうとフジは納得した。

「分かりました。それでは明日の宴に着ていくものを選んでください。それだけは先に仕立てさせましょう」

 今日の明日で仕立てを終わらせるつもりなんだな、と思うと仕立て屋に頭を下げたい気分になったが、きっと相応の手間賃も支払われるのだろう。選んだ布の中から、フジは迷いながらも――どれも美しくそして高級そうなのだ――ひとつを指差して答えた。

「では、この蒼の刺繍を」

 青学という国の名前に青が入っているし、自分の瞳の色とも合いそうだという理由で選んだひとつに、商売上手そうな商人がにこりと微笑んで「それは巫女様がお召しになれば、いまよりずっと映えると思います」と満足そうに言い添えた。とりあえずとんでもない選択はしなかったみたいだ、とほっとしながらイヌイを見上げると、イヌイもフジの選択に不満はないようだった。

「では、すぐに仕立て屋を呼びましょう。職人も、実際に着る人を見てイメージする形があるでしょうからね」

 フジにはそう答えて、イヌイはすぐに商人の方へ向き直って声をかける。

「いま担当を呼ぶから、料金の話はそちらでしてくれ。この布だけ先にもらうよ」

 商人が頷くと、イヌイはテヅカの側にいるサクノへ向き直って声をかけた。

「サクノ様は採寸が必要でしょう。隣の部屋でお待ちください。誰か!」

 前半の言葉にサクノが頷くと、イヌイはそのまま扉の外へ向かって声を張り上げた。

「はい、お呼びでしょうか」

 さほどの間を置かずに、部屋の扉が開かれて使いの者が頭を下げた姿勢で現れた。もしかして、外でずっと待っていたのかもしれないと思えるほどの素早い対応だった。

「待機させている仕立て屋を呼んできてくれ」
「はい、すぐに」

 頭を下げたままの姿勢で、使いはそう答えると扉を閉めた。フジが呆然とその様子を見ていると、サクノの手がそっとフジの腕に添えられた。採寸するならフジも一緒に、と思ったようだったので内心で慌てた。自分は採寸の必要がないことをサクノに説明している間に、商人は好きに広げられていた布を回収し始め、イヌイは何やらテヅカと短い会話を交わしていた。


「少しは自覚できた?」

 採寸を何とか上手く断って神殿に帰ってきた途端、イヌイが悪戯っぽくそう声をかけてきたので、フジは頬を膨らませた。

「……お世辞だよ。あの人達だって商売だもの」

 布を売りにきていた人の良さそうな商人以外にも、あとからやってきた仕立て屋にも散々美しい、噂以上だと頬を赤くしながら言われて――しかも仕立て屋は女性だった――フジとしては大変面白くなかった。イヌイは何とか引きつらないように笑顔でかわしていたフジを脇で見ながら、内心は腹を抱えて笑っていたに違いない。

「やれやれ、頑固だな、フジは」

 大袈裟に肩を竦められては、益々面白くない。

「おかしいのは君の感覚かもしれないじゃあない、イヌイ」

 口答えもしたくなるというものだ。

「う〜ん、まぁ、まだまだ会わなくてはいけない人がたくさんいるからね。どっちが少数派かは、それで分かるだろう。ところで、テヅカがこれを君に見て欲しいと言っていたよ」

 そう言ってイヌイが机の上に置いたのは、フジが自分の荷物を入れて神殿から送ってもらった衣装箱と同じくらいの大きさの木製の箱だった。おそらくその会話が交わされたのは先程の部屋でだろう。イヌイと短く言葉を交わしたあと、テヅカはすぐに部屋を出て行ってしまった。仕事の合間に、大切な姫の様子を見に来ただけだったらしい。

「何が入っているの?」

 フジが尋ねると、イヌイは箱の蓋を取って見せた。促されてフジが覗き込むと、中には服と、そして鈴が入っている。

「君の前任者に当たる風巫女が使っていた巫女服や祭具だそうだ。使えるものは使って、いらなければ夕方取りに来るから返してくれていいと言っていた。祭具なんかは一応手入れしていたらしいが、服とかはサイズが合うか分からないし、今回新しいものを仕立てたからね」

 夕方神殿に来るのか、とフジはそちらの方に先に反応した。先程は視線をほんの一瞬交わしただけだったけれど、この荷物を取りにくるということは、先程よりはちゃんと話をする時間もあるのだろう。ほっと息をついて、その音があまりに大きく響いたものだから慌ててイヌイに答えた。

「……うん。ちょっと見てみるよ。前任の方はどういう人だったの? 祭具の手入れって……僕と入れ替わりではないってこと?」

 フジの問いに、イヌイはちょっと妙な反応をした。何か一瞬、戸惑うような。だがそれは本当に一瞬のことで、フジがそれを指摘する間もなく、イヌイはフジの疑問に答えていた。

「前任の風巫女様は、テヅカの母上だよ。亡くなってから、しばらく青学に風巫女はいなかった。君は青学にとって久しぶりの風巫女なんだ」

 フジが息を呑んだのを、イヌイはしっかりと見ていた。一瞬言い淀んだのは、その事実を自分から伝えるべきか迷ったからなのだろう。本当は、テヅカの口から聞くべきことだったのかもしれない。そう思うとフジは恥ずかしさと同時に微かに怒りも感じた。自分があれこれ見慣れぬ風景に気をとられ、質問をしてばかりいたとはいえ、イヌイのことといい、前任の巫女のことといい、テヅカは肝心なところを何も話してくれていなかったのだ。

「テヅカの……お母様? 亡くなったって……じゃあこれは、お母様の大切な遺品じゃあない! 僕、使えないよ」

 そんな大切な人が青学の風巫女だったなんて知らなかった。その後任に、よりにもよってフジを連れてくるなんて。テヅカの考えはよく分からない。フジが首を振って答えると、イヌイは少し困ったような顔をして、それから宥めるように優しく微笑んだ。

「遺品といっても、テヅカだって本当に思い入れのあるものは実家に置いていると思うよ。それは、とっておくよりも君に使って欲しかったんじゃあないかな。服はまだしも、祭具は特にね。あいつは、道具はしまわれるよりも使われた方が幸せだと考えるタイプだから」

 あぁ、確かに。そう頷いてしまいそうになったことに気づいて、フジは胸を押さえた。おかしい。サクノ姫のことといい、先程夕方に会えると思ってほっとしたことといい、自分はテヅカのことにいちいち反応しすぎている。会ったばかりの彼のことなのに、知っているような気分になって、実際に知らない彼を見ると――知らなくて当然なのに――不安になる。

 おかしいよ……どうしたんだろ、僕。

 最初に神殿から王宮へ連れ出してくれた人だから、無意識に頼っているのかもしれない。秘密を共有しているから、という安心感もあるのかもしれない。けれど、それだけではないという気もしていた。それだけでは説明しきれない何かが、胸の中にあるような気がして仕方ないのだった。

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