ようこそ、青学王国へー2nd day

---------------------------------------------------------------------------------

 祭具の入った箱を見て黙り込んだフジに、イヌイはちょっと申し訳なさそうに口元を緩めた。本来はテヅカが直接打ち明けるべきことを、自分が言ってしまったことを気にしているのだろうか。だとしたら、イヌイは相当人がいい。きっとフジが考えごとをしている姿を見て、困らせてしまったと思ってくれたに違いない。

「どうしても使えないと思うなら、直接テヅカに言って返したらいい」

 本人はそれでいいと言っていたのだから、別に気分を害したりはしないだろう。イヌイは優しくそう言い残して神殿を出て行った。フジは机の上に置かれた箱の中をしばらくじっと見つめていたが、やがて意を決したように手を伸ばして、まずは一番上に置いてあった足輪を手にした。それは祭事で舞う時に舞い手が足につけるもので、小さな鈴が五つついていた。フジも神殿で舞の練習に使っていたことはあったが、実際に祭事で踊る舞い手になったことはなかった。神殿ではもう少し年上の巫女が舞い手に選ばれていたからだ。

 しかしこれからは、フジ以外に舞い手となる巫女はいない。青学の風巫女として、もしかしたらテヅカの母が舞ったのと同じ舞をフジが舞うことになるかもしれないのだ。そう思うと、フジの手は自然と自分の足下に伸び、箱から出した足輪を左右の足につけていた。金属の輪はフジの細い足にはまり、少し力を込めて足を踏むと鈴が凛と音をたてた。

「……いい音」

 手入れをしていたというのは本当なのだろう。金属製の足輪にも鈴にも錆はなく、その音を聞きつけて風がふわりと動いたことを感じたフジは自然と微笑んでいた。風は鈴の音が好きだ。だから青嵐の神殿をはじめとした風神殿には、いたるところに鈴が飾られ、風の神が好きに揺らせるようにしてある。風の神が好む鈴の音は人の耳にも優しく響く。凛と高い音、しんと重い音。ただがなり立てるような人の耳に不快な音は、風の神も好まない。風の神力を持つ者には風の機嫌がなんとなく分かる。さらに”名前を呼ばれた”巫女は、その意思さえも分かるようになるのだ。

 いま、フジが感じている風の意思は、この鈴の音が心地よいと言っている。

 意思が分かるといっても、直接言葉でやりとりするわけではない。力を持たない人間には、言葉で説明しようとしても難しい。まるで心が通い合うような、言葉がなくても伝わる、そんな感覚なのだ。

 フジは喜ぶように足に絡んだ風に微笑みながら、さらに鈴の下に収まっていた巫女服を取り出して広げた。少し腕を持ち上げなければ、下についてしまいそうなほど長い巫女服だった。

「背の高い方だったんだな……」

 広げてみたそれは、普段着るような巫女服ではなかった。風巫女として、慶事に神に捧げる舞を踊るときに使う特別な祭服だ。おそらく、テヅカの母も数度しか着たことはなかっただろう。

 フジはその特別な祭服に袖を通した。今のフジでは裾が少し地面に触れる。前をゆるく合わせて一緒に入っていた帯で腰を縛る。胸元を少々余計に取れば、裾を踏まないですみそうだ。普段の巫女服には絶対に使わない金の絹糸で蝶文様の刺繍が施されている長い袖は、巫女が舞うと風に乗って優雅に揺れる。

 フジは長巫女から直々に習った、風の神に捧げる感謝の舞を思い出しながら足を踏み出した。手は最初、腕を曲げて胸の上に置かれる。

 我が心の喜びを、感謝と共に神に捧げる。

 小さく呟いてから、円を描くように左足を一歩前に。そしてその足を軸にして右足を伸ばし、くるりと体を反転させる。服の裾が、体に遅れてふわりと回る。軽い生地だった。動いても、体に巻き付いて舞を邪魔することがない。胸の上に置いていた腕を伸ばし、右手を横に差し伸べると、長い袖が広がって蝶模様がはっきりと見える。そのまま右手を上に、それから体重を右足に乗せて、今度はそちらを軸に再び体を回転させる。左足で地面を踏みしめると鈴の音。風が、フジの体の周りを回り始めた。

 挙げていた右腕を下ろし、左手と共に両肩へ。それから右と、左足の鈴を交互に鳴らす。先程とは逆に、左腕を伸ばして上に伸ばすと、また左足を軸にその身を回転させた。そうやって服の裾を風でなびかせながら神殿の方へ向いた瞬間、目に入ってきた人影にぎくりとして、フジは動きを止めた。建物と庭の境に背筋を伸ばした姿勢で立っているのは、黒い近衛服のテヅカだった。見られていた。それを認識すると、途端にフジの全身が沸騰したように熱くなり、顔が赤くなるのが自分でも分かった。

「い、いつからそこにいたの、テヅカ」

 その問いに、テヅカは答えなかった。ただ舞う姿を見られていたという恥ずかしさに身を硬くしているフジを見て、無意識なのか腰に下げた零式に右手を置きながら一言、

「……母上がそれを着て舞う姿を、一度だけ見たことがある」

 と言った。恥ずかしさはまだ抜けきらないものの、テヅカの言葉を聞いて、フジの体から自然と力が抜けた。テヅカは今のフジの舞を見て、その時のことを思い出したというのだろうか。既に亡くなったという母親の姿を。

 ねぇ、どうしてそんな顔をしているの?

 フジは何となく、立ち尽くしているテヅカの表情が気になって、彼に近づいていった。テヅカはそれを拒むこともなく、近づいてくるフジをじっと見つめて、自分はその場で動かないままいた。フジがテヅカの目の前に立つと、テヅカは零式に置いていた手を下ろし、フジを見下ろした。テヅカの瞳は黒くて、とても綺麗だ。鋭くて、闇色なのに強い光を感じる。初めて会ったときから、前だけを見るその強い瞳。けれど今は、どこか不安そうに見えた。必死に不安を押しつぶしている。そういう風に見えた。

「……その時、君はいくつだったの?」

 フジが首を傾げて見上げると、テヅカの腕がフジの着ている祭服の袖に触れた。袖に刺繍されている蝶の模様をなぞるようにして、テヅカの指が動く。

「三つの時だ。サクノ姫がお生まれになった時、祝いの席で風巫女が舞った。もう細部は覚えていないと思っていたが、お前が舞うのを見ていたら、確かにそんな風に母も舞っていたような気がした。この刺繍は、舞っているとまるで生きているように見える」

 思い出すように、そしてその思い出を噛み締めるようにして答えたテヅカに

「どんな方だった? 君のお母様は」

 とフジは尋ねた。

「強い人だった」

 フジの問いに、テヅカは迷いなくきっぱりと答えた。青学最強と言われるような男が、こうしてはっきりと強いと言いきるのだから、母として、本当に強い意思を持った人だったのだろう、とフジには思えた。フジにとって長巫女が強く、頼れる人だったのと同じように。

「強くて、綺麗な人だった?」

 姿形が、というわけではない。きっと強くて清廉な女性だったのだろうと、テヅカを見ていてそう思ったフジは自然に問い返していた。テヅカはその問いに、触れているだけだった服の袖をぎゅっと握り、すぐに手を離してから答えた。

「……そうだな」

 その答えを聞いて、フジは腰を締めていた帯に手をかけた。簡単に結んでいた帯を解くと、テヅカの前で羽織っていた祭服を脱いで畳み、帯と一緒に差し出した。

「この服はやっぱり君に返すよ。祭具は全部使わせてもらうけど」

差し出された祭服と帯、そしてフジの顔を交互に見て、テヅカは複雑そうな顔で手を伸ばし、祭服を受け取った。

「そうか」

 その複雑そうな顔を見て、勘違いさせてしまったかと思ったフジは、服を受け取ろうと伸ばされたテヅカの手に、そっと自分の手を重ねて付け加えた。

「お古が嫌とか、そういうわけじゃあないからね。これは……君のその思い出と一緒にしまっておくべきだと思う」

 強く美しいと心から思った、その思い出と一緒に大切にして欲しい。フジはそんな想いを込めて、テヅカに祭服を返したのだった。

Back / Next